へらへらメール
このページでは、ファンの皆様から寄せられたメールを公開しています。なお、事故防止のため、お名前は伏せさせていただいております。また内容も一部添削させていただいております。ご了承ください。
2022年4月
今日の二人会、久しぶりの新治さんの落語を堪能、二人とも集中して疲れ切るほどでした。文福さんも市民寄席以来の久しぶりだったけれど、ますますのご活躍に、大笑いして帰りました。まだまだコロナは油断出来ません。来週、父の故郷の三豊市に香川県初の夜間中学が誕生します。金比羅山のまだ西の愛媛県境の市です。【2022.4.9 京都府京田辺市 TT様】(奈良ここいき亭の、福楽師匠と新治さんの落語会の感想を送っていただきました。夜間中学は、新しくできるところもあれば、廃止や統廃合がささやかれるところもあり、注意が必要です。MORI) 古々粋亭ふたり会。1部2部通しで、なんと8席、どのネタも手抜きなしでさぞお疲れだったでしょう。2部の集客が悪いとお聞きして無理矢理友人を誘いましたが、蓋を開ければ超満員。息苦しいほどでした。前座ネタを、あれだけ面白く、「百年目」、「柳田格之進」は名人芸を満喫させていただきました。【2022.4.10 大阪市淀川区 MM様】(こちらも、奈良ここいき亭での落語会の感想を送っていただきました。思ったより多くのお客さんで、良かったです。ただ、密になってしまうのもちょっと心配です。MORI) 昨日は朝から、奈良 古々粋亭の露の新治師匠・桂福楽師匠の二人会のお手伝いに行かせて頂きました。久々の落語会、初夏のごとく好天に恵まれ、関西演芸協会でお世話になってます桂福楽師匠の高座を初めて見せて頂くいい機会に。露の新治師匠とは、お互いにお世話になった方々が旅立たれ、その告別式場でお会いするのが多々で、落語会は数年ぶりでした。お手伝いさせて頂きながら、じっくり古典落語を満喫させて頂き、充実した一日を過ごさせて頂きました! 福楽師匠の「百年目」「寝床」、大阪仁輪加的な間合いととても心地良いおしゃべりは、大変和みます。新治師匠の「猿後家」「柳田格之進」、コロナ禍でのハンディを感じさせず、円熟味を増し、涙をそそる人情話。それにひかれて1部2部来場者80人と、奈良の寄席に引き寄せる新治師匠は、ジャニーズ顔負けですね�!
【インディさん。 ![]() (インディさん、奈良ここいき亭の落語会に応援に来ていただき、お手伝いをしていただきました。動画 ![]() 久々母方の墓参りに、広島里帰りから戻りました。母方のお寺で、ひかれる言葉に出逢いました! 光源寺・浄土真宗のお寺になります。こ暑かったり寒かったり、不安定な季節柄、お身体に充分お気をつけくださいね。 ![]() 今日は、東大阪市議の松平要さんの同行で、市内挨拶回りでした。部落解放同盟全国連合会を訪ね、推薦のお願いをしました。2時からは「おかざき彩子激励 東大阪緊急集会」がありました。なんと、落語家・露の新治師匠が応援に駆けつけてくださり、軽妙なトークで会を盛り上げて頂くとともに、力強いエールを頂きました。本当にありがとうございました!
2022年5月
今朝5月4日(水)付け読売新聞奈良版、拝見しました。講演された新治師匠が掲載されてます。お身体に充分気をつけられ、素敵なGWを過ごされますように! ![]() 3年ぶりの「芸人9条の会」東成公演は、11組の芸人が登場し、満席の会場で笑いと拍手の渦を引き起こし、予定時間を40分も超過して終わりました。露の新治さんは、トリ前の登場で『一眼国』で観客を引き込んでいました。
連休唯一の外出は、天満天神繁昌亭朝席に伺いました。私にとっては8か月ぶりに、生新治さんを楽しませていただきました。笑福亭銀瓶さんの「天満の銀座」へゲスト出演、ネタ出しの「中村仲蔵」は円熟の至芸、恐らく初新治さんの割合が高そうな客席も、ぐっと噺の世界へ引き込まれていました。噺の余韻に浸りながら、ぼちぼち晩酌始めます。
「天満の銀座」で久し振りに『中村仲蔵』を聴かせてもらいました。素人の私がどうこう言うことの出来ない、新治さんでしか演れない『中村仲蔵』でした。当日は銀瓶さんのリクエストということでしたが、銀瓶さんもこの噺を新治さんから付けてもらったのではと思っています。【2022.5.11 AN様】(新治さんの「中村仲蔵」の感想をお寄せいただきました。前にも「中村仲蔵」関連で、感想をお寄せいただきました。新治さんの「中村仲蔵は、やはり素晴らしいですね。MORI) ♪いかぁけ鍋釜バケツいかぁけ♪、覚えてます! 東映の映画館におばあちゃんと一緒に、座布団持って大川橋蔵と中村錦之助の映画見に行きました! 途中でおやつを取りに帰ったりして。【2022.5.11 大阪府堺市 KC様】(新治さんの「へらへら日記」について、メールを戴きました。ただ、やはり兵庫県の田舎と大阪では、昔の町の風情がだいぶん違いますね。新治さんの日記の内容も、半分以上わかりませんでした。年齢の差もあるのでしょうか・・・MORI) 私もかろうじて「へっついさん」まではわかります、玄関には練炭火鉢があり、「かんてき」で魚を焼き、餅つきもぺったんぺんしてました。今の人はしらんやろな~【2022.5.12 奈良落語会様】(フェイスブックの書き込みを了解を得て転載させていただきました。このあたりまでなら、私もわかりますね。MORI) 全部わかります~! 暗くなってから外遊びしてたら「子お捕り」が来まっせと脅され、ビビってました!【2022.5.12 うえがき 美紀様】(フェイスブックの書き込みを了解を得て転載させていただきました。私は知らないのですが、「子捕り」は新治さんのお笑い人権高座でも出てきますね。MORI) 新治師匠のご意見に同感しつつも、師匠と昭和31年生まれの私とのギャップが少々ありました。「洗濯板」は知っていますが、「伸子張り」「カラケシ」「しんこ細工」は知りません。「火消壺」は重たい鋳物だったけど、今ではお菓子の空き缶とかで自作したり、キャンプ・BBQ用品にありますよね。「ポン菓子屋」さんのことは「パッカン」って呼んでました。「らお」って刻みタバコを吸う際の「キセル」の筒部分ことですよね、明治生まれの祖父が愛用してましたが、何本か置いてあったので、壊れたら直して使っていたかはわかりません。火遊び、焚き火を消すのには、一人では無理で、悪友何人かのおしっこが必要でした。「乞食」って呼ばれる人を一度か二度、見て、対面して眼光の鋭さと眼差しの柔らかさを実感した記憶しかありませんが、お寺や神社の前でアコーデオンを演奏したり、松葉づえをついた傷痍軍人さんのことは今でもよく覚えています。【2022.5.13 三重県鈴鹿市 WY様】(同じく、昔の言葉や生活様式についてメールをいただきました。三重県ということで、土地の違いもあるかもしれません。MORI) おはようございます。自治会の用事で、掲示板にポスター貼って帰宅。コーヒー片手にアクセスすると見事キリ番でした。お天気はイマイチですが、今日一日機嫌良く過ごせそうです。 ![]() このページのトップへもどる・・・ トップページへもどる・・・ |