新ちゃんの へらへら日記  


2010年1月〜2010年3月

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2010年1

(2010.1.3) 「謹んで年の初めのご挨拶を申しあげます。」

 我々の世界では、師匠が亡くなると喪中ということで、年賀状を出さないこともありますが、露の五郎兵衛は「わしが死んでも、喪中にするな」と言っていたそうです。私は直接聞いていません。吉次が聞いていました。また師匠はクリスチャンでしたので関係ありませんし、私自身も、「死は悲しいものですが、穢れではない」と思いますので、喪に服すといことはしません。

 去年は本当に、いろんなことがあり、多くの人にお世話になりました。
 1月12日に、師匠を招いて奈良音声館で独演会(助演、露のききょう)。思えば、これが奈良では最後の師匠の高座になりました。そして、その次の、2月22日(日)大阪、和光寺(阿弥陀池)での「紀州」が、師匠の生涯最後の高座になりました。
 3月には、横浜で「中国語落語・ちりとてちん」初演。翌日、東京落語カフェで「上方落語の会」。これが、立川文都さんとの最初で最後の共演になりました。その一週間後、3月30日(月)午前11時37分、師匠、露の五郎兵衛逝去(昇天)。なかなか揃わない一門が、不思議と全員揃って見送ることができました。昇天記念式(お別れ会)には、東京から、柳家さん喬師匠、三遊亭歌武蔵師匠など多くの方々に参列して戴きました。歌武蔵師匠は、二つ目になる時、出囃子に「勧進帳」を使いたいと、師匠に打診。師匠が快諾したことを、ずっとありがたく思って戴いているとのこと。(このことは、8月に繁昌亭で一緒になった時、聞きました。ひさしぶりに勧進帳が繁昌亭に響きました。余談ですが、歌武蔵さんが真打披露で鈴本に挨拶にきた時、私も出ていて、たまたま居合わせました。これもご縁を感じます)
 4月には、博多で、さん喬師匠の落語会に出して戴き、二人会。5月には、さん喬師匠を招いて、大阪繁昌亭で「夢・露の新治寄席 さん喬・新治二人会」をさせていただきました。6月には、博多の独演会に、さん喬師匠がゲストで。同じく6月に浜松長徳寺寄席で「さん喬・新治二人会」。そこへ、神戸から、さん喬師匠のファンが駆けつけてこられびっくり!
 7月には、中国語落語上海公演が実現。元気に生きて、ちょっとずつでも願生っていれば、夢は叶うということを、実感しました。24歳で学生訪中団の一員として訪中。実に34年ぶりに上海を訪れました。
 9月には、福岡県、二箇所で、さん喬師匠の寄席に「二人会」という形で出して戴きました。一連の二人会を通じて「落語という話芸に、すごい力がある」ことが徐々にわかってきました。
 10月には、新潟新発田市を中心に、インディさんと二人で10箇所まわるという密度の来い旅。もっとも台風に進路を阻まれ、かなり泣かされましたが。
 そして、11月には、全国同和教育研究大会三重大会に出演。全同教特別分科会に3度出演という芸人としては前人未踏の記録を樹立!そして、他の芸人が誰も目指していないというところに、私の「芸人としての特殊性」があります。これが私の主体性の確立と信じて、願生ります。
 そしてこの間に、繁昌亭に出演、各地で「お笑い人権高座」、独演会や寄席をさせて戴きました。気力に、体力に、何より能力に欠ける私としては、充分すぎる一年でした。つまるところ、私は、たくさんの人に支えられていると思います。そのお気持ちを大事にしながら、今年は、浮つくことなく、ちょびちょび願生ってゆきたいと思います。師匠を亡くしたことは、たしかに辛いことです。今頃になって「聞いといたらよかった」と思うことがいくつもでてきます。けど、いまとなっては仕方ありません。師匠から戴いたものを大切にしながら、少しでも「魅力ある咄家」に近づきたいと願っています。なにとぞよろしくお願いいたします。(年が明けてから、去年を振り返っていては遅いのでしょうが、やっとそんな時間が持てましたので)


    「第2回 繁昌亭新治寄席、さん喬・新治二人会」

 まことに申し訳ありません。繁昌亭、新治寄席、さん喬・新治二人会。第2回目をやらせて戴きます。
 前回、繁昌亭でやらせて戴きました「夢☆露の新治寄席 さん喬・新治二人会」。あのあと、しばらくは第2回目をやらないつもりでした。ホームページにもこう書きました『今回、第1回としましたが、第2回は今のところ考えていません。私がもっといい咄家になれたら、また考えさせて戴きます。その日をめざして願生ります。中国語落語と、繁昌亭での「夢・新治寄席」。私にとって大きな夢が二つ形になりました。何をやっても中途半端だった私としては、上出来です。咄家になってしみじみよかったと思っています。ありがとうございます。』
 この時は本当に、こう考えていました。「こんな大きなことはもうしばらくできないし、さん喬師匠におんぶに抱っこでは申しわけない。自分がもっとちゃんとした咄家になったら、また二人会をお願いしよう」。ところが、このことを、全く忘れて、第2回目をしたいと思ってしまいました。実は、ある人に「第2回をしようと思う」と話したら、「当分せえへんと言ってたのに」と言われ、前述のホームページの自分の言葉を読み直した次第です。自分のええかげんさに驚きました。まことに、私はええかげんです。自分の言葉に、責任を持っていません。けど、第2回目をしたいと思ったのも、本当です。「ええかげんや」と言われるのを覚悟で、前言を翻し、「ちゃんとした咄家」になっていないけど、第2回目をやりたいと思います。みなさま、お許しください。幸い、さん喬師匠にはご了解戴きました。日時は、2010年5月21日(金)繁昌亭、夜席です。こんな、ええかげんな私ですが、お許しください。当日までに、「ちょっとは、ちゃんとした咄家」になるよう、精進いたします。どうぞよろしく、お願いいたします。


(2010.1.4) 「初日の出」

 鳥取のMさんから戴きました。東京のお友達からの転送だそうです。コメント「何か良い年になりそうです。解放運動の仲間に送ってます。見て下さい。」


(2010.1.10) 「露の五郎兵衛追善落語会の案内」

 師匠、露の五郎兵衛の一周忌(昇天一周年)追善落語会が決まりました。2010年3月30日(火)18:30〜、繁昌亭夜席です。五郎兵衛一門が出演します。ネタは各自、師匠の十八番をかけます。私は「鮹坊主」、トリは団四郎「雪の戸田川」。どうぞよろしくお願いします。


(2010.1.11) 「餅つき歌もにぎやかに!」

 奈良市田原地区、長谷(ながたに)町。田原は、カンヌ映画祭で賞をとった、川瀬直美監督の映画のロケ地です。田原のお茶は、奈良の特産品です。千本餅つき、私もつかせてもらいましたが、けっこう力仕事です。みんなでついたお餅は、早速あんころ餅にして戴きました。しっかりとして、とてもおいしいです。お神酒も飾られ、清々しい新年の会。朝から、とんど焼きも行われました。餅つきが終わると、豪華なお弁当。もちろんお神酒も回ります。そのあとで、余興の高座。願生ります!

田原の茶畑

千本餅つきとお神酒

千本餅つき

早速あんころ餅に。


    「奈良市田原地区(旧田原村)に伝わる餅つき歌」

田原餅つき歌

一、ここの、うらやに、井戸掘り初めて、水も湧きます、金も湧く、おもしろや(アーナンジャイノーワ ヒョウタンヤ、ア、イントセイ、イントセイ)

七、 惚れたお方に盃さされ 酔わぬうちから 桜色 おもしろや (アーナンジャイノーワ 々々〜)

 七、七、七、五、ちょうど、都々逸(どどいつ)と同じ形。田原は、祭文(江州音頭や浪花節のルーツ)という珍しい芸能も伝えられており、茶摘み歌や踊りもあります。昔は日本中にあったのでしょうが、今となっては貴重です。田原は古事記の、太安万侶(おおのやすまろ)の墓がある、考えたら、大変な歴史のある土地。奈良に住んでいると、その値打ちがピンと来ませんが、ありがたい経験をさせて戴いたと思います。


(2010.1.12) 「石川夫妻からの年賀状」

 狭山事件の石川一雄、早智子さんご夫妻から、年賀状を戴きました。石川一雄さんの年頭の一首「支援者の地道な闘い実を結び 勧告受けて今年にかける」 昨年12月16日、三者協議の場において、門野博裁判長は、検察に証拠の一部開示勧告を出しました。かすかですが、一筋の灯りが見えました。気をゆるめることなく、再審の扉を開くよう願生ってゆきたいと思います!願生りましょう!


(2010.1.13) 「刑務所で審査員をしました。」

 奈良少年刑務所で、新春カラオケ大会。犯罪者が気楽にカラオケ大会?と思う人もあるでしょうが、大切な矯正教育の一環です。刑期は、懲罰の期間ですが、矯正教育の期間でもあります。本来の自分を取り戻すことで、自らの犯した罪も本当に反省できます。それが更生、ひいては再犯防止につながります。ですから、サッカー大会、成人式、花見、盆踊り大会など、いろいろ行事が行われます。サッカー大会などはチームプレーですから、ドラマが起きます。去年は全国レベルの選手を抱えたチーム(各作業所ごと)が、全くの素人チームに負けました。個人の能力は確実に上なのに、一試合ごとに自信をつけてあがってきた、結束力のあるチームに負けたのです。双方ともに、本当に大きな学びをしました。
 カラオケ大会も、そのために行われます。一応、芸能関係者ということで、私に審査の依頼がきました。去年に続き二回目です。審査員は、歌手の川井聖子さん、教誨師の先生、刑務所長。そして私。カラオケの番組なども経験してますので、多少は分かると思いましたが、甘かった!参加17人の曲で、知っていたのは、森山直太郎の「さくら」のみ。あとは全て、初耳です。おかげで新鮮な気持ちで聞けました。700人の中から代表に選ばれた人たちですから、みな、ものすごく上手い。歌手になれるかと思うほどの人も2人いました。全員が、歌詞を暗記。下半身もふらふらせず、腰も引けず堂々と歌います。コンサートのような気分で、歌唱を楽しめました。結果は、だいたい私の感じたとおりですが、一人だけ意外でした。私が最高点を点けた人が6位入賞もしなかったので聞いてみたら、担当職員の方が「彼は去年の優勝者でした。リハはよかったんですが、緊張してましたねえ。高音に伸びがなかった」と。そんな高いレベルの争いやったんかと驚き、なんか申し訳ない気になりました。


      「老人憩いの家で、初笑い」

 そのあと近鉄奈良駅まで走り、桜井市大福へ。西老人憩いの家で、初笑い。先にインディさんが出て、たっぷりやってくれました。元気な人ばかりで、よく受けていました。私語や歓声禁止、拍手と手拍子だけの、若い人700人の場から、打って変わって元気な高齢者。私も、水を得た魚のよう。大盛りあがりの中、差別、人権、狭山事件にもふれ、十分しゃべってから座布団に座り、落語「つる」を一席。拍手、拍手で終わりました。

インディ熱演中!

今年初めての雪景色(桜井市にて)


(2010.1.15) 「香春(かわら)に着きました。」

 香春町は、「青春の門」の舞台になったところです。田川労音主催の初春寄席、さん喬師匠と私の二人会。好朝さんも出ます。

香春岳

香春岳は異様な山である。決して高い山ではないが、そのあたえる印象が、異様なのだ。(中略)一の岳は、その中腹から上が、醜く切り取られて、牡蠣色の地肌が残酷な感じで露出している。山麓のセメント工場が、原石をとるために数十年にわたって休まずに削り続けた結果である。』(五木寛之『青春の門』冒頭部)

『青春の門』

 会場は、かつて「お笑い人権高座」をしたことのある、香春町町民会館。お客様は250人。番組は「寿限無」・好朝、「つる」「紙入れ」・新治、「時そば」「抜け雀」・さん喬。いい会になりました。

さん喬師匠の高座


 ホテルに帰り、テレビの大相撲番組で、文福師匠を発見。ご本人に知らせたら、以下のメールが来ました。 『全国ネット出たー! 熊本から東京、相撲の後、浅草木馬亭、ぽんぽ娘の会(弟子の、桂ぽんぽ娘さん)、せんやん(腹話術の千田やすし師匠)も、頑張ってくれたよ◎おおきに!』

文福師匠を発見


(2010.1.16) 「長崎県 地蔵寺。」

 さん喬師匠と、長崎へ。長崎市蚊焼町の地蔵寺で、法要のあと落語会。会場は、地蔵寺様の会館「大雄殿」。番組は「つる」「ごんべえ狸」・新治、「天狗裁き」「寝床」・さん喬。聞き上手、笑い上手のお客さま。ありがとうございました!

地蔵寺様の「大雄殿」

満員御礼

地蔵寺様にて


長崎はかすてらの発祥地。中でも珍しい、桃かすてら。

名物 桃かすてら


(2010.1.17) 「長崎市天福寺」

 おいしいお食事、長崎はとくに魚が最高です。
 法要のあと、ご住職の講話。このあと、寄席です。見渡す限り、人、人。超満員御礼!ありがたい!願生!

ご住職の講話

 番組は「ちりとてちん」「つる」・新治、「寝床」「文七元結」・さん喬。満員のお客様で私も絶好調! 爆笑、爆笑! ほんまに幸せです。

さん喬師匠の高座


(2010.1.18) 「札幌到着」

 恋のまち札幌? どこがやねん。歩きにくいだけやないか!


(2010.1.18) 「雪の札幌市街」

 数日前にどかっと降ったそうです。今朝のテレビで、「今日は少し暖かく、マイナス1.5℃」とか言ってました。寒さのレベルが違います。ペラペラのジャンパーでは、うろつく気になりません。


(2010.1.19) 「チャリティー寄席。」

 札幌では意義深い仕事をさせて戴きました。襟裳の曹洞宗・法光寺の佐野住職は、托鉢で集めた浄財でアジアの子どもの教育支援をしておられます。今回は、カンボジアの巡回図書館の車が壊れたので、買い換えのカンパです。お笑い人権高座を50分。江差の松村住職の「スリランカの教育支援活動」のスライドを使ったレポート。休憩を挟んで、落語「ちりとてちん」。私の前に、東京の正朝さんが二年続けて人情咄をしているので、お笑い戴けるものをと考えました。結果は、◎でした! もっとも、いい人情咄もできませんが。終わって、色紙や手拭いのほか、会場等で全面協力している佐藤水産からの品々のオークションで、盛り上がりました。松村老師から出品の、坂村真民と立松和平の直筆色紙は高い値がつき、浄財も集まりました。これが、ほんまの民間外交です。アメリカの基地は、アジアにも日本にも、まして「沖縄」にも、安全をもたらしません。民間レベルの、心のこもった交流こそ、ほんとうの信頼を築き、経済力の衰えた時の日本を救うと信じます。具体的な意義ある行動、支えが、口コミで広がると思います。


(2010.1.23) 「はさめず。」

 JR島ヶ原駅(三重県伊賀市)を降りると、「はさめず」の看板。尋ねると「お醤油」とのこと。それで思い出しました。落語で「そうめんがある」と言って、醤油を持ってくる。「これは醤油やないか」と言われて「箸で はそめん、はそぅめんや」と言うのがあります。落語博士の染雀に尋ねたら「貧乏花見」の一節。すぐにピンとこない私が情けない。早速伺い、一本分けてもらい、パンフレットを見ると「昔、醤油はおかずでもあった」とのこと。単なる調味料なら「おしたじ」というが、おかずとなると、したじでも醤油でもなく、「他のおかずは、箸で挟めるが、醤油は挟めないので、はさめず」と呼んだのかもしれません。おからを「きらず」というのも、豆腐のしぼりかすを食材として大事にしたことからついたものでしょうか? 醤油やおからを「おかず」の一品として認めた、つつましい生活から出た言葉だとしたら、「はさめず」も「きらず」も、味わいのある言葉です。落語の「はそぅめん」も、それをふまえてのシャレなら、奥が深いと思います。

 島ヶ原小の講演の後、そんな話をしたら、醸造元の福岡醤油の奥さんが夢ポリスに、お醤油をどっさり持ってきてくださいました。ほめてくれたお礼とのこと。申し訳ないと思いましたが、せっかくのご好意なので遠慮なく頂戴しました。出演者で分けて、お客様にもおすそ分けとして、抽選の賞品に。しかし、ほめてみるものです。名古屋へ行ったら、トヨタの車を思いきりほめてみようと思います!


     「上野新治寄席、楽屋にて」

 講談の南陽さんは、解説もするほどの大映画通。玉之助さんと、映画「アバター」の話になりました。

南陽「ジェームスキャメロンのインタビューは、答えにくいことばかり
    聞かれて、盛り上がりませんでしたね」
玉之助「そうですか。おもしろいらしいですね。」
新治「その、ジェームスキャメロンゆうのが、主役ですか?」
二人「・・・?!」
南陽「ジェームスキャメロンは監督ですよ」
新治「ああ、そうですか?ええ監督ですのか?」
二人「・・・?」
南陽「いや、あの、タイタニックとか・・・」

 昔、師匠五郎兵衛と話していて、世代のギャップを感じたが、とうとう「感じられるほう」になったようです。「アバター」と聞いて頭に浮かんだのが「ほっぺたのぶつぶつ」だとは、二人に言えませんでした。私は「アバター」より、松竹座でやっている歌舞伎「忠臣蔵」の五段目、「山崎街道」の、定九郎の「原本どおりの上方演出」のほうが気になります。


(2010.1.24) 「長崎三ヶ所、願生!」

 今日は、なかなかハードでした。10:05の伊丹発長崎行きに乗り、空港からA先生の車で長崎市三重地区市民センターへ。なんと先週伺った、天福寺様の近所! 小、中学校4校の合同講演会で、500人以上の大入り!13:30からお笑い人権高座を1時間半。1時間の休憩食事の後、16:00からご近所の高齢者を交え、250ほどのお客様に「落語独演会」を1時間ちょっと(500円、有料)。着替えて、車で1時間で大村市の西教寺様へ。お檀家さまを中心に100人。19:00から2時間。最後は、マイクなしで落語「ちりとてちん」。盛り上がりました。長崎市や、諫早市からも来られたお客様もあり、本当にありがたいかぎりです。しかし4時間半しゃべると、さすがに喉はガラガラ。明日は午後から西大村中学校の生徒、630人にお話をします。願生ります!


(2010.1.26) 「初芝居 坂田藤十郎丈のパワーに脱帽!」

 松竹座で、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の大序から六段目までを見ました。特に、「四段目、判官切腹の場」、「五段目、山崎街道の場」は、私も落語でやるのでしっかり見ました。判官切腹の場。上方演出は、しきみを四方に立てず寝かします。「四段目」は忠臣蔵の山場で、集中するために、この幕の間は出物どめ。「通さん場」と言って、出入り禁止です。昔ながらのしきたりを関係なく破るおばさんもいましたが、大方はきちんと見てました。
 「五段目、山崎街道」。定九郎が、初代中村仲蔵が工夫した浪人の型ではなく、本来の山賊の形。ただ、頭巾はかぶらずやや浪人風。セリフも「五十両」だけでなく、よくしゃべる。掛け稲ではなく、藪にかくれる。なにより、かっこよくありません。これはこれで、「あとの寛平が際だって」いいのかもしれません。見てよかったです。
 しかし、改めて思いましたが、役者は我々とはくらべものにならないほど体力勝負。人間国宝、坂田藤十郎丈のパワーに脱帽! 昔、扇雀の頃、一度だけ毎日放送の番組でインタビューをさせて戴きました。私が30そこそこでしたから、まだ四十代。素顔が艶々だったことを覚えています。もうとっくに70は越えてはるはずなのに、あの声、あの動き。60が近づいてきたと言って、ふけこんでいる場合ではありません!願生ります!

初芝居に心踊りながら


    「願生るお寺、発見!」

 芝居がはねて、気分が高揚してたので、寒風のなか歩きました。難波から、日本橋、谷九から、買い物で谷町八丁目、また戻って、結局桃谷まで1時間以上歩きました。ジャンパーを脱いでたのに、汗をかきました。気分もすっきり、気持ちも前向き。歩くと、収穫があります。大阪の寺町、谷町九丁目にて、願生るお寺を発見しました!


    「一葉会の初舞台の打ち上げで盛り上がる」

 夜は、日本舞踊「一葉会(いちようかい)」の初舞会の打ち上げに行きました。インディさんも参加。実は、インディさんの母上がこの会の幹部です。私も踊りはお休みしてますが、一応会員です。中華ランチを食べて、喫茶店で二次会。ノンアルコールなのに、おばさんたちは盛り上がります。ほんまはノンアルコールでも盛り上がれることが、よくわかります。飲酒も一つのくせ、習慣です。飲まなければ、飲まないなりですんでしまいます。運動も、勉強も、ダイエットも、健康管理も、そうかもしれません。ところで、かなりの熟女の皆さんでしたが、「アバター」を知ってました。そして、ほとんどの人が松竹座の忠臣蔵の通し公演を知りませんでした。これが、今の時代なんですね。改めて、自分のずれを感じました。


(2010.1.27) 「人としての尊厳を取り戻す闘い」

 今日は、「人としての尊厳を取り戻す闘い」橋本さんの裁判の証人喚問が行われます。橋本さんはら鳥取市在住。「双極性気分障害2型」で、精神医療の患者でした。そこで受けた非人間的扱いに対し、尊厳を取り戻す闘いとして、裁判を闘っています。私も支援しています。詳しくは「人としての尊厳を取り戻す闘い」を支援する会まで。どうぞよろしくお願いします。


(2010.1.29) 「鹿の信号待ち」

奈良市、県庁前にて。


2010年2

(2010.2.1) 「繁昌亭 露の五郎兵衛一周忌追善興行のこと」

 繁昌亭、露の五郎兵衛一周忌追善興業。私は、師匠の十八番の一つ「蛸坊主」で臨みます。師匠、五郎兵衛は、家の芸である、先代春団治師匠ゆずりの滑稽咄(阿弥陀、二番煎じなど)、先代小春団治師(後の、花柳芳兵衛師)の「正本芝居咄」(本能寺、鏡山、瓢箪場など)、先代林家正蔵師匠(稲荷町の師匠)ゆずりの芝居咄や怪談咄(雪の戸田川、真景累が淵など)、さらには艶笑(艶咄)に至るまでまことに幅の広いネタを持ち、全てが一流でした。弟子は及ばずながら、その一部、一部を少しずつ受け継いでいます。私も、私だけが稽古をしてもらったネタが若干あります。その一つが蛸坊主です。願生ります!


 「5月21日のさん喬新治二人会、チラシができました。」

 5月21日の繁昌亭夜席「さん喬新治二人会」のチラシのデザインができました。今回は、いろもの無しの、落語五席。開口一番、露の雅です。全席、自由席です。


(2010.2.2) 「霜田誠二さんのパフォーマンス」

 大阪市大二部出身のパフォーマンスアーティスト、霜田誠二さんが、来月久々に大阪に登場するとの連絡がありました。霜田誠二さんは、その世界では有名な人で、身体をまるごと使ったパフォーマンスは、興味のある方にはお勧めです。
 霜田誠二のワークショップ、公演については、以下のHPをご覧下さい。皆さんにご連絡できればお願いいたします。なお、参考までに資料の載ったHPを紹介します。

ttp://wagero24.tumblr.com/post/342917589

http://tengei.atpk.jp/

 ちなみに霜田さん達の公演は

 日時:2月21日(日)17:30開場、18:00〜20:00

 会場:Salon de AManTO -天人-(地下鉄中崎町駅すぐ)nt>

 観覧チケット \800+1drink

 飲み物1杯の代金:ノンアルコール200〜400円、アルコール300〜500円

よろしくお願いします。


 霜田誠二さんの舞踏公演を楽しみにしていましたが、用事ができ、行けなくなりました。行かれる皆さん、どうぞよろしくお願いします。

                                      露の新治 拜


(2010.2.14) 「島根県邑南(おうなん)町の雲海。」

 島根県邑南町は、旧、瑞穂町です。3度目の訪問。昨日から、いこいの村に泊めて戴いています。山の上で、すばらしい眺めです。

 雲海です。まさに、雲の海です。地元産の方も、「珍しい」と言われてました。元気に生きてれば、こんなすばらしい眺めも味わえます!願生りましょう!

旧、瑞穂町、いこいの村より。


(2010.2.18) 「繁昌亭第二回新治寄席のチケット先行予約開始!」

 5月21日(金)天満天神繁昌亭、夜席 第二回夢★露の新治寄席「新治・さん喬二人会」のチケットができましたので、ホームページによる先行予約の受付を始めます。どうぞよろしくお願いします。


(2010.2.25) 「三重県伊賀市山畑(やばた)区にて。」

 伊賀市山畑区。近鉄奈良駅から歩いて「国鉄」(JR)奈良駅へ。そこから関西本線で、木津、加茂を経て「新堂」駅へ。近鉄伊賀神戸からも行けるし、それなら歩かずにすむのですが、最近「国鉄」で行くのが好きになりました。山間や田んぼの間を行くとすっかり旅気分になるからです。乗客も少ない普通電車、いや汽車(ディーゼル気動車)です。近鉄沿線にくらべ「開けていない感じ」ですが、そこが魅力と感じるようになってきました。
 お客様は高校生も混じる60人ほど。19:30からの人権講演会。夕食をすませ集まって戴いた中には、一杯やったのか、赤い顔も。普通、仕事を終え、夕食で一杯やれば、人権講演会に行くのは、おっくうになるはず。そこを押して来て戴けるのは「落語家」だからかもしれません。ありがたい。一所懸命勤めました。反応も上々。21:47無人駅の新堂を出て、奈良駅。三条通りを歩いて、近鉄奈良から最終の難波行きに乗りました。夜中になりましたが、充実感に満たされて帰りました。


(2010.2.26) 「どうでもええけど。」

 漢文で「先生」と言えば、「年長者、年上の人」のこと。対語に「後生(後から生まれてくる人、後輩)」という言葉もあります。すると、森昌子の歌った「先生」と、森進一の「年上のひと(女)」がつながります。これもご縁(?)

 今日は、羽曳野市恵我ノ荘で、玉之助さんと、老人会の寄席。元気なお年寄りが、前からぎっしり!爆笑! これが、人権啓発講演会となると、雰囲気が変わります。中味は一緒なんですが・・・。


(2010.2.27) 「島根県飯南町 お笑い人権高座。」

 今日は、島根県飯南町(旧、頓原町)で、講談の旭堂南陽さんと二人で、お笑い人権高座です。会場準備では、音のチェックも入念に。昨日の恵我ノ荘では、私が上がろうとしたら、マイクスタンドだけでマイクが見当たりません。探して接続しましたが、音が出ません。玉之助さんが急きょ、ピンマイクを持ってきてくれて、なんとかなりました。早くから行って、会場作りをし、お茶を戴き、楽しく談笑。その後、大慌てのひとこま。今日はそんなことのないように・・・。
 立派な見台と、ひざ隠しは、地元の焼肉屋の大将の手作り。以前、大阪で焼肉屋をやられていて、そこが落語家のたまり場になっていたそうです。それで、落語会も開催し、見台も自作したとのこと。お店には、文福、仁福、南陵、昇蝶、一蝶、蝶六、各師の写真がたくさんありました。

入念なマイクチェック

立派な見台とひざ隠し

会場準備中


(2010.2.28) 「記者会見。」

 先日の新聞に、露の五郎兵衛一周忌追善興行の記事が載りましたが、「一門が出ている中、新治さんが入っていない」と問い合わせがありました。記者会見の日、私は仕事で欠席したためです。3月30日(火)、天満天神繁昌亭の追善興行には、ちゃんと出ますのでご安心ください。気にかけて戴き、ありがたいかぎりです。ありがとうございます。


    「島根県雲南市加茂町 あったか寄席」

 第14回「あったか寄席」。解放同盟加茂支部の人たち、はんどばっくの会、そして解放運動に思いを寄せる多くの方々。みんなの力で、今年もやれました! 遠くは、浜田市、鳥取の日野町、そして松江、邑南、江津など各地から思いを携えて駆けつけてくださる方々。大入り満員! ほんまにありがたく、嬉しいかぎりです。
 番組は、まず私が少し前説をしたあと、講談「荒大名の茶の湯」・南陽、「ごんべえ狸」・新治、人権話「識字のばあちゃんたちの教育力」・松村智広、(お中入り)、トーク「スウェーデン留学記、伊賀の忍者屋敷、ちかんあかん!自分を見つめる」・全員。松村智広先生の話にも、爆笑、また爆笑! 終始、笑いの絶えない2時間半でした。

熱演中の、松村知広先生。


    「見台から釈台に。」

 島根県飯南町で、焼き肉太郎の大将の手作りの見台、ひざかくしを使わせて戴き、ありがたく高座を勤め、いい気持ちで、雲南市加茂町へ来て、気がつきました。加茂町には、見台が無い!そのまま借りてきたらよかったのですが、忘れていました。私はどうでもなりますが、講談は無いと形になりません。すると、世話人の佐々木さんが「うちで作りましょう!」と言ってくださいました。家業が製材所。材料は十分にあります。南陽さんに図面を描いてもらい、当日朝には、立派な釈台が届いていました。本当にありがたいことです。加茂のあったか寄席では、こんな人たちのお支えで、ありがたく続いています。私は幸せものです。

(あったか寄席については、こちらをどうぞ)


2010年3

(2010.3.3) 「巻紙のお手紙。」

 4月14日(水)に伺う、広島県尾道市の曹洞宗西林寺の、野上ご住職からのお手紙。巻紙にしたためられています。こんな丁寧な依頼状は初めてです。感激しました。お気持ちにお応えできるるよう、精一杯願生ります!


(2010.3.4) 「オリンピックのスケート。」

 あったか寄席の朝、南陽さんと朝ごはんを戴きながらテレビのニュースで、オリンピックを見ました。女子の「三人一組、追い抜き」で銀メダル。そんな競技があることも知らなかったので「すごいなあ」と思って見てました。そしたら、なんと「優勝したドイツとの0秒02差は距離にして約25センチ!」とのこと。急に「惜しいなァ!」という気持ちになりました。聞けば「400メートルのリンクを六周する競技」らしい。ほたら、「2400メートルで25センチの差」かい!そんな差、あってないようなもんです。昔やったら、同率首位です。オリンピックも無粋なことをするもんです。「やることが細かい!金メダル、二つくらい出したったらええやないか。在庫あるやろ!」と言うのは、やはり身びいき。逆やったら、「0秒02、そこが勝負やないか」となるんでしょうね。勝ち負けはおもしろいけど、人間、いじましくなりますね。


(2010.3.5) 「完売、お礼!」

 ありがとうございます! 3月30日の繁昌亭夜席「露の五郎兵衛 昇天一周年 追善一門会」は、おかげさまでチケット完売。補助席残り僅かということになりました。当日「立ち見」券を発売とのことですが、本当にありがたい限りです。お力を戴いて、願生ります!ありがとうございました。


(2010.3.6) 「大阪府高槻市 人権講演会

 高槻富田の解放会館(ふれあい文化センター)での人権講演会。私が1時間。おあと、桂勢朝師の至芸、「南京玉すだれ」。トリは、マジック中島&ヒロミのお二人の豪華マジックショー。たっぷりお楽しみ戴きました。腹話術の千田やすし師匠の奥様が、楽屋見舞いを携えてお越し戴きました。本当に、ありがたいです。ありがとうございました。


(2010.3.8) 「すごい名前に交ざってます。」

 整理してたら、雑誌『部落解放』の1988年7月号が出てきました。もう22年も前のもの。「なんであるんやろ?」と開いてみたら、私の一文が載っていました。すっかり忘れていました。目次にも、ちゃんと名前が。見ると、周りには、村越、土方、小森とそうそうたる名前が並んでいます。光栄なことです。今やったら恐縮してしまいますが、当時はまだ37歳。なんにも感じませんでした。若いというのは、いいものです。


(2010.3.9) 「不可解な中国語。」

 今日は仕事は休みです。朝から中国語教室で、先生相手に「ごんべえ狸」の稽古、手直し。言葉もさることながら、伝わりにくい言葉を紙に書いて見せながら話すのですが、紙がたくさんあって、なかなかうまくゆきません。紙がどんどん増えてゆきます。これだけ文字に頼って、果たして落語になるのかと思いますが、「伝わってなんぼ」のポリシーで願生ります!そしていよいよ、「笑いが来るか?」ですが、これは、日本語でやる時でもわからないときがあるので、願生ってやるだけです。
 中国語は広く知られていますように、四声という抑揚があり、中に不可解なものがあります。例えば「上」は下がります。「上くらい、上がれよ」と思いますが、下がるのです。「下」はちゃんと下がります。つまり、「上不上」。同様に、「平」は、平らでなく上がります。また「凹」は、へこまず、真っ直ぐです。「平不平。 凹不凹」です。中国人は、これを変だとは思いません。ひょっとしたら、中国語学習者も、あまり変とは感じていないかも知れません。今まで、誰からも聞いたことがありませんので。ひょっとしたら、私のオリジナルの「マクラ」なるかも知れません。


「今から国立文楽劇場へ」

 今から、日本橋の文楽劇場に行きます。日曜日から明日まで、師匠の一周忌追善興業をやっており、今から楽屋へ挨拶に行きます。早いです。去年の今ごろも、中国語落語でじたばたしてました。しかし、師匠は生きてました。それが、今日は追善興業です。人の命の危うさをしみじみ感じます。ぶり返した寒さが、ひときわ身に染みます。


   「大入り袋を戴きました。」

 国立文楽劇場での、師匠、露の五郎兵衛の一周忌追善興業。連日の大入り満員、ありがたいことです。楽屋を覗いたら、立派な大入り袋を戴きました。明日は楽日。私も楽屋に詰めます。


(2010.3.10) 「国立文楽劇場、露の五郎兵衛追善興業」

 ロビーには、五郎兵衛襲名の挨拶状などが展示されています。

 追善口上。司会・露の都、お礼の言葉・立花家千橘。口上は桂福団治、京山幸枝若、羽田たか志、二葉由紀子、林家染丸の各師匠がた。各協会のトップという豪華な顔ぶれです。


(2010.3.13) 「習慣というのは恐ろしい。

 今朝は早起きして、大阪府池田市まで。池田市解放会館(人権文化センター)で、ふれあいフェスタ。梅田から阪急池田駅で8:45待ち合わせの予定でした。ところが習慣というのは恐ろしい。気がつくとJR新大阪駅に来ていました。「泊りの旅、大きなリュックサック、大阪駅」この三つがそろうと、体が勝手に動いて、新大阪駅まで来てしまいました。ほんまに習慣は恐ろしい。慌ててとって返し、ことなきを得ましたが、池田へ行くのに新大阪まで行ってしまう。思わず「新大阪から、池田へは行けんか?」というセリフが浮かびました。このセリフで、落語「〇〇〇の〇〇〇〇(〇は全てひらがな)」が浮かぶ方は、かなりの落語通ですよ。

【HP復活もうすぐ1周年記念 お花見クイズはこちら】


 オープニングは、古江保育所の子供太鼓。

古江保育所、(宝の)子供太鼓。


     「さぬきうどんフリークの林家小染。」

 大阪から香川県へ。林家小染は、さぬき滞在中は、うどんしか食べないくらいの、うどん好き!ただ、お酒は例外。かきあげざるうどんは、写真のとおりの迫力! けど食べられます!

うどんフリークの林家小染


かきあげざるうどん


(2010.3.14) 「大内新治寄席、大盛況!」

 大内新治寄席は、過去最高の入りを記録。番組は、「前説」・新治、「ちょうず回し」・桂こけ枝、「はてなの茶碗」・林家小染、(お中入り)、「太神楽」・豊来家玉之助、「柳田格之進」・新治。本当にいい寄席でした。

左から、玉之助、新治、小染、こけ枝(敬称略)


(2010.3.15) 「第22回綾川新治寄席。」

 こちらも超満員の500人!ありがたや、ありがたや。途中から覗きに来た、植松おさみさん(ズームイン朝をされていた、地元局超有名人気アナウンサー)が「駐車場があふれていて、とても入れんかったので、あきらめて帰ったがぁ」と後から電話をくださったほど。番組は、前日と一緒。大きな会場なので、しんみりした話は向かないかと思いましたが、柳田格之進をやってみました。結果は上々。思いきってやってみてよかったです。38歳の時から始めて丸21年。ほんまによく続いています。泉さん夫妻、大方さん、そしてその周りに集って戴く皆さん。多くの人の善意に支えられて寄席があります。私は、幸せ者です!


(2010.3.17) 「三重県 松阪商業高校。」

 午前中、松阪商業高校で人権講演会。8年ぶり2度目のご縁を戴きました。10年ほど前、教員による差別事件が起きました。その当時関わった先生方がまだおられました。勇気ある告発のおかげで、差別をした教員も差別を認め反省していたのですが、某政党の介入で、ひるがえります。その後は、裁判。学習の場である糾弾が、『暴力』にすりかえられてしまいました。当時は校長先生の自死もあり、解放同盟へのバッシングの嵐となりました。本当に悔しいかぎりです。夜、伊賀市大山田のライトピアでも、解放同盟の人から、その話が出ました。風化させてはいけない事件です。


     「三重県伊賀市 ライトピアおおやまだ 梅まつり。」

 恒例となった、ライトピアおおやまだの「梅まつり」。プログラムは、1.かさとり学級(識字教室)による歌『ライトピア讃歌』と、紙芝居『わたしは やまざくら』、2.布引地域住民協議会による人権劇『母からの手紙、パート2』、3.ライトピア職員による歌謡劇場『壺坂情話〜お里・沢市〜』、これは中村美律子の歌を、扮装、演技を付けて歌うもの。終われば、万雷の拍手。そして第二部が我々芸人。「人権話」・新治、「漫才」・立山センター・オーバー、「漫談」・テント、「太神楽」・豊来家玉之助。全て終わって、かさとり学級手作りの丁稚羊羮がお土産に全員に配られます。それで木戸銭なし!そらお客が来ます。


(2010.3.18) 「大相撲春場所。」

 過保護芸人のテントさんを、立山オーバーさんに頼み、豊来家玉之助さんの車で、伊賀上野から大阪へ。たまたま、難波の府立体育館の前を通りました。大相撲春場所で、はなやかな幟がたくさんはためいていました。


      「洲駅に巨大金魚」

 今日は熊本県菊地市。大牟田から、普通に乗り換え、植木まで行きます。荒尾を過ぎて、長洲駅でびっくり! 巨大金魚。九州金魚掬い選手権!


(2010.3.19) 「熊本県菊池市 初桜。」

 熊本県菊池市花房にて、初桜。一昨日、三重県の大山田で梅まつりをしたところなのに。なかなか、多彩です。

初桜
菊池市展望

    「同じ日に!」

 テントさんが、独演会をされます。なんと、私が繁昌亭でやる日と、かち合ってしまいました。テントさん「新やんも、よかったら楽屋へ遊びに来てください」「行けますかいな。私も会があるのに。同じ時間やないですか!」「おなか痛いゆうて、休んだらよろしいやん」「ええーっ!」 落語より、コアなテント師匠の世界を楽しまれる方は、ワッハ上方へどうぞ!

 得得奇角「独演会テント40」
 日時:
2010年5月21日(金)19:00開演(開場18:30)
 会場:
ワッハ上方・ワッハホール
 
木戸銭:前売り2700円/当日3000円。
 演目
「漫談、?????、昔話特集、鉄曲?」
 
チケット発売4/3 ワッハ上方。


(2010.3.20) 「リウマチ治療新時代でプレッシャー」

 奈良県橿原市で、県立医大主催のリウマチ治療の講演会が行われます。その中の一つに「笑いがリウマチの痛みをやわらげる」という研究があり、私が「笑わせ役」をおおせつかりました。これ、もしすべったら、病状悪化で責任問題!?かなりプレッシャーが、かかっています。医師の講演や、座談会がメイン。私は、間で、お話をします。参加は無料です。参加申し込みは奈良新聞社まで。
 
3月28日(日)13:00〜 奈良県社会福祉総合センター(近鉄吉野線、畝傍御陵前うねびごりょうまえ、東口スグ)
 【
参加申し込み】〒630ー8686奈良市法華寺町2ー4 奈良新聞社 企画部「リウマチ治療新時代」係。


     「外川さんからのメール

 京都の外川さんから、高校授業料無償化から朝鮮学校を排除しようとしていること、大阪市の同和奨学金の問題、隣保館の問題について、メールをいただきました。

【外川さんの了解を得て、一部改編のうえ掲載させていただきます。長文ですので、別掲にしました。こちらをクリックしてください。(MORI)】


(2010.3.21) 「日本語発表会で中国語落語第二弾。」

 今日は中国語落語第2弾、「ごんべえ狸」初演の日。台風の影響も受けず、無事に横浜へ着きました。朝から、中国帰国者の方々が日本語に取り組んでいます。映画「男はつらいよ」のシーンを写し、アフレコにチャレンジなど、中味も多彩。レベルも高い。私も願生らねば!こんな場を与えて戴き、本当にありがたいです。

(中国語落語のようすは、こちらをどうぞ)


(2010.3.23) 「電車を乗り過ごしました。」

 先日は間違って、阪急電車に乗らなあかんところを、新大阪まで行ってしまいましたが、今日は、乗り過ごしてしまいました。JR阪和線の和泉砂川で降りるはずが、ぼーっとして「次はぁ〜和泉砂川ぁ〜」というアナウンスを、「なんとなく親しみのある駅名やなぁ」と思っているうちにドアが閉まりました。親しみを感じている場合ではありません。「次はぁ〜紀伊ぃ〜」と聞いて、「あー次は和歌山かぁ、えーっ!」 桂ぽんぽ娘さんと駅で待ち合わせをしていて、幸い彼女はちゃんと降りていたので、迎えの人と連絡がつきました。ほんまにぼけてきました。だいじょうぶかいな。でも乗り越したおかげで、山中渓の桜を見ることができました。今度はちゃんと降りねば。

山中渓(やまなかだに)の桜


     「小山広明さんの名刺。」

 泉南市でのお笑い人権高座に、泉南市議会議員の小山広明さんが来てくださいました。革新系市民派議員として、京田辺市の次田のり子さんたちと願生っておられます! 名刺には、選挙歴12敗6勝と、すごい記録が書かれていてユニークなのですが、更に・・・

 ・・・裏を見てびっくりしました。なんと古ハガキの再利用! 市民派議員の面目躍如。心意気を感じました。小山議員、お忙しいのにありがとうございました!


(2010.3.23) 「落語全集から。」

 落語全集をのぞいていたら、初代三遊亭亭円右の紹介に「人情咄、芝居咄、落語などすべてに長じ」とあります。落語家が話すのは全て落語と思われていますが、そうではありません。咄にはいろんなジャンルがあり、落語はそのうちの1ジャンルなのです。以前は「落とし咄」と言っていたのが、明治以降に漢語表現で「落語」となったようです。
 
人情咄、芝居咄、怪談咄には、オチはありません。先日やった「柳田格之進」は人情咄ですから、本来オチはありません。私は自分なりにオチをつけてやりましたが、正しいやり方ではありません。また厳密に言えば、「七段目」や「蛸芝居」などは、芝居咄風落語です。
 
師匠五郎兵衛は、「落語家と言われるより、咄家と言われるようになりなさい」と言ってました。つまり、落語、芝居咄、人情咄など、いろんな咄ができるようになりなさいということです。そして、「色の違う咄を三席並べて、独演会と言える」とも。これは、東京の先代、林家正蔵師匠(稲荷町の師匠)からの教えです。そんな独演会もいつかやりたいと思っています。


     「またやってしまいました!」

 電話がかかってきまして、相手さんが、知り合いの電話番号を尋ねられました。携帯電話に電話番号を登録しているので、ウエストポーチから携帯を捜しました。が、ありません。焦ってリュックサックの中から携帯を捜しているうちに、気がつきました。携帯を左手に持っていることを。つまり、左手で携帯を耳に当てながら、右手で一所懸命、リュックサックの中の携帯を捜していたのです。そら、出てきませんわ。出て来たら怖い。一緒にいた人が、ひっくりかえって笑ってました。ほんまに、ちょっと不安がよぎりました。


(2010.3.26) 「同級生がフルマラソンに挑戦。」

 高校の同級生Kさんが、明日、初フルマラソンに挑戦します。激励メール(と言うより、「無理せんときや」メール)を送ったら、返事が来ました。『今、伊豆大島にいます。明日のマラソンの下見をしましたが、大島一周コースで起伏が激しくて大変そうです。まあ、目標を下げて完走目指してのんびり走ります。有限の生命を精一杯楽しんでみます。・・・』完走せんでもええから、無事に終えれば十分です。しかし、59才でマラソンに挑戦とはすごい! Kさんは高校時代、柔道部。りっぱに初志貫徹し、医師になり、東京で願生っています! 若い頃、香川医大に赴任し、たまたまテレビで私を見つけ、高松で再会しました。それから、北海道や岩国と赴任先で、会っていました。東京の落語カフェの寄席にも駆けつけてくれます。しかし、よおやる!


(2010.3.27) 「三木さぬき チャリティー露の新治寄席。」

 香川県三木町、ヴィラ讃岐にて、三木さぬきライオンズクラブ主催チャリティー露の新治寄席(アジアの子供たちのために)。客席400!果たして埋まるか!

 フロント前に幟(のぼり)。職員の皆様、申し訳ございません。

 高松の香西商店(お米屋さん)のポスター。私も昔は、いくつかイメージキャラクターを勤めていました。しかし、若いなあ!

写真はイメージです。

 前回に続き、ライオンズクラブ会員の姪御さん、みみぴいさんのすばらしいイラストで盛り上げて戴き、ありがたいかぎり。

すばらしいイラスト!

 主催者ご挨拶のあと、新治の前説。登場時にクラッカー炸裂、客席ウエーブ。寄席のオープニングとしては、前代未聞です。豊来家板里、桂勢朝、新治、よく盛り上がりました。最後は、勢朝の至芸「南京玉すだれ」で、爆笑!

桂勢朝「ハイウェイ歌合戦」

 400人のお客さん、満員御礼!ありがたい。

大入り、満員御礼!


(2010.3.28) 「リウマチ治療新時代。」

 今日は、奈良県社会福祉センターで、「リウマチ治療新時代」。三部構成で、一部は、リウマチ治療のお話。「新時代を迎えたリウマチ治療」「新時代の整形外科的リウマチ治療」「患者の体験談」。二部が、私のお笑いコーナー。三部が、患者と医師の「日頃気になっていること」と題したトーク。リウマチ患者や家族にとって、参考になる意義深い催しです。今まで、病気にあまり関心もなかったのですが、自分が健康面に不安を覚えるようになり、変わってきました。まずは、元気に生きること。あとのことは、とりあえず置いとく。そんな気持ちです。悩みも夢も欲も、元気に生きてりゃこそです。こんな催しに参加でき、ありがたいことです。昨日も、チャリティーのお手伝いができました。咄家になって本当によかったとしみじみ思います。
 
関係者を入れて、約300人。大勢のお客様。おつらい痛みもある方が多いのに、たくさんの笑顔を戴きました!


     「完走した!」

 初のフルマラソンに挑戦した、高校の同級生Kさんから、「完走した」とメールが入りました。「起伏が激しく、平坦な道の少ないタフなコース(*'へ'*)でしたが、ゆっくりゆっくり走って何とか無事完走しました(^-^)。ゴールでちょっとウルウルしてしまいました」とのことです。元気に完走できたこと。生涯の思いでになったと思います。おめでとうございました!


    「嬉しい悲鳴です。」

 5月21日の繁昌亭、さん喬師匠との二人会のチケット。チケットぴあと繁昌亭に置いた、80枚ほどが、6日で売り切れとなりました。もちろん、事務局に150枚ほどありますから、残席は十分にありますが、それにしても今までの私の落語会では考えられないことです。さん喬師匠のおかげやと思います。東京や高松からの予約もあります。本当に驚いています。


(2010.3.28) 「どくれもン」

 三木町のライオンズクラブ主催のチャリティー寄席で、ステキな看板イラストを描いて戴いたのは、プロの作家、「みみぴい」さんでした。作品集は、ポストカードブック「どくれもン」として一冊にまとまっています。ステキな絵と言葉。「文芸社ビジュアルアートとして、全国発売されています。定価630円です。皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

ポストカードブック「どくれもン

ポストカードブック「どくれもン」より


(2010.3.30) 「追善公演、無事に終わりました。」
 露の五郎兵衛一周忌追善公演、無事におわりました。私は、「蛸坊主」で時間をまかねばならず、ちょっと焦りましたが、なんとか間違わずにやれました。他にも役を勤めましたが、それは来た方のお楽しみ。満員御礼で打ち上げられたことが何よりです。去年の今日は、本当になんとも言えない気持ちで過ごした一日でした。いろんなことを思いだします。そして、改めて、いい咄家にならないといけないと思いました。



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