新ちゃんの へらへら日記  


2009年4月〜2009年6月

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2009年 4月

(2009.4.1) 「五郎兵衛師匠の召天記念式のご案内」

 師匠、五郎兵衛が亡くなり丸二日経ちました。もう何日も経ったような気がします。
 
以後の仔細が決まりました。師匠は、キリスト教徒で、葬儀は密葬で、お別れ会として「召天記念式」をします。キリスト教では、死は天に召されたということで、もちろん穢れ意識はありません。実は師匠の娘婿さんが、牧師さんで、明言されました。ですから、息を引きとった直後、師匠を囲んで写真を撮りました。私の中にある穢れ意識が「遺体と写真を撮ること」に一瞬抵抗しましたが、すぐに納得して写真に収まりました。別れは悲しいことですが、笑顔で送ろうと「笑顔で」ポーズをとりました。
 「
召天記念式」は、4月14日(火)19:00〜、大阪市阿倍野の「やすらぎ天空館」で。お香典の類は辞退させていただき、祭壇をお花でうめる「供花料」を、お志で戴きます(会費ではありませんので、自由です)。戴いた方のお名前は、会場に張り出して謝意を表します。お申し込みは、上方落語協会、もしくは私のほうにお願いいたします。締め切りは4月8日(水)です。


   「最後の会話」

 3月16日、島根県浜田市のべっぴん寄席からの帰り、広島で「焼きたて熱々のもみじ饅頭」を買い、新幹線に乗りました。師匠は甘党で、特に「あずき関係」には目がありません。喜んでもらえると思い、いそいそと病院の前まできて、ふと思いました。師匠は、糖尿病もあり、インシュリンを打つ毎日。「箱ぐち渡したら、いっぺんに食べ過ぎて、体を壊したらあかん」と気づきました。
 その場で奥さんに電話しました。
「小分けにして、1〜2個渡しましょうか」「そんな心配いらんよ。だいじょうぶ、師匠はそんなに食べはらへんから」「?」
 そんなはずはありません。食事制限してい
た時、「御座候」を持って行ったら「至福のひと時や」ゆうてペロッとたいらげ、まだのど飴をなめた師匠です。半信半疑で持っていくと、師匠はほんまに、半分も食べずに残しました。「あれだけ甘いもんが好きな師匠が、もみじ饅頭一つを残しはった!?」ドキッとしました。
 その時、師匠とネタの話になりました。1月12日に奈良の音声館の寄席に出て戴き、十八番の「浮世床」でお客様を爆笑させた後、私の「鹿政談」をわざわざ、楽屋から舞台袖に出てきて聞いて戴きました。めったにそんなことは無いので驚きました。其の事を思い出し「あの時の鹿政談で、何かご注意をいただけますか?」と聞きました。
 すると師匠は即座に「奉行がおさまり過ぎ」と
一言。「松野河内守は、若手や。言わば新人のエリート官僚や。一方、鹿奉行、塚原出雲は地元のベテラン官僚や。親代々のな。若造ごときに、何がわかんねんと、なめてるわけや。そやのに、奉行があんな訳しり顔でおさまってたらあかん」と。図星ですから、何も言えません。ちょっと落ち込んで黙ってました。
 すると、間をおいて師匠が
一言「ワシも、初演の時にそう言われた。これからや。」「ハイ、ありがとうございます」次伺った時はもうそんな話ができる状態ではありませんでした。私にとってほんまに、ありがたい最後の会話でした。願生って、鹿政談を、私の十八番と言われるようにします。それが恩返しやと思います。


(2009.4.2) 「密葬、終わりました。」

 本日、師匠、五郎兵衛の密葬、とどこおりなく終わり、師匠は「お骨」になりました。30日に亡くなったので、昨日密葬の段取りでしたが、「友引という迷信」のため火葬場がお休みで、今日になりました。こんなところに、六曜が生きています。
 
葬式は予定の立たないものです。だから、火葬場も休めません。と、そこに「友引」がある。これは好都合とこの日を休みにします。すると、六曜を迷信だと思っている人たちも、結果的に、六曜に支配されます。仏式では、人が亡くなると、まず枕経をあげます。お坊様はどこにいてても、帰らなければなりません。ところが、友引の日だけは、呼び返されずにすみます。これは便利ということで、お坊様の泊りがけ研修会などは、まず友引に設定されます。そこへお話に行く私も、結局六曜に動かされます。不合理だと思っていても、それが「便利」だからです。要は、ご都合主義で、六曜が便利使いされているだけです。
 
今回は、師匠がクリスチャンなので、六曜どころか、穢れ感覚もゼロです。今日も最後のお別れに、各自、師匠とツーショットの写真を撮りました。亡くなって四日目ともなると、死を受け入れる心も整い、明るい雰囲気でした。しかし、納棺式になるとさすがに、悲しみがよみがえってきました。師匠は、黒紋付、羽織、仙台平の袴と正装です。右手に扇子、左手に手ぬぐい、必ず高座に持って出た、根付の付いた懐中時計もいれました。甘いものも、もう血糖値を気にせず食べて戴けるのでどっさり入れました。師匠が団姫(まるこ・団四郎門下の孫弟子ですが、最後の内弟子修行を大師匠、五郎兵衛のところでしました)に買ってきてくれと頼んだ「黄金糖」。これは、団姫が入れました。隣家の古い付き合いの前田さんは、「これを」と、大好物のコーヒーを。お花もいっぱい入れました。
 賛美歌を歌い、牧師様が祈りをささげ、最
後出棺の時に、出囃子「勧進帳」が流れた時には、何べんも、何べんも「ごくろうさまです」と送りだしたことが浮かんできて、涙が出てしまいました。
 
2時間後、師匠は、あっさり白い骨になっていました。これが死ぬということなんやと、改めてはっきり見せて戴きました。悲しく、寂しい、辛いことですが、私は、この四日間、人が死ぬということを、具体的にはっきり、しっかり見せて戴きました。そしてそれまでは生きているということも。最後の最後に大事なことを、身をもって教えて戴きました。師匠、本当に、本当にありがとうございました。


(2009.4.3) 「幻の高座になりました。」

 繁昌亭夜席、毎月25日の天神寄席。今回は、「露の五郎兵衛の七段目」と銘打った、久しぶりの一門会の予定でした。今となっては、これが追悼公演のような形になってしまいました。入院中だったので、仕事も減らしていましたが、5日の高槻市のジョイント寄席(席亭、主催者が師匠とは深い付き合いの方)と、25日の繁昌亭だけは入れてました。なんとか出たいと、28日には歩行訓練のリハビリまでしていたのですが、29日朝、急変しました。最後まで高座への意欲を失わなかったのは、本当にすごいと思います。

 「露の五郎兵衛の七段目」は、特に中入り後は忠臣蔵特集で、「四段目、蔵丁稚」・新治、「五段目、軽口にわか、山崎街道」・千橘、団四郎、そして「七段目」・五郎兵衛とつなぐ予定でした。師匠が亡くなったので、急遽、筆頭弟子の千橘師匠が七段目を代演し、最後に、一門が揃ってご挨拶をすることになりました。いわば、事実上の追悼公演です。どうぞよろしくお願いいたします。


(2009.4.5) 「聖福寺落語会、大盛況!」

 朝、6時起床で博多に向かいました。鶴橋駅に着いたところで、携帯が無いことに気づきました。家を出るときは確かにあったので、途中で落としたということです。前日も、「さるびの寄席」の打ち上げで、伊賀神戸駅前の居酒屋のカウンターに忘れ、ママさんが駅まで走って来る騒ぎに。なのに、それから12時間も経っていないうちにまた無くしてしまいました。もう自己嫌悪の固まりになってしまったのですが、例の「ウソでも笑おう」を実践。ホームで(あまり声は出しませんでしたが)斜め上を向いて「ワッハッ八ハッハ!ハッハッハ!」。これでなんとなくスッとして、「無いのは仕方が無い」と受け入れる気になりました。
 しかし、聖福寺のチラシ一枚持って出てきていないの
で、「博多駅筑紫口11:00」という、さん喬師匠との約束だけが頼りです。無事10:30過ぎに、博多着。筑紫口を出たところで待つこと数十分(?携帯が時計がわりなので、分かりません)、さん喬師匠と出会いません。「今頃、携帯にかけてはるやろな」と申し訳ない気持ちになりましたが、どうしようもありません。ふと見ると、小倉のAさんが地下鉄から上がって来られたのか、前を通られました。声をかけると「今から落語会に行く」とのこと。ありがたい。にこやかに別れましたが、さん喬師匠とはまだ出会いません。もう、これは、現場に行くしかないといものの、お寺の名前も分かりません。Aさんに聞いといたらよかった、情けない、と自分を責めかけた時、後ろから「新治さん!」と、ありがたい、さん喬師匠の声。「助かった!」。平謝りで、迎えの車に乗り込むと、世話人さん(さん喬師匠の熱烈ファンご夫妻)が「さっきからずーっと立ってましたネ」と言われました(敷居の低い芸人はオーラも無い!)。
 無事、日本最古の禅寺、専門道場、聖福寺に到着しました。驚いたのは、着くなりさん
喬師匠が、自ら椅子を並べる、高座への上がり口を作る、てきぱきと動くそのフットワークの軽いこと!これが、弟子を11人抱える、東京の落語協会の理事とはとても思えません。そして、はるか格下の私をきちんと扱ってくださいます。本当にありがたく、申し訳ない気持ちです。今回の出番も、前座無しで、さん喬師匠がいきなり上がると言われました。いくらなんでも、それはできないので、私が開口一番を勤めさせて戴きました。
 和服の、それ
もグレードの高い、おしゃれな着物のお客様が目立つような、いいお客様で、受けも上々。旧、新治会博多支部も、ほぼ100%動員、お部屋見舞いを持って駆けつけて戴きました。本当にありがたい。客席には、寄席の下座でいつもお世話になる、酔書さんや、「福広がり」の大三治さんのお顔も(大三治さんからは、ご丁寧にお部屋見舞いを戴きました。本当にいい人です)。
 私も楽しく、二席勤めました。そして、さん喬師匠の二席
「天狗裁き」と「妾馬(めかうま・八五郎出世)」をしっかり聞かせて戴きました。さん喬師匠の独演会は、「お中入りに、次回のチケットが売れる」人気ですが、「そうだろうな」と納得しました。落語の底力と言いますか、自分が丸ごと咄の世界へ持っていかれます。ですからオチでフッと我に返ったお客さまの拍手がすごいのです。「落語て、やりようによって、ここまで力強い芸になるのか」という驚きです。ファンの方は「天狗裁きで、さん喬師匠が天狗に見えた」と言われました。一方私は相変わらず「環状線で屁ェこいて、これがほんまの、平和(へーわ)」と、プーとかへーとか、格調も何にもありません。ものがだいぶ違います。
 「
妾馬」の時は、ご住職初め、たくさんの方が、目頭を押さえていました。ジーンとくるのも分かります。こんな師匠と「二人会」とは! これは、5月12日の繁昌亭夜席は、精一杯精進して臨まないと失礼だと改めて思いました。願生ります!


(2009.4.8) 「曹洞宗長円寺花まつり」

 奈良県御所市の曹洞宗長円寺花まつり。控えの間に、お茶とようかんが。ありがたいお接待を受けました。
 境内にて演奏会。
お天気は上々。青空に満開の桜。鶯の鳴き声、琴と尺八、桜の花びらが舞い降りてきて、それは優雅なひとときです。
 長円寺庭からの眺め。前がソメイヨシノ、後ろが八重桜。珍しく一緒に咲いています。はるか後方に霞んでいるのは畝傍山です。

お接待を戴く。

優雅な演奏会。

長円寺庭からの眺め。


(2009.4.14) 「召天記念式、終わりました。」

 すごい人でした。葬儀委員長、桂三枝上方落語協会会長。春団治師匠、仁鶴師匠はじめ咄家もたくさん。東京からも、さん喬師匠(嬉しい驚きでした)はじめ、咄家や寄席関係者が何人も来られました。他にも懐かしい顔々!キリスト教の告別式は、賛美歌や祈りで、充実感いっぱいでした。感動しました。無事にすんでとにかくホッとしました。明日からは、残務整理です。師匠五郎兵衛の大きさが改めてわかりました。
 
祭壇は、ものすごく豪華な花いっぱい。真ん中は十字架です。全て生花で、式の後、花束にして、お持ち帰り戴きました。


(2009.4.22) 「繁昌亭の新治寄席、完売御礼!

 嬉しいご報告です。5月12日(火)、天満天神繁昌亭夜席の第1回「夢★露の新治寄席 柳家さん喬・露の新治二人会」、完売となりました。本当にありがたいことです。さん喬師匠と、繁昌亭のおかげです。願生ります! 今は、25日繁昌亭の「蔵丁稚」の稽古が楽しくなってきました。正直あまり稽古は好きでないのですが、やはり稽古は大事だとわかってきました。(遅すぎますが)比べない、焦らない、怠けない(?)まあぼちぼち・・・。

寒梅で完売!


(2009.4.23) 「知り合いが病気に。」

 香川県で寄席のお世話をして戴いた知り合いから、「ガンが見つかって治療中」という連絡が入りました。もちろん、手術もし、放射線治療もしているのですが、もう一つ「民間療法」も積極的に試して、「絶対、死なない」と意気盛んでした。
 送られてきた冊子には、ガンも生活習慣病だから、根元から治してゆくという考えで、いろんな注意が載っていました。基本は、食生活の改善と、運動、睡眠、そして体を冷やさないことです。当たり前のことのように思いますが、できていません。成人病ではなく、生活習慣病と名づけたのは、そこに意味があるのです。(受け売りです)
 成
人病という言い方をすると、「年をとったからしかたのないもの」とあきらめがちですが、生活習慣病なら「自己責任」です。そして、(ガンで言えば)手術や抗がん剤、放射線治療は、間違った生活習慣の結果の病気に対処するだけで、根元を改めなければ再発、転移するということになります。ならば、生活習慣を改めて、ガンを治すというのは、生き方そのものの見直しになります。これはとても「いいこと」です。
 その方も、ライオンズクラブに入ってばりばり活動するような、(今の社会で)
上昇志向にあふれた人です。そして、なにごとも「きっちりやらんときがすまん」タイプです。そんなこんなの全てが、見直しを迫られます。つまりは、生き方や人生観、価値観までが問われるのです。死にさえしなければ(問題はここ一点ですが)、ガンも「気づきの場」かもしれません。


(2009.4.25) 「今日も雨です。」

 岡晴男の曲に「今日も雨だよ」というのがあります。ファンの間では、「今日雨」と言っていますが、先日の「召天記念式」に続いて雨です。たまたまのことですが。
 今
日は、兵庫県丹波市(柏原)で、解放同盟の大会で、お笑い人権高座を一席、そのあと、繁昌亭に向かいます。池田の春団治祭りは、欠席させていただきました。
 今日は、繁昌亭
主催の天神寄席ですが、事実上の追悼公演になりました。思えば「露の五郎兵衛の七段目」と銘打ったチラシも我々一門にとっては、貴重なものになりました。私は、熱い稽古をしていただいた「蔵丁稚・四段目」です。この稽古の模様は、またお伝えします。今思うと、つくづく、芸が好き、芝居が好きな師匠であったと、思います。願生ります!


   「尼崎JR脱線事故の日。」

 丹波、柏原(かいばら)への途中。今、尼崎駅を通過中に車内アナウンスがあり、今日があの、「尼崎JR脱線事故の日」と報されました。現場通過中には雨中、たくさんの方が集まっているのが見えました。しかし乗客は、顔もあげない人がほとんどです。ほんまに、情報洪水におぼれきっています。それだけ安心して乗っているわけですが、こんな安心しきって乗っているJRで死ぬとは、誰も考えていなかったでしょう。死ぬための準備も何もできず、一瞬にして、人生を終えねばならない悔しさ。実感できません。ほんまに、人生は生きてる間だけのもんです。ありがたく、存分に生きなければと思います。
 今日は、去年の1月25日に亡くなった、熊本の池田進先生の月命日でもあります。
合掌


   「繁昌亭に、五郎兵衛の看板が!」

 繁昌亭夜席、「露の五郎兵衛の七段目」は大入り満員、成功しました。私の高座で、サゲ前に下座が鳴りだすというハプニングがありましたが、それもご愛嬌とお客さまは鷹揚のお聞き取り。師匠を追悼するやさしい気持ちに終始満ちあふれた、あたたかい寄席となりました。


(2009.4.26) 「尼崎に来ています。」

 尼崎市議会議員の、「つづき徳昭(のりあき)さん」の後援会の集会に行って来ました。つづきさんは住友精密工業出身で、私が住友精密へ「お笑い人権高座」で伺っていたころ、何度も聞いて戴いています。新社会党所属で、護憲平和運動で志を同じくします。応援の方も紋切り型の挨拶は一切無く、つづきさんの実直なお人柄そのものの、終始あたたかい雰囲気の集会でした。私も好きなことをしゃべらせて貰いました。
 
つづきさんが今力を入れているのは、「公契約条例」。私も初耳です。国や自治体が契約や補助事業の実施に関し、今は価格だけが優先されますが、環境や雇用、福祉、公正労働基準などを総合的に判断して執行するための条例です。税金を使う時、安けりゃいいではなく、社会のためになる使い道、特に弱者のためや、福祉や人権確立に役立つ使い道をさぐろうという条例(だと思います)を、全国に先駆けて作ろうということです。官製のワーキングプアーを作らないためのものです。
 
「公契約条例はどこが先や?」
 「
尼が先や!」

つづきさんと。


(2009.4.27) 「ごしん。」

 診察室にナンバーが付いていて、第5診察室のことを「5診」と書いて、「ごしん」と読みます。


    「完売お礼第二弾です。」

 5月10日(日)、奈良県橿原市久米寺での「久米仙人寄席」が完売です。集約したところ、予想以上にチケットが出ており、完売どころか、はるかオーバーになってしまいました。椅子席ではなく大広間なので、融通はききますが、それでもかなりきつい状態です。今、客席を広げるf段取りをしています。
 会場が久米
寺という名刹で、今回久米寺にちなんだ「久米仙人」という新作を笑福亭純瓶さんにやって戴くということで、地元の期待が集まりました。本当にありがたいことですが、お客様には窮屈な思いをさせてしまいます。申し訳ありません。
 したがって当日
券は出せませんので、チケットをお持ちの方とご予約の方以外は、お入り戴けません。こんなことは今までなかったことです。申し訳ありませんが、ご了承くださいませ。


(2009.4.29) 「東雲寺晋山式、緊張する出番です。」

 東京都町田市、曹洞宗東雲寺の晋山式(住職継承法要)。梅香講の皆様による曹洞宗ご詠歌のなか、「おねり」の行列。曹洞宗僧侶にとって、一世一代の晴れ姿です。ご家族やお檀家さんの中には、感激のあまり泣き出す人もいました。法要はおごそかなもので、100人ほどのお坊様がズラリと並んだ時には、私も目頭が熱くなりました。
 その晋山式に、柚木祖元新命方丈様のお気持ちで、普通は無い落語家の一席という、前代未聞の出番が組まれました。それも、お説法をする高座にあがって。ありがたい限りです。

おねり
梅花講のみなさんの御詠歌
晋山式にて人権高座


2009年 5月

(2009.5.1) 「長野県佐久市へ。」

 東京都町田市の東雲寺から、長野県佐久市に来ました。いよいよ風薫る五月。薫風開花。これから、今回ツアー最後の高座。曹洞宗大林寺さまで、お話と落語、願生ります。
 
朝、ホテルの前の千曲川までぶらっと散歩。清流を満喫しました。ふるさとにこんな川があって長野の人は、誇りにされています。はるかに八ヶ岳の残雪が見えます。信州ならではの雄大な眺めです。
 ホテルで朝食をとっていると、職員の女性が「関西ですか?」話しかけてきました。なんと大阪の住吉区、それも長居の方。私も長居に3年居ましたので、話がはずみました。こういうことは、嬉しいことです。

遙かに八ヶ岳の残雪。
桜と残雪。
千曲川の清流。本当にきれいです。

(2009.5.6) 「繁昌亭夜席出演。」

 繁昌亭に出演しました。ゴールデンウィーク特別興業で、1日から6日間、一日三回興業。出番は最終日の最終回。さすがに満員にはなりませんでしたが、子ども連れもちらほらの、120人ほど。いいお客さまで、いい雰囲気でした。
 私は、12日に向けて「ちりとてちん」を用意して行きましたが、中トリで桂九雀さんが「青菜」をやり、何気なく聞いていて「咄が付く」ことに気付きました。テーマは違いますが、出入りの者が旦那さんに一杯飲ましてもらい、お世辞を言う場面が同じ趣向です。「ちりとてちん」は、「知ったかぶりする人間が、腐った豆腐を食べさせられる咄」で、「禁酒関所」や「相撲風景」と「付く」のは知っていましたが、まさか「青菜」と付くとは。
 普通は「子ども(の咄)」「酒」「泥棒」「動物」と、登場人物でネタが付くのですが、話の運びでネタが付くということがあります。例えば、「兵庫舟」と「鹿政談」。全く違うのですが、事件が起こり皆がガヤガヤ言うところが全く同じです。「巡礼の娘にフカが魅を入れた(兵庫舟)」「六兵衛さんが鹿を殺した(鹿政談)」が何度も繰り返されま
す。一月の奈良の新治寄席で、この二席を出していて、やっているうちに気づきました。
 以前、NHKの上方落語会で、私が「七段目」、ざこば師匠が「寝床」。芝居咄と滑稽咄ですが、どちらも素人が芸(歌舞伎と義太夫ですが)に病みつきになるパターンです。しかも「なんであんなん(フリーク)ができたんやろ」「おそらくたたりですやろ」という下りが、セリフもほとんど同じ。また、ざこば師匠には申し訳ないことに、出番が続いていました。これが寄席なら、ざこば師匠はネタを変えられるとこですが、公開録画でネタ指定ですから、どうしようもありません。誠に失礼をしてしまいました。私はまたうかつなことに、ざこば師匠の高座を聞かせて戴いて初めて「付いた」ことに気がつく始末。あまり、落語会に出ていなかったため、咄家の基本ができていませんでした。
 繁昌亭で遅まきながら、やっと勉強させて戴いている次第です。ほんまに、繁昌亭は、ありがたい場です。時間があったので、急きょ
紙入れ」に変えてやりだして、目の前に子どもがいることに気がつきました。アチャーでした。ほんまに、繁昌亭は勉強になります。【「ネタが付く」とは、一つの落語会でよく似た咄をすること。同じ様な咄は避けるのが、寄席の習わしとなっています。(MORI)


(2009.5.7) 「宝寄席の大枠が決まりました。」

 7月18日(土)19:00〜、奈良県吉野山の「宝の家(ほうのや)」さんで、第9回「宝寄席」が開催されます。出演は、新治ほか、豊来家玉之助(太神楽)、「つく枝」改め「五代目・桂文三(ぶんざ)」、名人の名跡復活です。ご期待ください!


(2009.5.8) 「ゲットしました。」

 昼から家にいたら、繁昌亭の問い合わせの電話がありました。補助席のことが載っているかどうか、念のためホームページを久しぶりに開いたら、なんとキリ番をゲットしてしまいました!豪華な粗品は辞退させて戴きます。文福師匠も見て戴いているようです。


(2009.5.10) 「久米仙人寄席は、大盛況!」

 5月10日(日)、奈良県橿原神宮前の久米寺での「久米仙人寄席」は、3回目にして270人の超大入り。キャパが200の座敷でしたから、楽屋の襖を外して椅子を並べ、座って戴く始末。お寺の広間を寄席にするのは、一苦労です。終わったら、また片付けなければなりません。世話人の方々は前日から準備して戴きました。事務局長の森川さん(女性)のご家族は、母の日のプレゼントとして、家族総出で協力してくれました。
 一つの寄席ができるには、本当に多くの方々のお力がそこにあります。香川県の大内と綾川。大阪府大東市。博多。島根の加茂町と浜田。南、献身的な方々のお力に支えられています。本当にありがたいことです。これを、当たり前のことと思ったら、バチが当たります。お気持ちにこたえるには、精進しかありません。願生ります!

露の団姫「松山鏡」


(2009.5.12) 「第一回 夢・露の新治寄席」

 私にとって繁昌亭で初めての寄席は、おかげさまで、補助席まで出る大入りで幕を開けさせて戴きました。独演会とせず「さん喬・新治二人会」とさせて戴いた効果は抜群で、今までに無い「電話問い合わせ」が何本もありました。今までの独演会は、お客さまのほとんどが世話人や私の知り合い。つまり、しがらみにすがって成立していました。それが今回は、落語ファンにアピールしたのです。もちろん問い合わせの全ては、さん喬師匠に関してでしたが(タアー!)。
 会そのものは、手前みそにな
りますが「いい会」だったと思います。今までの独演会も精一杯取り組んできましたが、今回は一味違いました。普段やりなれている「ちりとてちん」を、あれだけ稽古したのは初めてです。結果は、それほどいいとは思いません。稽古したことにとらわれて「硬く」なってしまいました。ふだんの勢いがなく、決して満足なできではありませんでした。鹿政談も同様です。けど「それでよかった」と思っています。それが今の私の力です。きちんと稽古したことはいつか力になると思います。心を落語に向けて戴いたさん喬師匠に感謝です。繁昌亭に感謝です。そして、死なれてみて分かった、師匠・五郎兵衛から戴いた「おかげ」です。今しみじみ「ありがたい」と思います。
 「術後満五年」の自分なりの節目にと思い計画した会を、このようにいい形に
して戴いた私は、本当に「幸せ者」です。当日お越し戴いた人はもちろん、ご都合悪くお見えになれなかった人も含め、心を寄せて戴いた全ての人にありがとうを申し上げます。甲状腺は無くなりましたが、向上はします。戴いたご恩に対して、それこそ「向上せん」と失礼です。願生ります。
 今回、第一回としましたが、第二回は今
のところ考えていません。私がもっといい咄家になれたら、また考えさせて戴きます。その日をめざして願生ります。中国語落語と、繁昌亭での「夢・新治寄席」。私にとって大きな夢が二つ形になりました。何をやっても中途半端だった私としては、上出来です。咄家になってしみじみよかったと思っています。ありがとうございます。


(2009.5.16) 「麦秋。諫早にて。」

 繁昌亭の出番をお休みして、長崎県諫早に来ています。保育園の先生がたの大会で、お話をさせて戴きます。麦が実っていました。麦秋。きれいです。この麦は、ビールになるそうです。


   「世間は狭い!」

 うちの向かいにお住まいの、弁護士のO先生。先日の繁昌亭「夢・露の新治寄席」にも、ご夫婦で来て戴きました。大阪弁護士会の副会長もされた方で、旅、温泉、グルメの達人。朝日新聞に連載もされてます。いろんな会を主宰したり、参加されていますが、旅クラブというお歴々が集まる会が東京、椿山荘であり出席したら、なんと!さん喬師匠が登場!旅にちなんだ話ということで「抜け雀」をたっぷり。先生、わざわざ電話をくれて「うまいねェ、すごいねェ」を連発(因みに私はほめてもらったことがありません)。やっぱり、ほんまもんはすごい。そんな、さん喬師匠と二人会ができた私は、幸せもの。しかし、さん喬師匠も、12日に繁昌亭に来た方が、まさか椿山荘の客席におられるとは、サプライズだったと思います。


  「鹿ともみじ」

 今、新幹線の中でうとうとしてたら、乗務員さんが「広島銘菓、もみじまんじゅうはいかがですか」と売りに来られました。「師匠、五郎兵衛に買って帰ったなぁ」とぼんやり見送りながら、ふと気付きました。3月15日に、もみじまんじゅうを師匠に持って行き、鹿政談の話をしました。結果、これが師匠と最後の会話になったのですが、考えたら「鹿ともみじ」です。出来すぎです。12日の繁昌亭、さん喬師匠との二人会に「鹿政談」を出したのは、師匠との最後の会話があったからですが、今、もう一つ、縁を思い出しました。
 実は、師匠、五郎兵衛が、唯一さん喬師匠につけた(お稽古をした)ネタが「鹿政談」なのです。東京上野、鈴本演芸場に出ていた時、さん喬師匠がお稽古に来られました。確か、地下の和室での稽古でした。そして私は、なんとそのお稽古に同席しているのです。今思えば、実に気合いの入った稽古でした。そこに居合わせることができたのは幸せなことです。そのことを忘れて、「鹿政談」を選んだのです。何か不思議な縁を感じます。「鹿政談」は私にとって、忘れられな
いネタになりました。


(2009.5.17) 「つく枝改メ、五代目、桂文三。」

 桂つく枝師匠が、五代目、桂文三(ぶんざ)を襲名しました。大名人と言われた名跡の復活です。上方落語界に新たな大看板ができました。7月18日(土)の、吉野、宝寄席にも出て戴きます。文枝一門の、特に「こけ枝、つく枝」の両師にはお世話になりました。心からお祝いを申し上げます。


(2009.5.21) 「曹洞宗の僧侶の胸に光る、狭山バッジ」

 曹洞宗の皆さんにお話に来ましたら、胸に狭山バッジが燦然と光っていました。私はつけるのを忘れてきました。近ごろは、解放同盟の人でも、見かけません。人のことはともかく、自分がちゃんとしなければと思いました。


(2009.5.23) 「高山にて 芸達者な人」

 高山市瑛芳寺様の前住職卆寿、前坊守(住職夫人)米寿のお祝い会に出演しました。その時、お座付きのご祝儀舞を舞われたのが、お檀家の廣野眞美さん。舞のあとは、三味線を持って地方に。さらに酒宴になると、客席を「似顔絵」を書いて回る。私も千田さんも画いて戴きましたが、鮮やかなものです。僅か1分ほどの早業でした。おまけに、歌まで出してはります。
 各地を回らせて戴くと、このよ
うに、芸達者な方がおられます。「芸人」と自称しながら、しゃべるだけの私は、こういう人を見ると尊敬の気持ちを抱きます。踊りも三味線も一応かじりましたが、とても人前で披露できるようなものではありません。まして、仕事に使えるなんて、「夢のまた夢」です。しゃべるだけの私を、芸人として遇して戴けるありがたさを忘れず、精進せんともうしわけありません。
 写真は、廣野眞美さんのCDジャケットで、曲
は「愛の里・白川郷」「翔べない蛍」「誘われて飛騨」の三曲。爽やかな美しい声で、地元飛騨高山の情緒を伝えています。

広野眞美さんのCDジャケット。 廣野さんに描いて戴い似顔絵。

(2009.5.24) 「岐阜県高山市仏教会 花まつり」

 名古屋からJR高山線で、中山七里の美しい渓谷を楽しみながら高山へ。お釈迦様の誕生を祝う花まつり。高山では、4月に大きな祭りがあるので、5月になっています。お釈迦様のお母さん、マーヤの夢に象が出てきて懐妊されたそうです。それで白象があるということらしいです。千田やすしさん、豊来家玉之助さん、新治で、花まつり法要の後、寄席をしました。
 
寄席の後は、団子まき。団子まき。中にくじが入っているので、大盛り上がり! 

中山七里の渓谷美
白象
団子まき
右から、千田やすし、(ひかるちゃん)、新治、豊来家玉之助

 すべてが終わって、出てきたお客さまに、玉之助さんの「おまけの一芸」。迫力十分です。


(2009.5.25) 「京都の智積院 またまた狭山バッジが。」

 真言宗各山会という、真言宗の各派のお集まりがあり、その研修会です。各派といっても、人数は120人ほど。自分の情けない部分も晒しながら、笑って戴き、共に考える、そんなお話をめざしました。なかなかうまくゆきませんでしたが、皆様鷹揚に受けとめて戴き、なんとか勤めることができました。ありがたいかぎりです。会場には、同宗連で顔見知りの高野山の方、豊山の方もおられました。

 真言宗各山会の講演会に来られた、宝塚の佐々木ご住職の僧依の胸に、狭山バッジか! 伺うと、宝塚狭山市民の会の代表をお勤めとのこと。この佐々木住職、実は宝塚高校時代、落語研究会(らっけん)で、私の兄弟子の慎悟師匠の同期生。師匠、五郎兵衛宅に高校生の頃から出入りされていて、はるかに先輩。師匠の娘さんたち(露のききょうさん、妹さん)がよちよち歩きの頃をご存知です。先日の召天式にも駆けつけて戴きました。ご縁は実におもしろいものです。


   「長徳寺寄席と宝寄席のお知らせ」

 6月14日(日)の長徳寺寄席は、開演が14:00に変更になりました。木戸銭は1000円です。番組は、「開口一番」・団姫(おばあさんが浜松在住)、新治、さん喬、お中入り、新治。「さん喬」ネタは未定ですが、新治は「兵庫舟」「猿後家」「蔵丁稚」あたりを考えています。
 アクセスは、「浜松駅バスターミナル(新幹線改札を出て右)15番乗り場
より、43番金指・気賀行き、44番、渋川行き、45番奥山行きで約40分、百園(ももぞの)下車。来た道路を渡り、食品スーパー、アミカと、浜松信用金庫の間の道を東へ、スグ。

   「宝寄席に「千田やすし」お祝い出演決定!」

 7月18日(土)、宝の家(ほうのや)の「宝寄席」に、腹話術の千田やすし師匠が、文三襲名お祝いに駆けつけてくれます。太神楽で目を瞠り、腹話術で爆笑、そして、五代目、文三の噺を堪能して戴く。お客様には大変お得な寄席になりそうです。寄席のみは木戸銭1000円。お食事、宿泊は、直接予約をお願いします。宝の家のHPはこちら。


(2009.5.27) 「大東市でお笑い人権高座」

 大阪府大東市の市民会館で、企業の方80人ほどを対象にお笑い人権高座。熱心に聞いて戴きました。終わって、懇親会にも参加。市長の隣でビールを戴き、久しぶりにいい心もちで帰宅しました。


(2009.5.28) 「なかなか忙しい一日。

 今日はなかなか忙しい一日でした。朝、奈良少年刑務所でボランティア。午後は、大和高田の、じばさんセンターで、奈良県栄養士会の総会。午前中からの会合にも拘らず、たくさん残って戴き、大感謝。いっぱい笑って戴きました。終わって、久米仙人寄席の世話人会事務局長Mさん(この方も栄養士で県職員。仕事はこの方のお世話)と、高田御坊、専立寺(せんりゅうじ)様に。ご住職が、教悔師をされていて、ボランティアのお付き合い。6月の東北地方、刑務所見学ツアーもご一緒する間柄。「ここで寄席を」という話が持ち上がり、ご挨拶をかねての参詣。秋には実現しようということで盛り上がりました。


(2009.5.29) 「今日はいよいよ、電通本社です!」

 東京に向かっています。私にとって、中国語落語、繁昌亭新治寄席と並ぶ、今年の最大イベント、電通本社での講演です。本当にありがたいことです。電通様は本当に懐の広い会社で、前回の大しくじり、大失態、大迷惑を顧みず、再度チャンスを与えて戴きました。お詫びの気持ちで一所懸命勤めさせて戴きます。
 とはいえ前回の失態は心に深く残っていて、昨夜も『またすっぽかした夢』を見ました。もう泣くしかありません。前回、月を間違えて失敗した私は、お詫びに電通本社まで行きました。前日は横浜で仕事だったので、横浜駅前で泊まり、満を持して「新幹線」で東京へ。気が上ずっていたのです。東京駅から、新橋と反対側のそれも快速に乗ってしまい、とんでもない所まで行ってしまいました。車内でもう錯乱状態、半泣きです。恐縮の固まりとなってようやく辿り着いた私を、担当部長で私を推薦し、副社長まで出席の段取りをし、満を持して臨み、私のせいで面目丸つぶれにされたW林さんは、優しい描きで迎えてくださいました。当日、電通の仕事をすっぽかす芸人がいるという発想
はありません。開演まぢかになっても私が現れないので「事故で遅れている」と思ったそうです。それで、副社長が陣頭指揮をとり、各入り口に役員を立たせ、自らも立って私を待って戴いたとのことです。もう、申し訳ないの極致です。
 最後に私は伺いました。「あの時はどんなお気持ちでしたか?」 W林さん、さりげなく「一年分の汗をかかせて戴きました」 ヒエーっ!私は入る穴を捜しました。そんないきさつにも拘らず、再度ご依頼を戴いたのです。
 私は、人のお世話にならずに生きていきたいと思ってきました。けどお世話にならないどころか、いろんな人に迷惑をかけて生きてきたことがよくわかります。これから、少しでも、お返しができたらと思います。何を持ってお返しできるのか。やはり、話して、しゃべって、笑って、喜んで戴くしかないと思います。なかなかお返しできませんが、ありがたく生きさせて戴いている身を感謝して、できるだけ願生ってみようと思っています!願生!


(2009.5.30) 「奈良→大阪→奈良→大阪

 奈良市立東老春の家に、奈良万年青年クラブの総会アトラクションに来ています。ぽんぼ娘さんと二人で1時間。なぞかけなど二人で大喜利も。

桂ぽんぼ娘、立ち高座。お客様、大喜び!


 それから大阪に向かい、西区桜川のカフェミローでカフェ落語会。「飛び入り出演、十徳」・ぽんぼ娘、「道具屋」・雀太、「田楽食い」・さん吉、「ちりとてちん」・新治、中入、「腹話術」・千田やすし、「ごんべえ狸」・新治。


 終わって着物のまま、また奈良へ。新大宮のロイヤルホテルで、奈良市従業員労働組合50周年の大会で、ミニ記念講演をしました。オープニングは若草太鼓。奈良市従労組50年を振り返るスライドショーで、最後にインターナショナルが流れました。時代に流されるのは仕方ありませんが、志を持ち続けることもできるんだと教えて戴きました。 ♪起(た)て!飢えたる者よ、今ぞ日は近し。醒(さ)めよ、我が同胞(はらから)、暁は来ぬ♪ 願生りましょう!

若草太鼓
奈良市従労組50周年

 終わって、またまた、大阪カフェミローへ。夜の部のライブを見て、合同の打ち上げに参加します。


2009年 6月

(2009.6.1) 「本堂満員。ありがたい!」

 真宗大谷派西生寺(さいしょうじ)様、ご本堂満員のお客様。こういうところでは、120パーセントの力を発揮する我々。えぐりにえぐって、快笑、快笑、大爆笑。一部は「新ちゃんのお笑い人権高座」、二部は「腹話術と落語」「二人大喜利」。

本堂満員のお客さん
千田やすし師

(2009.6.2) 「今日から七日間、東北地方です。」

 京都駅で「萩の家」の弁当とお茶も買い、満を持して新幹線に乗り込みました。今日から七日間、東北地方の旅です。全てがお仕事ではありません。4〜6日は、刑務所篤志面接員の研修旅行です。その前後に、お願いして仕事を入れて戴きました。芸人というのは、ありがたい稼業です。まずは、今日17:00〜仙台の徳泉寺様です。私の都合に合わせて戴いたご住職のお気持ちをありがたく戴き、願生ります!
 
余分なことですが、篤志面接員(篤面)研修旅行は、当たり前のことですが、全部自前です。ある人が「ご招待の視察旅行ですか?」と聞かれたので、「そういう風に見る人もあるんや」と思いました。はっきり言って、国や企業などから、一円の補助も寄付も戴いてません。もらっていません!もらっていないのです!というよりくれません(欲しいんかい!)。まあそんな訳で、仕事と研修旅行、楽しく願生ってきます。


(2009.6.4) 「決め付けたらあかん!」

 仙台、徳泉寺にての高座。5時からという時間帯にも拘らず、80人超で満員御礼! お笑い人権高座も絶好調。
 休憩を挟んで落語一席。ネタは悩んだ末、珍しいほうがいいと思って狼講釈をしました。仕込みのところが、あまりおもしろくない話。なんとかお客様に引かれず進めてきた時、前の方の女性が後ろの人にアメを配りだしました。そのまわりがざわついています。「アメを配るんやったら、休憩の時にしといてえなぁ、たまらんなぁ」と思いながらも、集中力を落とさず語り終えました。以前ならそんな時絶対に「おいしいですか?」とかゆうていじっていました。
 終わって懇親会。たまたまその女性と同じテーブルにつきました。「落語を聞いたのは初めてでした。面白かった。よかったです」とほめてもらっても嬉しくありません。一言言いたくなって「アメを配ってはりましたねえ」と切り出しました。「そうなんです。後ろの男の人が低血糖で、アメ、アメと言われて。ちょうど持ち合わせがあったんで渡したんですよ。喜んでおられました。」 そうやったんか!いらんこと言わんでよかったあ!もしそのおじさん
が倒れてたら、救急車騒ぎになり、落語どころではありません。考えたら、助けて戴いたわけで、その人をいじったら、お詫びのしようがないところでした。人は上っ面だけで判断したらあかん!貴重な経験をさせて戴きました。


(2009.6.5) 「宮城刑務所・東北少年院訪問」

 宮城刑務所を訪問しました。西南の役で薩摩軍の兵(政治犯)を収容するため、近代建築をとりいれて作られたものです。凶悪犯罪で重刑の受刑者が多く、年齢層も高い。その分、引き受け人が無く、仮釈放も難しく、満期釈放後の社会復帰も難しい。結果、再犯につながる。無銭飲食でまた刑務所に戻ってくる者もいる。刑務所が最後のセーフティネットになってはならないと思いました。
 東北少年院も訪問しました。全員、珠算が必修です。わずかの期間に、二段まで取った者もいるとのこと。木工や自動車整備などの、職業訓練の現場を見学しました。職員、篤志面接員などの民間協力者がうまくかみあって、再犯防止に向けて力を合わせて取り組んでいるという感じがしました。熱い思いがあります。活発な意見交換会を終え、今日の泊まりの鳴子温泉へ向かいました。ちなみに、熊本の(故)池田進先生は、「熊本刑務所篤志委員」として、受刑者にそろばんを教えていました。


   「雨の松島、瑞巌寺(ずいがんじ)」

 瑞巌寺は、門の向こうに海。なるほど「前は海、後ろは山」です。瑞巌寺裏庭には、菖蒲が咲いていました。ガイドのおじいさんがおもしろかった。参道横の道をさして「昔、松尾芭蕉が通った、いわゆるこれが奥の細道、今は舗装されて、奥のほそう道(笑)」。

宮城刑務所
瑞巌寺参道

瑞巌寺裏庭

 日本三景のひとつ、松島は雨でした。

名勝、松島、雨にけぶる。

松島湾名物、仁王島


(2009.6.6) 「厳美渓から清涼院へ。」

 鳴子温泉から平泉へ向かう途中に、金成というところがあります。気持ちのいい地名です。文字どおり金が豊かにとれた所で、金売り吉次の出身地です。

 毛越寺(もうつうじ)に寄りました。中尊寺と並ぶ名刹です。庭園は雨が風情を添えて、誠に美しい眺めです。

 厳美渓(げんびけい)の、郭公(かっこう)団子。お金を入れて合図をすると、渓谷の向こう側から、団子とお茶が届きます。

 厳美渓に、清凉院の副住職が迎えに来て戴き、車で1時間半。今日の公演会場、曹洞宗清凉院様に到着。ものすごく広いお寺で、観光客が来てもおかしくないたたずまいです。これからここで願生ります!チラシも発見しました。「露の新治師匠来山」とあります。

舞台設営完了。前の台でお笑い人権高座。後ろの高座で落語をします。定員120。果たして何人来て戴けますか?

 普通は、名ビラ立ての上は「入る」の字になっていますが、その上に「大」の字が!「大入り」になっています。世話人の意気込みというか熱意というか、ともかくありがたい。

 定員120。大雨警報が出る中、果たして何人来て戴けるのか?と思っていました。ところがフタを開けてみると、満員の120人。スタッフが15人、計135人の方が本堂を埋めてくださいました。お笑い人権高座1時間と、落語「ちりとてちん」。会心の高座となりました。ありがたいかぎりです。
 
お中入を20分とたっぷりとって、お茶会。お中入に、ケーキとコーヒーが!これも盛り上がりました。


(2009.6.7) 「宿用院一人会。こちらも満員御礼

 昨日は海鳴りがやかましいほどでした。今朝散歩に出て訳がわかりました。こちらは、お世話になった民宿なぎささん。そのまま振り返るとこの風景です。

民宿「なぎさ」
振り返ると・・・

 そして50歩、歩くと・・・海鳴りがやかましいのも道理です。宮城県本吉町大谷海岸。いいところです。民宿も浜辺も、私一人でした。

 海を満喫して、なぎささんに帰ってくると、おかみさんたちがウニをさばいてました。どうぞと勧められました。

民宿「なぎさ」
振り返ると・・・

 洗濯機の上ですが、ありがたくありがたく戴きました。臭みもにがみも全くなく、ほのかに甘い、極上の味わいでした。今回の旅は、かなりいい旅館に泊めて戴きましたが、文句なしに、ダントツの一品でした。本当においしかった!

 そして、朝食のテーブルにつくと、またウニが!ありがたく、ありがたく戴きました。なんと、まだ動いています!

 山形県西村山郡河北町、曹洞宗宿用院様。100人以上(未確認)とにかく満員御礼!お笑い人権高座と、落語「ちりとてちん」、よくお笑い戴きました。私のお願いで実現した一人会。たくさんお集まり戴き大感謝、本当にありがたいです。今日もビールがおいしかった!


(2009.6.8) 「山寺」

 昨日は天童市のビジネスホテルに泊まり、今、山寺駅から仙台へ各駅停車の旅です。電車は緑のトンネルのの中を走っています。写真は山上にあるお寺。有名なお寺と先ほど聞き、発車まぎわに撮りました。周りは本を読んだり、書類に目を通したり。旅気分で乗っている人は私だけのようです。車外は圧倒的な緑です。

(松尾芭蕉が奥の細道で「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」と詠んだのが、山寺と言われています。MORI註)


   「青森県仏教会 釈尊降誕花まつり」

 八戸経由で青森に。東本願寺(大谷派)明誓寺様を会場に、県仏教会主催の「花まつり」にて講演しました。タイトルはなんと「お笑い仏教講座」。正直びびりましたが、お客様に助けられなんとか勤めました。「天上天下唯我独尊」を「自分の人生、自分が主役」と結びつけて話せたのは、自分なりにヒットだと思います。終わって、曹洞宗のお尚さまも交え懇親。清め塩やお葬式についていろいろ教えて戴き勉強になりました。
 
本来、花まつりは4月8日ですが、諸般の事情で6月に。明誓寺様は、庭が見事でした(写真を撮り忘れてしまいましたが)。「お笑い仏教講座」というのは、多分打ち合わせの時に、「花まつりやから、そうしといてください」と言ったのでしょう。ええかげんで、なんでもしゃべるおっさんです。


(2009.6.8) 「青森から十三へ。」

 青森県仏教会が用意して戴いた帰りの飛行機はなんと「クラスJシート」!新幹線で言えばグリーンです。初めての経験。席はゆったりとしていて、飲み物の注文を聞く時満面の笑みで「露の様!」と呼んで貰えます(別に他意はありません。そこから付き合いが始まる訳でもありません)。アメを配る時も「露の様!」。扱いの違いはそれくらいです。
 問題は、グリーンなら別車輌ですが、飛行機はすぐ後ろに一般席があることです。露骨な「差別化(差異化)」。そちらの方に気を遣ってしまいます。以前、某議員とその取り巻きが親睦旅行に行くのと乗り合わせた時、ここへ座っていたのを思い出します。やはり「ええ身分やな」とひがむ気持ちを押さえられませんでした。身銭を切って乗っているんやから、とやかく言うこともありませんし、こちらの勝手なひがみですが、こういう商品の差別化は、いいことではないと感じました。

 伊丹に着き、ふと思いついて第七芸術劇場に電話。なんと14:40から「小三治」を上映とのこと。以前、岐阜県の中津川から帰って見ようと考えていたら、午前中一回の上映でみられませんなかったので、我が身の幸せを感じました。この映画は、何十年ぶりに見たいと思った映画で、柳家小三治師匠のドキュメンタリーです。
 十三の第七芸術劇場は、「靖国」を上映した気骨のある映画館とのこと。行ってみると、昔、尿道結石でモルヒネを打ち、控え室でのたうち回りながら高座を勤めたビルの六階です。あのホールはなくなっていました。映画は、期待どおり。今もまだその余韻が覚めません。自分が同じ世界に身を置くからかもしれませんが、「見てよかった」と言うより「落語家(咄家)であってよかった」と感じました。当代一の咄家の口からメモをとりたいような言葉が次々と。
 「言葉よりも人のこころありき」。この言葉にグッときました。これは、小三治師匠の師匠、五代目小さん師匠が常に言っていた「芸は人、人間だ」というのとつながります。言葉としてはシンプルですが、深い深い言葉です。ちょっとは分かる年になってきました。推薦文に「高座の小三治のクローズアップが最高に美しい」とあります。キムタクならわかりますが、この顔のどこが「美しい」のか? 見て、ちょっとわかりました。美しいという言葉は、幅も深みもある言葉ですね。
 小三治師匠は本当にいいお顔をしてはりました。
本当に見てよかったです。


(2009.6.10) 「奈良少年刑務所にて『鹿政談』」

 奈良少年刑務所にて落語をしました。篤志面接員としての全体講演でしたが、去年から前半に落語をしています。去年は、ちりとてちん。受けませんでした。縦横に看守が見張り、私語はもちろん、歓声も禁止。おまけに、体育館に700人。致命的なのは、受刑者のお客様が若い世代で、私のセンスが完全にズレています。それで開きなおって、元々笑いの少ない「鹿政談」を、分かりやすく説明をいれながらやりました。結果は◎(だと思う)。終わっての拍手に手応えを感じました。時代物とはいえ、裁判の話ですから、興味深かったのかもしれません。その後、宮崎刑務所、東北少年院の話などを柱に、人権話。研修旅行が活きました。
 長旅不在中の用事が山のように待っていてくれたのを、夜中まで願生り、明日は三重県鈴鹿市の玉垣小学校で、保護者にお話です。ありがたく願生ります!


(2009.6.11) ありがたい!」

 三重県鈴鹿市立玉垣小学校。校区の幼稚園3園、小学校3校、中学校1校、そして鈴鹿市。人もお金もかき集めて戴きました。人数は210+関係者。よく盛り上がりました! 写真は、たくさんの領収書。いろんなところから、捻出して戴きました。このお気持ちがほんまにありがたい、ありがたい! しみじみとありがたさを味わっています。


「全同教大会に出して戴きます!」

 私にとって今年最大のイベント(中国語落語、繁昌亭新治寄席、電通本社人権講演)は全部済んだと思っていたら、またまた大きなイベントです。全同教三重大会に出していただきます。全同教大会出演は、奈良、宮崎に続きこれで三度目です! 世間に知られていない一落語家の私にとって、これは大きな誇りです。シンポジウムという形で、他の皆さんはそれこそ専門家で、人生をかけて、同和教育、解放教育に取り組んでこられた人ばかり。皆さんの邪魔にならないように、雰囲気を盛り上げる役目と心得、願生ります! 本当にありがたいかぎりです。皆さん、11月29日(日)はぜひ、三重県四日市市にお越しください!

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(2009.6.12) 「喜連西小学校で、落語教室。」

 今日は、小学校で講演ではなく、落語を「教えに」行きます。さて「教えるべき中身があるかどうか」です。どうなりますことやら。正座、お辞儀、手拭い、扇子の説明からやるつもりです。私の勉強になると思います。ありがたく、願生ります!


 四年生、2クラス、70人強。はじめにちょっと笑ってもらってから、いろいろやりました。私の話への集中力は抜群。こちらも試行錯誤です。用意した小咄が四年生には難しかったようで、子供を高座に上げてやってもらったが、うろ覚えの上に声が小さく聞き取れません。そのため、他の子供がだれてしまいました。「教室」だから「勉強」というふうに持ってゆくと、興味を持ってくれません。まことに難しく、勉強になりました。しかし、みんなが「落語はおもしろい」と感じてくれたようです。何より、落語は芸なんだと思いました。今まで、好きで覚えて、やっていましたが、ちょっと目からウロコです(遅すぎますが)。


(2009.6.13) 「大東市野崎駐車場組合。」

 大東市野崎の駐車場組合。管理を任されている地元の組合が、人権学習と食事会を計画。「野崎の観音さま」で有名なここ野崎には、かなり大きな被差別地区があり、解放運動も活発でした。法律が切れた今、かつての勢いはありませんが、志を持続させている人はまだまだいます。駐車場組合は、その地区の人たちが中心です。それでも、講演会に来たのは20人ほど。もちろん逆境にこそ燃える私は、熱演、熱弁。お客様もよく笑って戴き、いい雰囲気で盛り上がりました。私の役どころはこういうところかと、うれしくなりました。ありがたい、ありがたい!


(2009.6.14) 「静岡県浜松市 長徳寺寄席。」

 浜松へ向かっています。団姫、さん喬師匠と三人の会です、団姫はおばあちゃんが浜松、つまりお母さんが浜松。さん喬師匠もお母さんが、静岡の出。ご縁があります。さん喬師匠は、昨日「前進座」で、弟子の喬太郎(力も人気もトップクラス)と二人会を二回興行。ほんまにすごいです。
 東京のかおるさんは、それを見て、今日も追っかけをしてくれます。こちらもすごいです。また別のファンは、神戸から東京まで、二人会に行き、今日帰りがけにこちらへも来てくれます。浜松駅からバスで40分というところです。それを来てくれるのですからすごいことです。
 
この思いの強さはどこから来るのか?博多で、熱烈なさん喬ファンの話を聞いていたら「人情咄の力」だと思いました。「柳田格之進」という話がありますが、彼女たちは、うっとりとした目で「私の格之進さま」と言います。「マイ格之進」を頭の中で作り上げ、それに惚れ込んでいるのです。話芸の力です。話芸が人の心をゆさぶるのです。小三治師匠といい、柳家一門の凄さを感じます。その上に談志師匠がいて、その弟子に、志の輔、談春がいるのですから凄すぎます。
 この方々の落語に接すると、私は単なる落語ファンに戻ってしまいます(あかんがな)。まあ比べることもないので、私は私なりに願生ります!


 「さん喬師匠の高座。」

 浜松、長徳寺寄席。ちょうど10回目。「商売根問い」・団姫、「ちりとてちん」・新治、「天狗裁き」・さん喬、お中入、「ごんべえ狸」・新治、「井戸の茶碗」・さん喬。大入り満員。大盛況!爆発する笑い!
 東京、神戸、静岡からもお客様が。ありがたい、ありがたい。「木戸1000円は安い」という声がしきりに聞こえます。住職のご好意で成り立っている寄席。本当にありがたいことです。

さん喬師匠の高座


(2009.6.17) 「京都府福知山市 六人部地域公民館」

 京都府、福知山市に来ています。六人部(むとべ)地域公民館、通称、六人部コミセンにて、お笑い人権高座。目標80人! 福知山市は、桂三扇師のふるさとで、現在も一家で住んでおられます。お連れあいは、もと松竹芸能マネージャーで、彼女は吉本興業。いわば業界内カップルです。妻のふるさとに住み、仕事を支えるため、マネージャーを止めて、福知山市役所に入庁。福知山で講演をする時は、いつも二人で顔を出してくれます。今日も挨拶をと思い、三扇さんに電話を入れると「子供が病気で、熱を出して動けない」とのこと。お母さんと落語家の両立は大変です。夫の協力なしではとてもできません。そして去年、三扇さんの寄席に出してもらった時、私が高熱で大変だったことを思いだしました。今の季節、風邪をひきやすいので要注意です。だが、どこからも新型インフルエンザの話を聞かないのは、なぜでしょうか?

 たくさんお越し戴きました。参加者は予想を超えて96人!椅子を足す、ありがたさ。もちろん声をからして熱演の90分。笑いも拍手もたっぷり戴き、満足感と心地よい疲れに身をまかせながら宿へ送って戴きました。つくづく、咄家になった幸せを感じています。六人部地域のみなさん、本当にありがとうございました。


(2009.6.18) 「佐々井秀嶺師講演会」

 昨日の福知山、六人部コミセンは最高でした!打ち上げも四人だけで、(被差別)地区出身の職員も参加、充実していました。
 今から京都に向かい、龍谷大学へ行きます。佐々井秀嶺師の講演があると報せて戴きました。インド仏教界の頂点にいる日本人で、40年ぶりに帰国。ヒンズー教、カースト制を根本から否定し、身分差別と闘い続けている仏教者ということです(私は人権活動家だと思います)。映画「小三治」といい、タイミングがよく喜んでいます。生きてると、たまにこんな間のいいことがあります。ありがたい。


 福知山から京都に出て、そのまま龍谷大学へ。すごい迫力でした。73才とは思えぬ、力強い、野太い声にまず、圧倒されました。
 初めに、フォトジャーナリストの
山本宗補(むねすけ)さんから、スライドを使った佐々井師の紹介。「この人も佐々井師に入れ込んでるなぁ」という感じの話。さすが1億人のインド仏教徒のトップ。おかげで佐々井老師のことがよく分かりました。
 最初に真言の唱和があり、その後お話がありました。最初に唱えられた真言は、パーリ語の三帰依文 五戒」というもので、「仏、法、僧に帰依します」というものです。ブッダン、サラナン、ガッチャーミー、ダンマン、サラナン、ガッチャーミー・・・
と続きます。さすが龍谷大学です。多くの方が唱和され、おごそかな気持ちになり、感動しました。五戒は、五つの戒めで、私にはとても無理なものばかりでした。
 
何千、何万の聴衆を相手のお話をされている方の迫力はすごかった。ガンジーは、不可触民を「神の子」と呼んだが、身分差別をなくそうとはしませんでした。そのため、「神の子」が差別的呼称になったという話は頷けます。インドで仏教徒であることは、ヒンズー教と身分制を否定すること。まさに命懸けの解放運動。このエネルギーはどこからわいてくるのか?そんな興味が先行しました。
 まあしかし、世の中にはすごい人がいるもんです。詳しくはネットでごらんください


(2009.6.23) 「東京での落語会のお知らせ」

 落語会のお報せです。また、東京で寄席をやらせて戴きます。

○ 10月31日(土)18:30〜 「らくごカフェ・第2回上方落語を50人で聴く会」
  東京都千代田区神田 「らくごカフェ」
  出演:桂三若、新治 (二人会)
  木戸銭:2500円。

○ 11月1日(日)14:00〜 「東雲寺寄席」
  東京都町田市 東雲寺
  出演:
三遊亭圓丸、立川文都、新治 (三人会)
  木戸銭:1000円

 どうぞよろしくお願いいたします。


(2009.6.24) 「正法寺三人寄席。」

 今日から津和野に来ています。津和野の正法寺さまで、桂梅團治さん、豊来家玉之助さんと三人会です。私は、刑務所の面接ボランティアを終え、里帰り中の立川文都さんと大阪で会い、お昼ご飯をご一緒して、津和野に来ました。
 番組は、「餅屋問答」(曹洞宗の正法寺にちなんで)・梅團治、「太神楽」・玉之助、「紙入れ」・新治。
 よくお笑い戴き、楽屋で着替えていると、女性が訪ねてこられ、丁寧なご挨拶を戴きました。目にはうっすらと涙がにじんでいます。「実は主人が4月20日に亡くなり、今日まで泣いておりました。今日初めて笑うことができました。本当にありがとうございました。」 聞くと59歳。肺がんとのこと。
 お笑い戴いたのが、お供養になったと思いたいです。お客様はいろんな思いや事情を携えて座っています。拙くとも精一杯の高座をつとめなければと、思った次第です。

桂梅團治、新治、豊来家玉之助。


   「鉄道マニア、桂梅團治」

 梅團治さんは、本気の鉄道マニア。夜中に車を飛ばし津和野に入り、夕方までSLの写真を撮っていました。話を聞くと、ものすごく深い。「何時何分にどこそこを出た汽車と、何時何分にどこそこを出た汽車が、何時何分にどこそこで行き交うので、それを山の上から撮った!」などという話が次々と。こちらはうなずき、感心するだけ。聞けば、桂しん吉さんも鉄道マニアだが、しん吉さんは「乗る派」で、梅團治さんは「撮る派」やそうです。今朝も4時に起きて、撮りに行きました。そのため旅館の人に「出られるようにしておいてください」と頼んでました。徹底してます。私は、早くから起きて、中国語の朗読中。考えたら、二人とも変な落語家です。もう一人の玉之助さんは、前夜名古屋で仕事、津和野まで走ってきてくれます。みんなタフです。

【梅團治さんが撮られた写真は、こちらです!


(2009.6.27) 「玄界島漁村センター改修お披露目」

 今日から博多です。博多駅に着くと、浴衣姿のおじさんが歩いていました。山笠の準備です。
 博多埠頭から船で、玄界島へ向かいました。
地震で壊れた漁村センターの改修のお披露目、いわばこけら落とし。玄界太古で始まり、お神酒が振る舞われ、この後、餅まき!その後に、寄席です。「逆やろ!」と思いますが、これが島のお作法。けど、落語聞いてくれるやろか?

集まったみなさん
お神酒が振る舞われる

 餅まきで、興奮はピークに! これが今日一番の盛り上がり。この後に私の落語。無理やろ・・・。

 ゲストは、九州を中心に活躍中の、びんすけ&ことぶきさん。ネタは南京玉すだれと、踊り。


(2009.6.27) 「第6回、博多新治寄席。」

 福岡県福岡市の甘とう館にて、「第6回、博多新治寄席」。「やかんの序」、「無学者」・好朝、「相撲風景」・新治、「棒鱈」・さん喬、(お中入)、「青菜」・さん弥、「鹿政談」・新治。お客とは92人で満員! 世話人とお客様とさん喬師匠のおかげで、ありがたい寄席ができました。幸せです。


(2009.6.28) 「第1回、宗像ユリックス新治寄席。」

 福岡県宗像市での、第1回宗像ユリックス新治寄席。「桃太郎」・川崎亭好朝、「ごんべえ狸」・新治、(お中入)、新作落語「子どもの作文」と「紙切り」・粗忽家酔書、「ちりとてちん」・新治。お客様は50人。少なかったけど、これが現実です。また願生ります!


(2009.6.30) 「中国語落語、関西初演!」

 大阪市生野区小路(しょうじ)にある、シンアイ語学専門学院で、中国人留学生と地域の方々を対象に「おじむら寄席」。小路を「おじ」と読み、「おじむら寄席」と言うそうです。最初に、中国語で「ちりとてちん」、千田さんの腹話術を挟み、日本語で「ちりとてちん」を。どれだけ伝わったかわかりませんが、まあまあ笑って戴きました。中国語の方をもっとシンプルかつ短くしたほうがいいとわかりました。
 生野区小路は、私の中学校区です。客席には、中学時代の同級生も。写真は七夕祭りを体験しようと、ゆかた姿の留学生。着付けもちゃんとしていて、先生方の意欲が感じられました。さあ、次は上海です。願生ります。


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