2023年10月~2023年12月
「喜楽館初日、『千早ふる』。」 (2023/10/2) 人数は少なかったのですが、やらせ上手のお客さんで助かりました。喜楽館のお客さんは、ほんまにあたたかいええお客さんです。 「喜楽館二日目、『紙入れ』。」 (2023/10/3) めったにやらなくなったのですが、お稽古をさせて戴いた笑助さんがおられたので、久しぶりの「紙入れ」。マクラでハプニングがありました。両手をパンと打ったとたん、指が伸びておらず爪が指先に当たりました。はずみというのは恐ろしいもので、少々出血しました。これがほんまの出血大サービス? お茶子さんが傷テープを持って出てきてくれて、舞台で手当てをして貰うという、初めての経験をしました。その後は楽しく勤めさせて戴きました。 「喜楽館四日目、『七段目』。」 (2023/10/5) 喜楽館昼席中日、「七段目」。
「喜楽館夜席、元気寄席。」 昼席に続いて、続けて喜楽館夜席「元気寄席」。ネタは「鹿政談」。
「春日中学校・ふれあい文化祭。」 (2023/10/6) コロナ禍以来、初めての三本かけもち。先ずは、奈良市立春日中学校・ふれあい文化祭。45年前に「奈良に夜間中学を」と市民運動でできたのが、春日中学夜間学級。夜間学級の校舎の前に立つと、初めての入学式の会場設営や飾り付けでバタバタしたのがついこないだのような気持ちになります。市民団体「奈良に夜間中学を作る会」、当時最年少の私はその使いっ走りをさせて戴き、ほんまに学ばせて貰いました。戦争と差別がどれだけ人を苦しめるか。その中にあっても人間の生きる力は枯れないという驚き。当時は「義務教育未修了者・生徒さん」のことで必死でした。生活相談で一緒に役所に行ったり、市教委、県教委交渉、街頭宣伝、署名活動、そして基礎学力を取り戻す学習の支援をしたり。当時の事務局で生き残ってるのは二人になりました。その春日中学で今学んでいる生徒さんに落語をするという、ありがたい、ありがたい場を作って戴きました。校長室にはずいぶん昔の私の壁掛けがあり、「ずっと掛けて戴いてたこと」に、感動、感謝。 「喜楽館五日目、『中村仲蔵』。」 春日中学から神戸新開地の喜楽館へ長距離移動。生徒さんのお陰で気持ちも高揚。お客さんはほんまに少なかったが、袖で聞いてていい空気。高座とお客席の一体感を感じ、思いきって仲蔵を。ノリノリでやらせて戴いた。 ネタ帳 「林家染吉GP準優勝記念独演会。」 喜楽館から繁昌亭へ、三カ所目の現場。コロナ禍以来、初めての一日三本の仕事です。そして、喜楽館と繁昌亭の掛け持ちも初めてのこと。「上方落語若手グランプリ」で準優勝の林家染吉師の会。ネタは会主のリクエストで「紙入れ」。こちらもノリのええお客様のお陰で絶好調。染吉師はトリで「雪の戸田川」。一緒にお稽古をさせて戴いたネタです。見事に自分のものにされてあり、お客様も納得の反応。お紺に切りつけ、川に突き落とす膝立ちの形の良さ。「悪」が際立ち怖さを感じます。染吉師の、来年の若手グランプリの「あれ」を祈って乾杯。ありがたい、ありがたい一日は、上々の首尾で幕を閉じました。長いことやってたら、こんなええ日もある、そう思えた幸せな一日でした。 「今日もダブル。」 (2023/10/7) 喜楽館昼席は「抜け雀」を。終わって、谷町六丁目の桃園(とうえん)会館へ。大阪講談協会の桃園寄席。旭堂南慶、南照先生、笑福亭呂翔さんと共演。講談が二席あるので、釈ネタを避け「竜田川」をネタ出し。この会は地域の人たちのためのものなので外へは告知をしません。常に満員。15年続けているので、お客様は聞き上手、笑い上手。今までで一番受けた竜田川にして戴きました。お客様に乗せて貰いました。今日も、ありがたくも幸せな一日でした。 「喜楽舘千穐楽。」 (2023/10/8) 楽日は「狼講釈」。ありがたい事に途中で拍手が起こる盛り上がりでした。千穐楽、ええ形で勤めさせて戴きました。七日間、長かったのですが充実してました。喜楽舘は人数は少ないのですが「やらせ上手のほんまにええお客様」です。なんと皆勤の方もおられ、おかげでありがたく、楽しく七日間勤めさせて戴きました。お支え戴いた皆さま、本当にありがとうございました。次の喜楽舘の出番は12月13日昼席です。12月11日~17日までは「忠臣蔵特集」で毎日忠臣蔵に因んだ噺が出ます。私は「淀五郎」を申し上げます。こちらもよろしくお願い致します。 「北野天満宮『もみじ寄席』の案内。」 (2023/10/8) これは師匠二代目露の五郎兵衛が、初代五郎兵衛を顕彰するために建てた「露の五郎兵衛の碑」の奉納落語会です。今年も12月3日(日)に、一門から9人が出て賑やかに行われます。これだけは盛況にしなければと、皆チケットの販売に願生って取り組んでいます。何とぞよろしくお願い致します。 〇 北野天満宮 「もみじ寄席」 日時:12月3日(日)15:00~ 会場:北野天満宮内 文道会館 出演:都、団四郎、新治、ききょう、眞、紫、瑞、新幸、陽照(あきら) 料金:¥2,500(もみじ苑入園券・お茶券含む) 寄席に先立ち14:00から五郎兵衛の碑の前で、「碑前祭」が行われます。こちらにもぜひご参拝をお願い致します。 「秋の味。」 (2023/10/26) 知り合いから戴きました。手作りの栗の渋皮煮。こおいうものが、しみじみ美味しいと感じるようになりました。ありがたいことです。お茶を丁寧に淹れて戴きました。 「京都府精華町照光寺様。」 (2023/10/28) 真宗大谷派(東本願寺)照光寺様にて一席。こちらの前住職・東光真澄さんとは、47年前(古い話や~)、奈良に夜間中学を作る会で共に活動した仲。当時東光さんは、奈良の正強高校の先生。正強高校の教職員組合は「正強学園労働組合」と言って、教職員だけでなく管理作業員など現業職員も組合員の、わけへだてのない組合。そこから奈良総評へ出向するという、まさに教師聖職論とは真逆の「教育労働者」。そして、「奈良私設夜間中学、通称 うどん学校」の数少ない生き残り。あと生き残ってるのは、確認できる範囲ではジャーナリストの川瀬俊二さんぐらい。東光さんは、今は保護司をされており、私も奈良少年刑務所で篤志面接委員を勤めさせて戴いたり、何かとご縁があり、今回の高座に招いて戴きました。満堂のお客さまは誠に聞き上手で、まさに「話しべた 笑いじょうずに助けられ」状態。ええかげんなことばかりしてきたのに、ありがたいご縁に導かれて楽しい高座を勤めさせて戴く。幸せな噺家人生やとつくづく思います。
「10・31。」 (2023/11/1) 10月31日 49年前のこの日、狭山事件の高裁判決が寺尾裁判長によって出され、多くの人の期待を裏切りました。明々白々の冤罪事件なのに言葉を弄びながらの差別判決。私が初めて「お上のやることにも間違いはある」と知った日です。東京、日比谷野外音楽堂では「狭山事件の再審を求める市民集会」が開かれ、全国から多くの方が参加されました。私は参加しませんでしたが、成功を願っていました。折しも袴田巌さんの「清水こがね味噌事件」も再審が始まり、盛りあがったことと思います。「次は狭山や!」この言葉も大きな広がりを見せてます。石川一雄さん、84歳。お元気ですが、かなりの高齢。お元気なうちに見えない手錠がはずされ、晴れてご両親のお墓参りに行って貰いたいです。そして夜間中学で学び、アフリカ旅行の夢を叶えて戴きたいです。全ての冤罪事件は犯罪です。許してはなりません。ほんまにそおおもてます。 「ハルカス寄席」 日比谷へ思いを馳せながらのハルカス寄席。その下座。笛・喬介、析・呂好、あたり鐘・九ノ一、太鼓と銅鑼(ドラ)・喬明(敬称略)。高座とまた違う真剣なまなざし。格好ええのです。 「お稽古。」 生寿さんとお稽古。「うまいなあ」と感心。生寿ファンの皆さま、お楽しみに。ネタは・・・分かりますね。 「インボイス制度反対署名です。」 私は今、オンライン署名「《#STOPインボイス》日本に生きるすべての人の暮らしに悪影響を及ぼすインボイス制度に抗議します」を応援しています。こちらのページをみて、ぜひ賛同してください! 現在、賛同数1,000,000人を目指しています。ぜひ、あなたも関心のありそうな周りの人たちにシェアしてください! https://chng.it/xb6kcQmyz5 よろしくお願いします! ちなみに私は、もちろんインボイス登録はしてません。というより、なんのことか分かりません。 「お西の千里寺さま。」 (2023/11/5) 浄土真宗本願寺派千里寺さまにて、お笑い人権高座を勤めさせて戴きました。前回お伺いしたのが2000年。23年ぶり。ご聴聞慣れしておられる聞き上手の門徒さまに助けられ、乗せられて、ほぼ漫談で楽しく勤めさせて戴きました。わろて戴くのが何より。こちらでは、近所にお住まいの桂米団治師が毎年寄席をされてるとのこと。参道にある九条の会の看板。私には輝いて見えました。 「阪神優勝。」 (2023/11/6) 「優勝おめでとう」と言う資格もない、野球に興味も関心もない自分ですが、最終戦だけはテレビを見ました。(どういう訳か、団体競技には関心がありません。考えてみると興味があんのは、相撲、柔道、レスリング、ボクシングと個人競技だけです。なんでか分かりません。) 今年初野球観戦が最後の一戦でした。やはり38年ぶりと聞くと、阪神優勝はうれしいです。38年前、吉田監督の講演会と真弓選手のサイン会の司会をしました。大阪の落語家やから、阪神ファンやろと思われたのかも知れませんが、何にも知らんのでインタビューに困りました。なのにお二人とも、なぜか私のことを「師匠」と呼んでくれました。それから何となく阪神が好きになりました。単純です。他にプロ野球選手との接触はないままです。それといつも期待を裏切るとこもおもしろいなあと思てました。「やっぱり阪神やからなあ」というところが好きでした。7戦までもつれた時、最後の最後で「やっぱり阪神」が出るかなと思てました。阪神だけに「半信」半疑。あんなにあっさり勝つとは意外でした。 野田の阪神本社で、社員対象の人権講演もさせて戴きました。担当は元甲子園のウグイ嬢。ずっと近鉄沿線の住民ですが近鉄電車は「運賃が高い❗」のと、スト破りをするので嫌いです。野球はほんまに恥ずかしいぐらいわからんのですが、不思議と阪神だけは僅かの縁があります。横田慎太郎の「奇跡のバックホーム」もたまたま読んでたので、胴上げで揺れるユニフォームにジーンときました。 38年前、初日本一のあの頃、香川高松の「タウン情報かがわ」の編集長で熱心な虎ファンの田尾和俊編集長が「ミスタータイガースは、掛布やのおて岡田です」とよおゆうてました。関心のない私はどっちでもええと思てましたが、今ようやく「岡田こそミスタータイガース」やと分かりました。そおいえばこの頃、ミスタータイガースと言う言葉を聞きませんね。なんででしょうか。因みに、田尾和俊さんは「讃岐うどんを全国区にした人」です。笑いのセンスやしゃべりのうまさ、目の付け所もとても敵わない天才的な人です。全国区になれる人やと思てました。今は地元で大学の先生になってはるそうです。 いろいろ思い出します。私も若くて、今もよりもまだもっともっとアホでした。恥ずかしいことばっかりしてました。あんなんでよお生きこれたなあと思います。38年、過ぎてしまえば「ついこないだ」 みたいに思います。人生短いです。 追伸 アホのくせに、自分がアホやと分からんアホでした。残念なことに、今もそんなに変わりません。 「ハルカス寄席。」 (2023/11/14) トップの出番。「前座噺は旅ネタ」が基本なので、「兵庫船」を。ええお客様で、前座からちゃんと聞いて戴きました。ハメモノも舟歌も入る上方独特の噺です。ありがたく勤めさせて戴きました。 「第十回常蓮寺寄席。」 (2023/11/19) 第十回常蓮寺寄席。今回は、住職が代替わりされたので「住職継職奉告記念寄席」として開催。「当初10回やる」と決めていたので、ええ区切りになりました。番組は、「前説(お笑い人権話)・新治、「狸の賽子(さいころ)」・恩狸改め三代目桂福枝、「替わり目」・新幸、「餅屋問答」・桂文昇、(お仲入り)、「曲ゴマ」・龍水改め二代目伏見紫水、「ふろしき」・新治、「慶祝大喜利」・全員。満堂のお客様で大盛り上がり。釈智依新御住職の門出を祝うおめでたい寄席になりました。岩本孝樹前御住職、長い間お疲れさまでした。ありがとうございます。 「桂蝶の治『のびのび寄席』。」 (2023/11/22) 岐阜で桂蝶の治さんがやってる「のびのび寄席」に出して戴きました。蝶の治さんほ、東京の桂伸治師匠のお弟子さんで、落語芸術協会の二つ目。非常に意欲的な方です。お客様も応援団のような方々で笑いじょうず。盛りあげて戴きました。二回公演で、蝶の治さん六席、新治が四席。計十席。通しで聞いて戴いたお客様。お疲れさまでした。ほんまにありがとうございます。 「四年ぶりの『東雲寺寄席』。」 (2023/11/23) 11月23日、勤労感謝の日。東京町田市成瀬の東雲寺様にて、四年ぶりの東雲寺寄席! お天気にも恵まれ満堂。 お檀家様らご近所の人たちに加え、盛岡、京都、西宮と遠方からも落語ファンが来られ完売御礼。さん喬師匠は、「抜け雀、井戸の茶碗」と大熱演。私も「マクラと小ネタ」でよおわろて貰いました。 2009年に始まったこの寄席。第一回の出演者は、「三遊亭円丸、林家花(紙切り)、笑福亭羽光、新治」。実は公演の数日前に、当初出演予定だった「立川文都師匠」が亡くなりました。文都師匠は、立川談志一門で関西出身。繁昌亭でご一緒して知り合いました。落語カフェで二人会をやり、東雲寺寄席も楽しみにしてました。あの時はショックでした。東雲寺の柚木祖元方丈様がお位牌を用意して下さり、寄席の後、お客様も一緒に拝ませて戴きました。以来、毎回位牌は仏前に飾られてます。今回、位牌も四年ぶりです。ええお供養になったと思います。以来14年。文都さんがいなくなってから入門した人が、ぼちぼち真打ち。時の流れの速さを改めて感じています。合掌。 「名古屋 あきつ舎主催『柳家さん喬・露の新治 其之二』。」 (2023/11/25) 芸はもちろんのこと、お人柄、楽屋での居住まい、周囲への気配りなどなど感心させられるjことばかり。当代一の噺家、柳家さん喬師匠との二人会。ありがたい限りです。番組は、「金明竹」・新幸、「ちりとてちん」・さん喬、「まめだ」・新治、(お中入り)、「七段目」・新治、「芝浜」・さん喬。 三味線・佐々木千華、鳴物・蝶の治、お茶子・大須の姫。聞き上手のお客様と高座がぴたりと合って幸せな空間が生まれ、よお盛り上がりました。私には、ありがたすぎる高座でした。 「三重県名張市比奈知文化センター文化祭『お笑い人権演芸会』。」(2023/11/26) 会場は比奈知小学校体育館。番組は、「太鼓演奏」、「お笑い人権話」・新治、「七色三味線」・虹友美、浪曲「池禅尼(いけのぜんに)物語」・天光軒新月/曲師 虹友美、「太神楽曲芸」・豊来家玉之助。新月師匠の「池禅尼物語」は、ご当地比奈知に縁のある、平清盛の義母、池禅尼の話を、山下孝夫先生が書き下ろし、今回が初御目見え。そこまでして戴き感謝感激。もちろん地元の人も大喜び。新月師匠、山下先生、ありがとうございました。 (天光軒新月師匠のエックス(ツイッター)より)
「第69回全国夜間中学校研究大会(全夜中)・奈良大会。」 (2023/12/2) 全夜中(ぜんやちゅう)の大会が奈良であり、奈良夜間中学の歴史を振り返るコーナーの最初の「私設夜間中学から公立化」への部(30分)を受け持ちました。レジェンド、髙野雅夫さんから、奈良で最初に運動を起こした岩井好子先生、遠藤幸子先生、正強学園高校(現、奈良大学付属高校)とその職員労働組合(正強労組)の協力。当時の、社会党、総評、部落解放同盟、三者の理解と支援。個人名をできるだけ挙げながら話しました。不思議と当時の先生方の名前はスッと出てきます。昨日の朝、何を食べたか覚えてへんのに。トップの出番として、何とかその役を勤めさせて戴きました。春日夜間中学開校から45年。生き残ってるという気持ちです。 荒川九中夜間学級卒業生・髙野雅夫さん。私の話の終わりでご紹介し、マイクを握って貰いました。84才と石川一雄さんと同年。力強い言葉を戴きました。最後の「天王寺夜中と文の里夜中の統廃合反対」にはしびれました。
「もみじ寄席。」 (2023/12/3) 北野天満宮、もみじ寄席。みんなで会場作り。満員御礼。何人かのお客様は泣く泣くお断りをするはめに。もみじも見頃で、開演も一週間延びました。初代露の五郎兵衛の碑を顕彰し、二代目五郎兵衛を偲ぶ一門会。来年も開催予定です。
「お稽古。」 (2023/12/5) 稽古前に私に電話がかかり、私が話してる最中にネタを繰る、桂鹿えもんさん。なんかええ感じなんで、撮りました。 「大和高田にて。」 (2023/12/6) 奈良県大和高田市、さざんかホールにて、労働金庫高田支店の催しで一席申し上げ、帰り駅までブラブラ。お風呂屋さんと、冷や飯ぞうりに遭遇。冷や飯ぞうりとは、「わらで作った粗末なぞうり」のことらしいです。 「新幸十年目初繁昌亭独演会。」 (2023/12/8) 新幸は「ちりとてちん」と「井戸の茶碗」の二席。最大の収穫は、この二席です。ほんまに見事な高座でした。そして、笑いじょうずのええお客さんがいっぱい来られたこと。9年間の噺家人生の成果です。いろいろしんどいことを抱えながら、いやそれさえも力にしてこれだけのことをなし得た新幸はりっぱです。来年、ほんまの十周年の会。多分やると思います。なにとぞよろしくお願いします。 「三重県津市(芸濃町)にてお笑い人権高座。」 (2023/12/9) 人権週間の行事で、二度目の芸濃町へ伺いました。前回は、もお二十年前ぐらい。お笑いに徹して勤めさせて戴き、おかげでよおわろて貰いました。 「加差別」 今回一点だけ「加差別」を強調しました。これは私の勝手な造語です。「新ちゃんのお笑い人権高座」を始めた頃、タイトルから「お笑い」が勝手に削られ「新ちゃんの人権高座 」となってました。基本ぼんやりしてる私は「言い忘れた」とおもてました。ところが、ある担当の方が「お笑いを削ってもいいですか?」と聞いてこられ「削られてたんか」と分かりました。聞いてみると、同和教育や解放運動に熱心な方々から「人権にお笑いとは不謹慎だ。」「差別を笑いものにするのか」という怒りや批判が出てるとのこと。私も初めは「そんなつもりはありませんがな」と恐縮してたんですが、よお考えたら「差別は無くさなあかんもん」ですから、笑いものにしてええんです。笑い飛ばさなあかんのです。それで「なんで、こんなことになるんやろ」と思い、考えました。 怒ってはる人らは「被差別の側を笑いものにするな」と言われる。私も、元よりそんなつもりはありませんし、してません。私は「差別をする側をわろてる」んです。そこで気づきました。「差別」という言葉のなかに「する差別」と「される差別」がごっちゃになっている。なのに「される側だけ、被差別」という言葉がある。そやから混乱する。ならば「する側の差別を、はっきりさせる言葉」を作ったらええ。そこまで来たら後は簡単です。「被害者の被で被差別なら、加害者の『加』で『加差別』やがな! 」 すると、もお一つ、「自分で自分を差別する『自分差別』もあるがな」と気づきました。それで「差別は、加害差別、被差別、自分差別に分けられる」という、私なりの整理ができました。以来25年ぐらい加差別、自分差別を話してました。 先日、明石であった全国同和教育研究大会では、当たり前のように「加差別」が使われてるそうです。私が思いつくようなことですから、他にも思いついた人がいるでしょうが、勝手な造語が市民権を得たんやと喜んでます。全同教のスローガン「差別の現実から深く学び」も「加差別、被差別、自分差別の現実から深く学び」となる日が来るように願ってます。特に、「自分差別→無意味なコンプレックス」は、それこそ、差別を「自分ごと」として考えるええ機会やと思います。江嶋修作先生が提言された「同和教育から排除したい、三つの『た』、「たてまえ(差別はなくさなあきませんとゆうだけ)、縦じわ(眉間の縦じわ、同和問題は難しい問題やと深刻に考えてるふりをすること)、他人ごと(自分は差別される側でなくてよかった)」も、ちょっとは、マシになるかも知れません。そんな夢を見てます。 芸濃町椋本の「椋の大樹」。日本銘木百選に選ばれた椋(むく)の木は、周囲8メートル。樹齢1500年?! 「浜田、『べっぴん寄席』。」 (2023/12/10) おはようございます。島根県浜田市まで往復。5:40出発、帰宅は24:00。出番は1時間。トホホ。芸人はしんどいけどおもしろい。願生ります! 「島根県浜田市にて『べっぴん寄席』 。」 (2023/12/11) 「べっぴん寄席」は、江嶋修作先生の命名。部落解放運動をしていた女性グループに、江嶋先生が「べっぴんの会」と名づけられました。もちろんべっぴんの会の学習会や活動には、公務員や教員の男性も参加します。そこが主催の寄席なので「べっぴん寄席」。 小林先生の、ギターの弾き語りを交えたお話。クイズ形式の問いかけも入り、「解体新書」、教科書無償化など、被差別部落の人たちの功績などを分かりやすく紹介していただきました。そのあと、私が「お笑い人権高座」で「加差別」を中心にお話。お中入り後は、玉之助さんの太神楽曲芸と獅子舞で大盛り上がり。私の落語「ふろしき」。抽選会で、また盛り上がり、その後、会場の外に出て戴き、来年が佳き年であること、皆さんの健康を願って玉之助さんの「突き上げ・雲水」を披露。空中に乱舞する、御札を拾って戴き、お開きになりました。浜田市だけでなく、隣の邑南(おうなん)町、遠くは尾道からもお越し戴きました。尾道は瀬戸内海のまち。浜田は日本海。日本列島横断です。 後片付けを手伝ってると、軽トラに山盛りのビールケース。落語は、私一席。そのために大変な手間をおかけしてます。高座に上がれるのも、キリン、アサヒ、サントリーのおかげ。恩返しに精一杯飲ませて戴きます。
「ハルカス寄席。」 (2023/12/12) 満員のええお客様。ハルカス寄席は「笑かす寄席」。楽しく勤め、うっかりステテコを忘れてきました。「やらかす寄席」やがな。皆、聞きじょうずのお客様に乗せられて熱演。特に、桂かい枝「幸助餅」はトリにふさわしい熱演。「ハルカス寄席」は手前味噌ですが、中味濃いですよ。
「ハルカス寄席の芸人のラインより」 ハルカス寄席芸人連絡ラインに公表された、私のステテコ。こら、雪鹿、こんな写真載せんでもええやろ。恥ずかしいがな。 「観音寺市民会館。独演会。」 (2023/12/16) 高松、綾川、愛媛、はては大阪からもお越し戴き、盛りあげて戴きました。知り合いゼロの観音寺でよおやれました。場を与えて戴いた観音寺市民会館の水谷さん初め、多くの方のお力あっての会でした。身に余る光栄です。私も存分にやらせて戴きました。水谷さんとは、40年前RNC西日本放送の朝のワイドショーに一緒に出ていたご縁です。帰りに東かがわ市の故上村求さん(大内新治寄席の事務局長)のお宅へ、お線香をあげに寄せて戴きました。いつも穏やかな笑顔で愛された求さん(もとむさん。愛称きゅーちやん)。お葬式には600人の方が別れを惜しんだんやそうです。笑顔の遺影を見てると、泣けてきました。 上村さんとの出会いも40年前。旧大内町役場の同和対策の係長でした。私のラジオを聞いて、大内町の隣保館で話をしてほしいと頼んで来てくれました。生放送終わりに局まで迎えに来てくれ、高速の無い頃で延々と走って会場へ。中に入るとメクリに「新ちゃんの人権高座」としてありました。これが、お笑い人権高座の始まりでした。ほんまにありがたい出会いでした。図らずも今日は、40年前の出会いと、うれしいそして悲しい再会の日となりました。合掌 「繁昌亭昼席初日。」 (2023/12/18) 和気あいあいの楽屋です。 「繁昌亭昼席はもがきの場です。」 (2023/12/25) 繁昌亭昼席、何とか勤めさせて戴きました。24日の千穐楽は五郎兵衛作の「きせる」をかけました。オーヘンリーの「賢者の贈り物」の翻案で、夫婦が互いにプレゼントをする噺でイブにふさわしいかと。どのお客様もありがたいのですが、特に定席のお客様はありがたい限りなのです。噺家個人のファンもおられますが、殆どの方は、寄席全体を楽しんでくださってます。「持ち時間と、前に出たネタとつかないようなネタ選び」という、二つの制約の中で、いかに自分らしさをだ出すか、わろてもらえるか、皆、精一杯の高座です。それがなんとも言えない熱と流れ、メリハリになる。出方も楽しいのです。定席こそ落語の王道です。昼席にお越し戴いた方、配信で見て戴いた方、定席を支えて戴き、ほんまにありがとうございます。心からお礼を申し上げます。しんどかったけど、濃密な一週間でした。 「いい一年にして戴き、ありがとうございます。佳いお年をお迎えください。」 (2023/12/31)
今年は29日の門戸寄席露新落語会が高座納めでした。振り返ると、噺家としては過去最高の年(当社比)でした。名古屋以西の全ての寄席でトリを勤めた去年も、「過去最高」と思いましたが、今年はそれ以上でした。身の丈以上の用いられ方をしました。特に、三田落語会など四回のさん喬師匠との二人会、よこはま落語会、神戸の名人選。いずれも、私以外はチケット完売の人気落語家ばかり。そして、熊本、蒲郡、名古屋、観音寺での独演会。噺家人生最晩年になってこんな晴れがましい日が来るとは思いもしてませんでした。全て精一杯勤めることができました。悔いのない一年です。自分なりのベストは、蒲郡での「大丸屋騒動」。敢闘賞は、門戸寄席での「道具屋」。来年も、大晦日に「過去最高」と言いたいです。高座を支えて戴きました皆様に、心から感謝申し上げます。ほんまにありがとうございます。おかげで幸せな噺家人生です。来年も、新幸ともども何卒よろしお願い申し上げます。どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ。お元気で、佳いお年にしてくださいませ。 |