新ちゃんの へらへら日記



2025年4月

 「繁昌亭昼席花形ウィーク。」 (2025/4/2)

 4月2日(水)は桂力造師匠の日。襲名してすぐに花形ウィークとは、力造師匠も運のええ人です。入門25年の力、ざこば師匠への思い。感慨深い高座は、ざこば師匠譲りの「狸の化け寺」。出番を戴き、よかったと思える公演でした。
 一番太鼓は、桂九寿玉さん。お客さんがいっぱい入るように「入」という字にバチを止めたところ。

(写真提供TYさん)

 「常蓮寺寄席へのアクセス。」 (2025/4/5)

 5月18日(日)の会場の常蓮寺は、奈良市杏(からもも)町112(電話 0742-62-1600)。JRもしくは近鉄の郡山(こおりやま)駅よりバスでイオン大和郡山へ、そこから北へ800メートルです。どうぞよろしくお願い致します。
〇 第12回常蓮寺寄席
 日時:5月18日(日)14:00~
 会場:奈良県奈良市 常蓮寺
 料金:木戸銭(お布施で)
 出演:桂文昇、新幸、新治
 近鉄・JR郡山駅からイオンモール大和郡山までバス。そこから北へ800メートル

 「高松、スナックりょう、ありがとうの会。」

 4月5日(土)、高松日帰りで、スナックりょうの「50年ありがとうの会」に出席しました。仕事以外で高松へ来たのは、ここのマスター松原幹弥(まつばらみきひさ)さんのお葬式以来、二度目です。メインゲストに渥美二郎、サプライズゲストに松本明子(高松市屋島出身)、それに、桂こけ枝、女優の紅満子、私、お客さんも、クレメントホテル最大の飛天の間にぎっしり というにぎやかな会でした。私も含め皆、世話になった者ばかりが恩返しに集まりました。
 渥美二郎は、「夢追い酒」が売れずライオン通りをキャンペーンのためステージ衣装で歩いても誰も振り返らない頃、その歌声に惚れた亡きマスター(松原さん)が、自分の車にスピーカーをつけ街宣してまわり、当時ピンクの電話の傍に十円玉を積み上げ、有線のリクエストをし続けました。おかげで高松で「夢追い酒」がリクエスト第一位になり、そこから火がついて270万枚の大ヒットになりました。ご本人が舞台で「足を向けて寝られない恩人」とゆうてました。
 松本明子は、お父さんが演歌好きでお店の常連。子供の頃から家族で歌いにきてました。歌手になる時には、ママの松原昭子さんが、ステージママのようにお世話をしてました。そんなんで、皆、営業で参加したのではなく、思いを持って出席したのです。おかげで心温まる会になりました。マスターが亡くなり、その後も25年、損得抜きで、皆さんに喜んで貰おうと尽くしてきたママさんへのご褒美のような会でした。精一杯、自分の本分を勤め、笑顔を絶やさなかった50年。なのであれだけ多くの人が、自分の気持ちで参加されたと思います。
 「お客さま第一」を一筋に貫き、多くの人がその周りに集まったお幸せな人生。「世間は正直で、ちゃんと見てるなあ」と感じました。参加してほんまによかったです。余生(与生)をどう生きるべきか。教えて戴きました。りょう50年、そのうち45年のご縁に感謝です。

 「六代目桂文吾の「らくだ」を聴く会。」 (2025/4/6)

 4月6日(土)、京都は西京区の浄土宗西念寺さまへ、「六代目桂文語のらくだを聴く会」に。「らくだ」を完成させた四代目の桂文吾。そのお墓が西念寺にあります。そのご縁での六代目の公演。行って良かった! 番組は、「子ほめ」・月亭柳正、「らくだ」・桂文吾。
 文吾師匠は87歳、間もなく米寿。なんとパワフルな高座。そして圧巻の「らくだ」。袖で拝聴してて引き込まれました。何と1時間20分の長講。終わってみれば鳴りやまない拍手。「87歳で1時間20分のらくだ!」、すごい場に居合わせてしまいました。桂小文枝師匠も来られてて感心してはりました。
 一方、74歳になって「後期高齢者目前や。あと何年できるやろか」とぶつぶつゆうてる自分はほんまに小さい。「自分でゴールを決めるな」プロジェクトXで見た、世界一になったホンダの技術者の方の言葉です。ほんまにそうやと思います。(ぐずぐずゆうてる噺家の話なんか聞きたくない)
 上方には、橘ノ円都師匠の「89歳3カ月で高座」という大記録があります。新記録を目指して、ずっとお元気で前を走って戴きたいとおもてます。ほんまにすごいものを見せて戴きました。「元気、刺激」を戴きました。
文吾師匠、小文枝師匠と
 四代目文吾師匠のお墓。前に「見台」、その上には、「小拍子(こびょうし)」と湯飲みが。
文吾師匠、柳正さん、ご住職。

 「花祭コンサート。」 (2025/4/6)

 奈良吉野の佛國寺、岡ご住職から頂戴した甘茶。私は甘茶が好きです。ほんまに甘ちゃんですから。
 甘茶を飲んで出かけたのは、高校同期の三木應岳さんが住職を勤める、臨済宗難波寺(大阪市生野区)へ。三木さんは国立音大で学んだ音楽家。毎年、花祭コンサートを主催してます。いっぺん行きたいとおもてたのが叶いました。オープニングは和尚のひと吹き。演奏は「スピリットブラス」という管楽器中心のバンド。トランペットが二人、それに、ホルン、トロンボーン、チューバ、ドラムという構成。檀家さん、地域の人、皆さん常連で超満員!曲目は、客層(年齢層)に合わせ、「翼をください(赤い鳥)」、「太陽がくれた季節(青い三角定規、西口久美子、~昔々、司会をしたことあり。平凡パンチでセミヌード披露してたなあ。こうたがな)、「ピンクレディーメドレー」、「昴(目を閉じて、何も見えず~そらそやろ)」、「チエッカーズメドレー」、「青い珊瑚礁(松田聖子)」。最後は全員で「ふるさと」を歌ってお開き。来てよかった!仕事以外はほんまに外に出なかったが、ここのところ出っぱなしで、それが皆大当たり!️書を捨てて街に出よう!(書、読んでへんけど)。同期のもんで写真を撮ったんですが、後ろの花桃!️の綺麗なこと。そこへ桜が散りかかり、えもいえぬ風情。お寺が地域へ文化を発信し、自然と人がお寺へ集まる。そこで仏法にふれる。ええお寺です。いやええお寺を作って来たんです。好きな音楽を活かして。ええなあ!

 「書を捨てて、街に出よう」は、正しくは「書を捨てよ、町へ出よう」だとAさんから教えて戴きました。寺山修司の本の題名でした。私は正直そのことも知りませんでした。失礼しました。訂正させて戴きます。「書を捨てよ 町へ出よう」です。

 「地元の後輩、旭堂南照さん、大舞台へ! 」 (2025/4/9)

 私の出身地、大阪市生野区新今里町の後輩で、小、中、塾が一緒という旭堂南照(きょくどう・なんしょう)さん。天王寺高校から奈良女子大学卒という秀才で、町内のスターです。様々なキャリアを経て、四代目南陵に入門して15年。いよいよ大舞台に臨みます。
〇 旭堂南照「入門15周年記念感謝フェスティバル」
 日時:5月3日(土・祝)13:30~
 会場:国立文楽劇場(キャパ753人!)
 出演:南照、他豪華ゲスト多数。
 趣向も盛りだくさんの会。ぜひお運び下さいませ。
 南照さんの手ぬぐい。登り坂の芸人の気迫、熱が伝わってきます。

 「節談説教布教大会(近畿) 。」 (2025/4/10)

 講談、落語、浪花節など語り芸の源流と言われる「節談説教」の会へ伺いました。落語のマクラのようなくだけた話で笑いを誘い、身近なテーマや感動する話から、浄土真宗の教え、お念仏に繋げていく。聞き入りました。拍手はせず、「なまんだぶ、なまんだぶ」という受け念仏で感動を表す。会場全体に「南無阿弥陀仏」が響き幸福感に包まれました。昔、小沢昭一のレコード「日本の放浪芸」で聞いたことはありますが、実演は初めて。感心も得心もして、勉強になりました。会場は、奈良県大和高田のさざんかホール。桜が満開でした。

 「動楽亭、三日間。」 (2025/4/10)

 久しぶりの動楽亭の高座。「面割狂言」「鹿政談」「ふろしき」の三席を申し上げました。二日目の「鹿政談」で、思いもよらん間違いをしてしまい情けない限りでしたが、後の二日はちゃんとやれました。三日間皆勤の方や二日間来て下さった方もおられ、感謝しかありません。おかげで何とかやれました。改めて日頃の精進こそ全てやと思いました。応援して戴くありがたいお気持ちに、高座でお応えしていかねばとおもてます。

 「喜楽館、願生ってます。」 (2025/4/16)

 鉄瓶ウィーク、三四郎ウィークとお世話になりますが、勢いを感じます。この勢いがお客さん。呼ぶんですね。願生! この勢いのあるウィークと、ゴールデンウィークの特別興行にはさまれた狭間のような普通の五日間。そのうち四日間、出して貰います。勢いには欠けますが精一杯勤めさして戴きます。

 「ハルカス寄席、昼夜。」 (2025/4/17)

 4月17日(木)ハルカス寄席本興行。夜は繁昌亭で、ハルカス寄席(特濃)出張公演。お昼は「蔵丁稚(四段目)」、夜は「中村仲蔵(五段目)」を申し上げました。昼夜、追っかけてくださるありがたいお客さんへの、ささやかなご趣向です。一人忠臣蔵、気づいてくださった方もおられると思います。

繁昌亭「出張ハルカス寄席~特濃6~」

 4月17日は、昼夜ハルカス寄席で、トリをとらせて戴きました。一日に二つの寄席でトリは、噺家人生初の「偉業」。私の噺家人生の大きな一花とさせて戴きます。ありがとうございます。
 「喜楽館鉄瓶ウィーク。」 (2025/4/19)

 「主任自ら一番太鼓を叩き、気合十分。それに応えて下さるええお客様で盛り上がりました。トリは渾身の「八五郎出世(妾馬)」。大当たりでした。明日は千秋楽。またまた盛り上がると思います。
主任の鉄瓶さん自ら一番太鼓。

 「喜楽館鉄瓶ウィーク、楽日。」 (2025/4/20)

 喜楽館一番太鼓、打ち手は内海栄華師匠。盛り上げ係、新治。

(桂雪鹿撮影)
 楽日ということで、みんなでパチリ。鉄瓶さん、楽日は「らくだ」! 締めくくりにふさわしい熱演の「らくだ」。お客様も大満足。私は「竜田川、千早ふる」をやらして戴きました。こんな興行に用いて貰いあり がたい二日間でした。おつかれさまでした。あすから、桂三四郎ウィーク。またお世話になります。皆さん、ぜひ喜楽館へおこし下さいませ。

 「繁昌亭、花形落語家フェスティバル。」 (2025/4/22)

 4月22日(火)繁昌亭昼席、花形落語家フェスティバルは、笑福亭生寿師匠の日。生寿師はトリで「死神」を熱演。私は「鹿政談」をさせて戴きました。写真は、新ちゃん応援団からのお部屋見舞い。出方全員の名前入り三笠まんじゅう! ありがとうございます。

 「ほんまにええ流れの寄席でした。」

 自分が出ててゆうのもなんですが、今日の昼席は、ほんまにええ寄席でした。「来てよかった」とおもていただける流れ、中味やったと思います。個人的には、桂三実さんの自作「あの人どこ行くの?」にはまりました。大物の阪神の球場「SGLスタジアム」に行ってみたくなりました。「よおこんなん考えつくなあ!」上方にも新作のすごい人が現れました。頼もしい限りです。

 「喜楽舘・桂三四郎ウイーク。」 (2025/4/27)

 笑福亭鉄瓶さんに続いて、桂三四郎さんがトリを務める週。25、26日と二日間用いて戴きました。トリの三四郎さんは、自作の新作で堂々のトリ。そして文枝一門の後輩の皆さんのキレのいい新作。加えて26日は、五代目文枝門下の桂文三師匠が登場。六代文枝門下の三四郎さんからすれば、芸の上での叔父貴。ネタは「四人ぐせ」。これがほんまにすごかった。爆笑の名人芸。波打つように笑うお客席。滑稽話こそ王道。改めて思いました。22日の繁昌亭の生寿さんの会と同様、「落語には力がある」と思わせていただける会でした。そんな世界で高座に上がれる幸せを感じました。精進して臨ませて戴きます。
鏡に写っているのは、三語さん(右)、八十助さんです。

 「森乃阿久太さんを偲んで」

 4月26日は、森乃阿久太さんが亡くなった月命日(2024年11月26日没)。お客さまが、阿久太さんが東映の役者だったので、東映太秦映画村のお土産をお供養にと差し入れして戴きました。おかげで、皆で阿久太さんを偲ぶことができました。合掌

 「喜楽館昼席。」 (2025/4/30) 

 喜楽館アワード・三四郎ウィークとゴールデンウィークの企画もんに挟まれた五日間だけの変則興行ですが、出方全員一丸となってええ仕事をさせて戴いてます。今日の一番太鼓は、桂ぎん次郎さん。兵庫の豊岡に住み、往復3時間かけて喜楽館の高座、開口ゼロ番の10分にかける。粋なお客さま(明石、太陽酒造の「酒蔵寄席」の常連)が、「帰りの車中で」とお弁当の差し入れ。ぎんちゃん感激してました。私は、五日のうち四日出演。今日で二日ですが、二日とも来られた方が四人も! ありがたくて、ありがたくて、せめてお気持ちに高座でお応えしようと精一杯務めています。噺家人生、一花咲いたような幸せな気持ちです。あと二日と夜席の元気寄席。三高座、悔いのないように務めさせて戴きます。
TM様ご提供
撮影・提供、TYさん

2025年5月

 「喜楽館三日目。」 (2025/5/1)

 5月1日(木)、喜楽館昼席に加え、夜席「元気寄席」にも用いて戴きました。昼は「面割狂言」、夜は「竜田川」。昼夜ともお客様のノリがよく、特に夜席は、はじけさせて戴きました。自分でも、気持ちがハイになり、甚兵衛さんと私自身が混じりあい、古典落語かなんかわからんよおになってしまいました。あんな「竜田川」は初めてです。お客様と一体になり、わくわくしながら楽しんでしまいました。昼夜お越し戴く熱心なお客様もおられ、ありがたい限りです。ほんまに喜楽館は楽しい小屋です。他にはない喜楽館の良さ、楽しさが分かってきました。
一番太鼓の前説(TMさん提供)

 「喜楽館の楽屋でお稽古。」

 昼席と夜席の間に、露の眞さんとお稽古。桂八十助さんの一番太鼓の前説から、昼席トリ、お稽古、夜席トリと、長くて、充実の一日でした。自分は噺家やと気持ちよく思える一日でした。幸せです。

 「喜楽館千秋楽。」 (2025/5/2)

 喜楽館千秋楽。三四郎ウィークとゴールデンウィーク。企画ものに挟まれた地味な通常興行でしたが、私にとってはありがたい四日間でした。四日間皆勤のお客様が(私が把握しただけでも)3人もおられ、ありがたい限りでした。5月1日の夜席「元気寄席」と併せて五高座。精一杯、自分と闘いました。
 出方も逆境に強い(!)人ばかり。仁嬌、楽珍、鶴松、笑丸、眞、紫、希遊の各師。「さすがプロやなあ」と思わせるええ仕事をしてはりました。また開口ゼロ番からお客をわかす、八十助、笑有、ぎん次郎の皆さん。そして東京からオオタスセリさん! 永六輔が絶賛したと言う方。今回の出方唯一のメジャー。九条の会のメンバーでもあります。全国発売された「ストーカーと呼ばないで」を連日聞き、そのメロディーが頭にこびりついてしまったほど。お客様もあたたかく「今の喜楽館には熱がある」と感じました。
 私も手前味噌ですが、この四日間で自分が変わったような気がします。噺家として腹が座ったようなうれしい感覚です。「噺家になってほんまによかった、幸せやなあ」と思えました。楽屋でも飛び抜けて年寄りですが、「残りの噺家人生は楽しめるものになる」という予感があります。ほんまにありがたい日々でした。連日お支え戴いた方々に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。おかげで噺家人生、ささやかながら一花咲きました!
紫さんにメークをして貰う楽珍さんと、それを眺める仁嬌さん。

 「ハルカス(笑かす)寄席。」 (2025/5/3)

 大入りでノリのええお客様。枝鶴師匠が開口一番に回り、染吉さん、雪鹿さんと、完全にキャリアの逆の順番というハルカス寄席独特の出番。二部は、阿か枝さん、呂好さん、新治。どこもがゴールデンウィーク特別興行の中、ハルカス寄席をお選び戴き誠にありがとうございます。
桂雪鹿さん 桂枝鶴師匠

 「出番前の舞台袖映像。」 

 林家染八さんが「噺家の出」を撮影し、ユーチューブにあげてくれてます。よろしくお願い致します。
 【こちらからごらんください MORI】

 「旭堂南照さん、快挙達成!」 (2025/5/5)

 私のふるさと、大阪市生野区新今里の後輩であり、現在も今里在住で、今や今里のスター、講談師の旭堂南照さんがやりました! 5月3日、芸歴15周年記念公演で、国立文楽劇場の大ホールという大阪で一番の会場で、独演会を成功させました! 襲名披露でもない限り、なかなかできることではありません。普段は文楽の常打ちであり、師匠五郎兵衛の紫綬褒章受章の記念公演の箱です。まさに日頃の努力の賜物です。大概のことは「人ごとのように」嬉しい私も、自分のことのように嬉しいです。上方講談のニューリーダーの一人として益々の活躍を祈っております。

(左端の写真は、師匠、四代目南陵先生)。

 「ハルカス寄席。」 (2025/5/6)

 5月6日(火)ハルカス寄席、「ごんべえ狸」。昔はよおやってたんですが、気がつけば1年半ぶりでした。何とか出てきました。ハルカス寄席は、今のところネタを返して(ダブって)ません。どこまで続くか楽しみます。

 「明智寄席。」 (2025/5/11)

 岐阜県可児市、可児市文化創造センターにて、「明智寄席」。
 宝塚から夫婦で起こしくださった方、ニューヨーク!から里帰り中、たまたま親のお供で来た落語初見の方も含め82人のお客様。キャパ100人の会場ですから十分です。知名度のない私が、知り合い一人いない可児市でこれだけのことができたのは、明智光秀公研究会(可児慶志代表)のおかげです。紋が桔梗(ききょう)というご縁で興味を持って戴き、落語会開催という運びになり、私にとってはありがたい限り。笑い上手のお客様に乗せられ私自身が盛り上がってしまいました。
 楽屋には、桂蝶の治さん、登龍亭門助さん(新二つ目)も手伝いに来てくれ、助かりました。終わって研修室で交流茶話会。麒麟の会、岐阜落語を聴く会の席亭お二人も参加。各自一言ずつお話戴いたのですが、聞けば可児市以外の各地からお越しで「蒲郡落語会や大須演芸場、中津川の西生寺で見て」という方々もおられ、「25日の満徳寺寄席も行きますよ」と嬉しい声も聞けました。東海地方の落語ファンにじわじわと浸透してきている手応えを感じました。こんな感覚は東京以来です。ささやかながら「噺家として認められつつある実感」を感じました。嬉しいです。噺家晩年、ええ感じになってきました。ありがたいです。
 移動は、京都から美濃太田往復。往きは特急飛騨でしたが、帰りは、普通、新快速(実質各停)を乗り継いで京都まで。岐阜へ行くのは名古屋経由と思い込んでましたが、米原経由で新幹線を使わずに行けることが分かりました。おかげでかなり節約できました。過去岐阜には何十回も行ってます。もっと早く知りたかった。
【余談】 そおいえば、昔、大阪から奈良の実家へ移った頃、東京へ行くのに、それまでの習いで、奈良から新大阪へ出て新幹線に乗ってました。ところが帰りは、京都で降りて帰ってました。その度に窓口でチケットを買っていたので、東京からは京都で降りる気になるのです。それやったら往きも京都から乗るべきやのに、その不自然さに気づかず、何度も繰り返してました。ほんまにアホです。ある日「なんで行きと帰りで違うねんやろ?」と気づきました。「帰り、京都が近いんやったら、行くのも京都からのほうが近いがな」。やっと気づいてそれからは、西へ行くときは新大阪、東は京都から乗るようになりました。往復割引も使えるようになりました。10年間「新幹線は新大阪から」乗っていた後遺症です。自分ではちゃんとしてると思てても、すかたんやってることが多いですわ。まだまだある思います。
写真は、
世話人のわたなべ仁美可児市議会議員撮影。
TY世話人撮影。
登龍亭門助さん撮影。



このページのトップへもどる

トップページへもどる