「袴田さんのドキュメント番組。」 (2024/10/3) 京都のTNさんからのお報せです。金聖雄監督のキムーンフィルム(Kimoon Film)制作の袴田巖さん・ひで子さんを取材したテレビ番組がNHKで放映されます。釈放されてからの10年、『夢の間の世の中』の頃、そして判決の日、翌朝のようすも盛り込んだ1時間番組だそうです。ぜひご覧ください。 〇 NHK ETV特集『巖とひで子 ~袴田事件58年後の無罪~』 時間:10月5日(土)23時から *再放送は10月9日(水)24時から 「大須演芸場の独演会のブログ。」 先日の大須演芸場の独演会について、 アマンバさん(愛知県あま市)がブログに書いて戴きました。ご本人の了解を得て、紹介させていただきます。 「アマンバのブログ」 落語会 『露の新治独演会 その三』 ~ 第36回 あきつ落語会 (へらへらメールのほうに、ブログの本文を掲載しています。MORI) 「『京都北野天神・もみじ寄席』のご案内。」 (2024/10/8) 今年も露の五郎兵衛一門の「もみじ寄席」を開催します。新治の出番はありませんが、一門の若い力の魅力満載です。秋の京都散策と併せてお楽しみ下さいませ。何とぞよろしくお願い致します。 ○ 京都北野天神・もみじ寄席」 日時:11月17日(日)15:00開演 会場:京都市上京区 北野天満宮 文道会館ホール 出演:都、団四郎、吉次、眞、紫、瑞、棗、新幸、陽照(あきら)。 席料:¥3,000 ※もみじ苑入苑料含む(お茶券付き) なお、14:00より「露の五郎兵衛の碑」にて碑前祭を行います。ぜひ、ご参拝下さいませ。 「露の団姫独演会。」 (2024/10/13) 10月13日(日)繁昌亭夜席、「露の団姫独演会」。先ずはめでたい満席! 一門にこれだけの集客力がある人がいてるのがありがたい。一門の宝です。機嫌よお、「七段目」を申し上げました。よおわろて戴き、助かりました。トークコーナーは、私と団姫の「禁断のあの話」。団姫の顧問弁護士さんまで登場(そんな人がいてることがすごい!)し、おかげで盛り上がりました。写真は、漫才のアルミカン。左がこの日が誕生日の赤坂さん、右が高橋さん。
「ハルカス寄席、『つる』にチャレンジ。」 (2024/10/15) 開口一番で「つる」。「『つる』は決して前座噺ではない。中ネタや」五郎兵衛がよおゆうてました。ほんまにそおです。今回その事がよお分かりました。降りてから、雀々さんと「つるは難しいけどやりがいがある」と言う話になりました。貴重なアドバイスも戴きました。次から試してみます。「ハルカス寄席」はありがたい挑戦ができる寄席です。浪曲の菊地まどかさんは、テイチクからメジャーデビューされてる歌手。ユーチューブでもそのすばらしい歌声を聞いて戴けます。ぜひ!
「旭堂南照独演会。」 (2024/10/20) 国立文楽劇場小ホールにて、旭堂南照独演会。昼夜二回公演で、二回とも大入り。番組は、 一部:「オープニングトーク」、「大塩の謎解き」・南鈴、「春日局」・南照、「二度目の清書」・神田紅、(お中入り)、「大つごもり」・南照。 二部:「オープニングトーク」、「那須与一扇の的」・南和、「夫婦(めおと)相撲」・南照、「竜田川」・新治、(お中入り)、「井戸の茶碗」・南照。 講談「細川の茶碗屋敷」を落語にしたのが「井戸の茶碗」。今回それを、講談に仕立てての一席という、なんでも無いように思えますが、かなり珍しい形。これが成功しました! 南照さんの「おはこ」になると思えるええ高座。笑いも多く、講談に新しい風が吹く予感がします。応援に来ていたマジックのビックリツカサさんが大絶賛。南照さんは、私と同じ町内(大阪市生野区新今里町四丁目)の出身で、小中学校、塾も一緒というご縁。優秀な地元の後輩です。来年はキャリア15年、江戸なら真打ち。大輪の花を咲かせてほしいです。 「レッスンプロ繁盛してます。」 (2024/10/21) 桂勢朝師匠が「井戸の茶碗」のお稽古に。もう十分あがってるのですが、熱心に稽古されます。それで、昨日「井戸の茶碗」をやった旭堂南照さんにその旨をお伝えしたら、「一緒に勉強したい」と駆けつけてこられました。昨日、大きな会を成功させ、自身、30分の長講を四席こなされ、お疲れのはずやのに。お二人の熱意に感心しました(感心してるだけではあかんのですが)。今日もいろいろ気づかして貰うことも多く、「井戸の茶碗」をやりたくなりました。落語と講談の「井戸の茶碗」をたっぷり聞かして戴き、「演芸ファン?」として至福の時間でした。勢朝師匠は11月2日、繁昌亭夜席の独演会のトリネタとしてこの噺をかけはるそうです。どうぞお楽しみに! 「もみじ寄席、ご予約感謝!」 (2024/10/22) 京都北野天満宮には、露の五郎兵衛の碑があります。師匠二代目五郎兵衛が発願し、一門総力を挙げて境内に建てさせて戴いたのです。北野天満宮のご好意あればこその建立です。「もみじ寄席」は、ささやかながら一門のお礼の気持ちを込めての奉納落語会です。今年は日程がずれて参加できないのが残念です。せめてできることをと、チラシを配ったり、ホームページでお報せをさせて戴きました。すると嬉しいことに、今で6名様から予約を戴きました。私が出ない寄席でもお越し戴けるのは、ありがたさもひとしおです。「一門を応援してやろう」というお気持ち、ありがたく戴きます。ほんまにありがとうございます。 「吉祥院落語会のお報せ。」 (2024/10/23) 〇 第一回 吉祥院落語会 日時:12月18日(水)13:30~ 会場:吉祥院(奈良県生駒市高山町10546 電話 0743ー71ー0727 交通:近鉄学研都市線『北生駒駅』よりバスあり。徒歩なら北へ20分! バス:近鉄学園前駅北口より、奈良先端大学「高山サイエンスタウン」から徒歩5分。便数少なし! 出演:露の新治 料金:お布施(箱を置きますので、お気持ちでご存分に) 「酒蔵寄席。」 (2024/10/26) ゲストは、2013年の第一回、翌年の第二回と続けて出て戴いた「露の紫さん」が十年ぶり。初出演のマジックの「ビックリツカサさん」とお二人がゲスト。番組は、「看板のピン」・紫、「鹿政談」・新治、「トーク(写真タイム)」・新治/紫、(お中入り)、「竜田川」・新治、「マジック」・ビックリツカサ、「試し酒」・紫(露の紫、堂々のトリ)。 お楽しみ試飲会には、たまたま近所で仕事を終えた、露の団姫さんも参加し、お客さんも大喜び。思うところがあって禁酒中の私も楽しく参加、盛り上がりました。 飲まんでも酒席におれるよおになってきました。 「喜楽館昼席、ありがたいお客様。」 (2024/10/27) 10月27日(日)、喜楽館昼席。トリの代演で、東京では「だいばね」と言うそうです。私の不手際で前日にホームページに載せて戴くという不始末。なのに、京都、大阪からも応援の方が。更には前日の酒蔵寄席に来られた方が五人もお越し戴き感激しました。お見送りをしてる時「昨日も行かせて貰いました」とゆうて戴き、それと分かりました。感激です。お見送りをしてよかった。喜楽館はお客さんが少なく、トリをとらしてもろても集客力のない私は「申し訳ない気持ち」ばかり。それだけに駆けつけて下さるお客様のありがたさが身にしみました。楽屋に勢朝さんも来て戴き、「井戸の茶碗」を申し上げました。最初は少しもたつきましたが、お客さんに盛り上げて戴き、最後は気持ちよくサゲまでいけました。高座を精一杯勤めていれば、お客さんは来て下さる。ある方から「お返しは全て高座で」と教えて戴きました。心して精進します。
「レッスンプロ繁盛!」 (2024/10/28) 桂蝶の治さんと桂勢朝師匠が、お稽古に来て戴きました。稽古は、私の気づきの場。ありがたく勉強させて戴きました。しかしお二人の熱心さには頭が下がります。願生! 「ハルカス(笑かす)寄席。」 (2024/10/29) 今日は秋の噺「まめだ」を。わらべ唄は、上方落語少年少女合唱団「林家染左、勘左、虹友美、菊地まどか(敬称略)の豪華な皆さん」でした。ありがたく勤めさせて戴きました。
(敬称略、写真撮影:虹友美)
「狭山事件と袴田さんの事件。」 (2024/10/30) 10月31日は、私にとって「人権を考えるスタートになった日」です。五十年前の1974年のこの日、東京高裁で狭山事件の二審判決が出ました。明らかに無実で、誰もが無罪判決が出ると思ってましたが、結果は「無期懲役」の有罪。いわゆる寺尾判決です。日本中で怒りの声が上がりました。私はその時点では、それほど狭山事件を深く知りませんでした。ただ新聞に載った判決骨子を読み、その出鱈目な作文に逆に「石川無実」を確信しました。特に印象深かったのは最大の決め手とされた「筆跡」です。文字をきちんと習得していない「非識字者」の石川さんと、流れるような脅迫状の筆跡の明らかな違い。この違いを「犯行時の異様な精神状態では、筆跡が変わる事もある。だから違っていても、本人のものでないと言うことにはならない(概略)」と言う訳の分からん屁理屈で、弁護側の主張を退けています。寺尾のこの文章は、まともな人が書けるそれではありません。「それやったらハナから筆跡を証拠にするな」です。そこから狭山裁判の異常さを知り「お上がこんなことをするんや」と、裁判や警察、検察への疑いを持ち始めました。そして、なんの関係もない無実の石川一雄さんが「被差別地区に生まれ育ったため、色眼鏡で見られ、犯人にでっち上げられた」と知りました。それで、これは石川さん個人の問題ではなく、全ての被差別地区の人に向けられた偏見差別が根にある「差別事件」やということで、当時6000部落300万と言われた、被差別部落の人たちが立ち上がったのです。 袴田さんがでっち上げられた「清水こがね味噌事件いわゆる『袴田事件』」も、従業員の中で唯一、袴田さんがボクシング経験者だったことが犯人に仕立て上げられた要因です。当時は、他のスポーツと違いボクシングは「ハングリースポーツ」と呼ばれ、野蛮なものとされてました。「ボクサーくずれ」と言う言葉があるくらいで、ヤクザの用心棒ぐらいしか使い道がないように言われてました。他のスポーツではあまり聞かれない言葉です。テニスくずれ、柔道くずれ、水泳くずれ、スキー、スケート、フェンシング、剣道、皆、「くずれ」はつきません。唯一記憶に残ってるのは「野球くずれ、相撲くずれ」ぐらいです それで後楽園ホールでボクシングの試合があるたびに、輪島、渡嘉敷、畑山といった世界チャンピオンたちが、袴田さんの無罪を訴えたのです。これはただ「ボクサーどうしのつながり」だけではありません。ボクシングというスポーツに対する蔑視や偏見を共に肌身に感じてきたもの同士としての「連帯」です。 狭山事件の石川さんにも同様に、全国の被差別部落(地区)の人たちが、肌で感じてきた差別を、「石川さんをでっち上げた冤罪」に感じたからこその「連帯」なのです。被差別地区の人たちが「石川命、我が命」と、自分と石川さんを繋げて連帯してきました。 大阪の生野区で生まれ育った私は、部落差別がピンときていませんでした。なのにしっかり差別意識だけは刷り込まれてました。それがこの二審、寺尾判決で「こんなん絶対無実やんか」と気付かされました。それから差別の構造などを学び、卒業後の奈良の夜間中学設立運動に首を突っ込むことになりました。そこで、現実に差別に抗いながら元気に生きてる人たちとお出会いし、具体的な差別をいろいろ見聞きし「人を不幸にするのは、差別と戦争」と学ばせて戴きました。以来五十年。「次は狭山」と言われ続けながら、再審の扉は開かれていません。11/1(金)には東京日比谷野外音楽堂で中央集会が開かれ、11/20(水)には、神戸国際展示場で部落開放研究第57回全国集会の分科会「狭山事件の再審と冤罪防止に向けた課題」が開かれます。どちらも仕事で参加できないのが残念です。盛会を祈り、できることをやり続けます。狭山事件と出会わなかったら、人権高座もやってなかったし、噺家にもなってなかったと思います。10月31日は、私にとって大事な記念日です。ほんまに早く再審が開かれますように。85歳の石川さんがお元気なうちに、見えない手錠が外れますように。今こそ狭山!お支えをお願い致します。長々と失礼いたしました。
「人権啓発のCM撮影。」 (2024/11/1) 昨日は何十年ぶりに、地元、奈良テレビにて人権啓発のCM撮影。35年ぶりぐらいです。スポットCMで、私の出番は10秒。それでもアングルを変えて何度も撮りました。4パターンを各5テイク。1秒でもオーバーしたらあかんので緊張しましたが、なんとかやれました。この歳になって、まさかのCM撮り。ありがたいことです。 「第12回東雲寺寄席。」 (2024/11/4) 11月4日(休)秋晴れに恵まれ、大入り満員、満堂。落語協会会長と上方落語協会のひらの二人会。さん喬師匠、「夢の酒」と「掛け取り」をたっぷり。「掛け取り」は、義太夫、芝居、三河漫才と芸の引き出しの多彩なこと。そのどれもが本格的で、しかも楽しい。「日本一の噺家やなあ」と改めて感激。私は「猿後家」と、落語としては珍しいはずの「面割り狂言」。お仲入りで、お寺からさん喬師匠へ、会長就任のお祝いの花束が贈られました。 驚いたのは、東京町田の東雲寺様へ、首都圏はもちろん、なんと「京都、大阪、西宮、宝塚、金沢、岩手(当社調べ)」の各地から来られた方が。ありがたい! 京都から来られた落語ファン(この方は、東北笑生会の岩手の公演にも来られました)に、「よお来はりましたなあ。なんでまたここまで?」とお尋ねしたら、「木戸銭が安い。こら、来ないかん」とのお返事(なんぼ木戸銭が安いゆうても、新幹線代が!)。落語ファンは、しゃれてはります。ありがたい!
「さん喬あわせ鏡。」 (2024/11/5) 11月5日(火)、初の日本橋教育会館。周囲は、人形町、馬喰町、日本橋横山町、大伝馬町、小伝馬町と、ワクワクする地名がいっぱい。「さん喬あわせ鏡」、今回は、二人会にして戴きました。落語協会会長と上方の「ひら」。もったいない、ありがたい。お客様は、ほんまに優しくて、やらせ上手、聞き上手。楽しく勤めさせて戴きました。今年初、久しぶりの「高津の富」と秋の噺「まめだ」。さん喬師匠は、「片棒」と長講「ちきり伊勢屋」。舞台袖で聞き入ってしまいました。二日続けてさん喬師匠と二人会。ほんまにありがたいことです。 「浅草でお稽古。」 (2024/11/6) 昨日は落語会の後そのまま泊まって、きょうは浅草の「劇亭」で桂蝶の治さんとお稽古。ほんまに落語に一所懸命の姿勢に、刺激を戴きました。
「『狭山事件12.1関西・奈良集会』のご案内 。」 (2024/11/8) 1974年10月31日の狭山裁判二審、寺尾判決。以来50年。毎日新聞夕刊にも一面で取り上げられた、部落差別意識を利用した冤罪事件。当時24歳の「石川青年」は、今85歳。一日も早い再審無罪を! 私は集会呼びかけ人として、平場から発言予定です。 〇 狭山事件12.1関西・奈良集会 日時:12月1日 (日)13:30~ 会場:奈良市杉ヶ町 奈良市生涯学習センター 入場料:500円 プログラム: ・狭山事件のアニメ、ドキュメント映画 ・長谷川直彦弁護士のお話 ・石川さんの決意メッセージ朗読 ・各自の報告、発言、意見交換。 「作家の台本を育てる会。」 (2024/11/10) 11月9(土)、門戸寄席にて「作家の台本を育てる会 東西往来 新作オーライ その1」。トークコーナー の写真です。 「露の団四郎、三代目露の五郎襲名。」 (2024/11/13) 11月13日、上方落語協会会館にて、露の団四郎改め三代目露の五郎襲名発表記者会見が行われました。来年、2025年10月24日(金)の国立文楽劇場での披露興行にむけてスタートです。どうぞよろしく頼致します。 「島根県浜田市。」 (2024/11/17) 11月16日(土)、島根県浜田市の石見まちづくりセンター佐野分館にて「お笑い子育て人権高座」。番組は「お笑い人権話」・新治、(お中入り)、「ジャグリング」・揚野バンリ、落語「ふろしき」・新治。 11月17日(日)、同じく浜田市の石見まちづくりセンターにて「べっぴん寄席」。番組は、「お笑い人権話」・新治、「日韓文化交流」・福島明淑(ミョンスク)、(お中入り)、「ジャグリング」・バンリ、落語「面割狂言」・新治。大阪、広島尾道からもお客様が。たくさんのお越しありがとうございました。
「お稽古、新記録!」 (2024/11/18) 11月18日(月)、朝から、三人の方にお稽古させて戴きました。過去一日に二人はありましたが、三人は新記録です。ありがたいことです。午前中、ラインで東京の桂蝶の治さん。午後から、新幸。その後、繁昌亭朝席を終えた桂弥っこさん。蝶の治さんは、元々江戸落語を師匠五郎兵衛が上方に移した噺、新幸は明日の繁昌亭独演会のトリネタ、弥っこさんは、真夏の京都噺。三人の熱意に脱帽。ほんまに自分が勉強させてもろとります。ありがたき幸せ!
「皆さま、ありがとうございます。」 (2024/11/19) 11月19日(火)繁昌亭夜席「露の新幸ひとり会(ほんまの十周年)」に、遠方からもおおぜいお越し戴き、またネット配信でもご覧戴きまして、誠にありがとうございました。現在、いろいろしんどいことも抱えながらの独演会でしたが、お越し戴いた皆さまのおかげで成功させて戴きました。何よりの励ましになると思います。ありがとうございます。これからも、新幸は願生って参ります。お支えのほど、何とぞよろしくお願い致します。新治拝 「宇陀市老人クラブ連合会の集い。」 (2024/11/20) 兄弟子の立花家千橘の代演で宇陀市へ。奈良県宇陀市老人クラブ連合会の集い。かつて何度かお笑い人権高座でお世話になった、懐かしの旧大宇陀町の「かぎろいホール」。フラダンスや3B体操、コーラス、民謡などの後に、高座を作って戴き一席。九州場所中でもあり、久しぶりの「相撲風景」を。よおわろて戴き、なんとか役目を果たせました。 「桂雀々さん。」 (2024/11/22) 雀々さんとは、動楽亭昼席で一緒になりました。上岡龍太郎師匠主催の「ピンの会」以来、40年ぶりでした。動楽亭昼席は、上席十日間が米朝事務所所属のみの出番。中席で他の噺家も出ます。「米朝事務所ちがうから、こっちやねん」とゆうてました。それから、何度か一緒になり、ハルカス寄席でまた一緒になりました。10月15日のハルカス寄席が最後になりました。人気者の雀々さんが出るときは、いつも満員でした。「八五郎坊主」でドカンドカンと受けてました。私はトップで出たので、ないことに袖でずっと聞かせて戴き、笑てました。おもしろかったです。滑稽噺こそ王道と改めて勉強させて戴きました。まだ65歳。ほんまにもったいない。上方落語の数少ない看板スターがまたおらんよおになりました。残念でせつないです。と同時に「自分もいつどおなっても不思議やないねんなあ」と思います。お仏壇にお線香をあげて拝ませて貰いました。合掌。 「京都拘置所にて一席」 京都拘置所には、年に一度お世話になってます。拘置所は未決の人がほとんど、あとはお世話係の女性の優良受刑者。行儀よく座ってるこの人らのために泣かされた人がいっぱいいるかと思うと、なんとも言えない気持ちになります。「この中にオレオレ詐欺やった人いますか?」と聞いたら、一人が挙手!オレオレ詐欺のマクラから、「面割狂言」を。まあまあ受けました。グループ詐欺の噺を、どう受けとめてくれたのか分かりませんが、肯いて聞いてくれました。終わって、少し時間があったので「これからが、これまでを決める」と言う話をさせて戴きました。 「新社会おおさか市民講座」(2024/11/23) 天満の国労会館で、新社会党主催の会。お笑い人権高座と「面割狂言」。お客さんはええのに、ネタが飛んでしまい、話がまとまりません。「いよいよ来たか?あかんがな。」 全て受け入れて、ぼちぼち願生るつもりです。 「三重県名張市 比奈知(ひなち)文化センター 。」 (2024/11/22) お笑い人権高座と落語「相撲風景」。満員御礼のお客様。盛り上がりました。子供さんも最前列に。おとなが笑う中、静かに聞いてくれました。「おかあちゃん、パンツ破れた。またかあ」の小咄。子供達、絵に描いたよおに「パンツ破れた」で大爆笑。三回繰り返すたびに大爆笑。そして「またかあ」でキョトン。笑いは世代を超えない。
「お稽古繁盛!」 (2024/11/25) 桂蝶の治さん、月亭秀都さん。共によお稽古してはります。私も、いや私が精進せんと。
「テントさんは、やっぱりビッグやったんや!」 (2024/11/26) テントさんが唯一残した弟子、八男(はちおとこ)さん事、江州音頭の音頭取り、桜川須賀八さんから送られてきた画像。「テントさんの離婚」が大きく載ってます。私の知ってる範囲で、離婚が新聞に大きく載った人は他にいません。やっぱりビッグやったんや! 今となってはうれしいようなせつないような。因みに八男という芸名は、テントさんが大好きな「エイトマン」からとったそうです。 「テントは70になったら売れる」とゆうてはった上岡龍太郎師匠も今は亡く、その上岡師匠と人気ラジオ「どんどこどん」をやってた雀々さんも逝ってしまいました。そおいえば、35年前のあのピンの会。一緒に出た人で、江本龍彦兄も亡くなり、残っているのは、私と講談の南慶先生、あと九十九一さん。板東英二さんも出てたけど、どないしてはるんやろ。「義務教育やないねんからね」と言うテントさんのギャグやってはったけど。「才能のないやつは努力しろ!」上岡龍太郎師匠の言葉です。 「森乃阿久太さんが亡くなりました。」 交通事故やそうです。10月27日に喜楽館で並んで出ました。例の「だいばね」の日です。トリの一つ前の出番を「もたれ」と言います。ええ感じにお客さんをわかせ、バトンを渡して戴きました。おかげで助かりました。福郎師匠門下で、桂枝三郎師匠の弟さん。役者と二刀流でした。雀々さんが亡くなってまだ6日目。今年になってもう5人の上方の噺家が亡くなり、そのうち4人は年下です。楽屋で丁寧に挨拶をして戴いた笑顔が目に浮かびます。ほんまに残念です。ため息ばっかりです。合掌
「12.1狭山奈良集会。」 (2024/12/1) 狭山事件第二審の高裁判決から50年。奈良で、狭山事件の再審開始、証拠開示、再審法改正へ向けての集会が開かれました。嬉しかったのは、大阪から三名の落語ファンが駆けつけて下さったこと。石川さんだけではなく、わたしらが生きてる間に、再審、無罪、見えない手錠が外されることを祈って、できることをしようと盛り上がりました。私も、寺尾高裁判決からの気づきをお話させて戴きました。 「桂蝶の治カレンダー。」 (2024/12/3) 江戸、二つ目、桂蝶の治。若き落語家の溌剌とした姿。 「ハルカス(笑かす)寄席。」 (2024/12/4) 雀々さんが急に亡くなられ、ハルカス寄席の大きな看板が消えました。ほんまに残念です。12月19日(木)の二部に出演予定でしたが、幻の高座になってしまいました。主催者から「どなたか代演を」という声がけがあり、それになんと「桂雀太さん」が手を挙げてくれました! 嬉しいことです。ハルカス寄席のメンバーでは、雀々さんと雀太さん(雀々さんの兄弟子の雀三郎師匠門下)、九ノ一さん(雀々さんの弟弟子の九雀師匠門下)の三人だけが枝雀一門、何よりのお供養です。悲しみの中に一筋の灯りが見えた思いです。応援何卒宜しくお願い致します。 「お笑い人権高座。」 (2024/12/4) 嬉しいお便りを戴きました。 40年間の人権高座。「本当の笑いは人をこばかにしてとる笑いではない亅との見出しを「月刊部落解放」で読ませて戴き、「是非高座をお願いしたい」と連絡させてもらったのが、ついこの間のように思い出されます。もう30年も昔のことです。それまでの人権講演会のような「動員参加」ではなく、思いきって「自由意志での参加」にしました。ありがとうございます。白山町から広がり、旧大山田村ライトピアでは市民主催の「有料のお笑い人権高座」までやらせて戴きました。「木戸銭」とチラシに書きました。あの頃は(今でもそうですが)同和問題講演会というと「無料・動員が当たり前」でした。そんな中、白山町、大山田村の取り組みは大きな意義がありました。そんな試みに関わらせて戴き、ほんまにありがとうございました。 このページのトップへもどる トップページへもどる |