2022年4月~2022年6月
(4月の日記はありません。MORI)
「憲法記念日に、平和憲法を守る集い『平和じゃないと笑えない~憲法九条もつ日本の役割~』」 (2022/5/3) 五月晴れの憲法記念日、護憲の集いに用いて戴きました。会場は、奈良県文化会館小ホール。300人の大入り満員。先ず私が「お笑い」を申し上げ、聞き上手のお客さんでよく笑って戴きました。後半は、ウクライナ取材から帰ったばかりのジャーナリスト志葉玲さんが、スクリーンを使って最新のロシアの侵略戦争の実態を紹介。改めて、人間が鬼になる戦争のむごたらしさを教えて貰いました。「戦争は絶対にしたらあかん」殺されるのも、人殺しになるのもいや。九条を支えに、それだけは譲らずに人生をまっとうしたいと思いました。 終わって、登大路県庁前~近鉄奈良駅~やすらぎの道~三条通り~猿沢池までデモ(今はパレードと言います)。奈良漬、奈良墨、奈良筆、奈良晒し(麻織物)などの土産物屋に、元印判屋庄右衛門(いっか何日逗留しても夜具と食器が変わるのが名物)の前を、「戦争反対」「プーチンは侵略戦争をやめろ」「憲法九条を守ろう」と声をあげながら歩きました。いっぱいの観光客が足を止め、見てくれました。中には手を振ってくれる人もあり、手応えを感じました。憲法記念日に三条通りで、戦争反対を叫ぶことができたのは、ほんまによかったと思います。ここしばらくどんよりと日を送っていましたが、少し気持ちが前を向きました。戦争反対!
「(大阪5回目)芸人9条の会」 (2022/5/5) 三年ぶりの「芸人9条の会」。東成区民ホール。満員御礼!会場も高座も護憲の熱気が爆発。 チンドン通信&ぱぎやん(趙博)が会場を賑やかに練り歩き開会。ナオユキ(漫談)で、もはや笑いは沸点!そして初登場の桂福天(「桃太郎」)は、うまく九条を取り入れ爆笑。笑福亭竹林(闘病日記)は舞台袖まで爆笑、オオタスセリ(パフォーマンス)で盛り上がり、そして中トリ、松元ヒロ!圧巻でした。爆笑、爆笑のうちに最後は憲法君が自在に喋り出し、吸い込まれてしまいました。この舞台に出会えたことに幸せを感じました。 お中入りの後、オシドリの珍しい楽器を使った漫才。私は初めて見ました。楽器に触れずに演奏するというもの。古今亭菊千代(「宗論」)は改憲反対、九条擁護を巧みに盛り込み、さすがの高座。桂文福(河内音頭に相撲甚句、小咄、そして「金婚夫婦」)は、いずれにも護憲が入り、爆笑。新治(「一眼国」)。チンドン通信の歌と演奏、パギやんの「阿呆陀羅経」で盛り上がり、フィナーレでは、カジノ反対署名世話人のアピールも。長時間、盛りだくさんの演芸会に、最後までパワフルにお付き合い戴きましたタフなお客様こそが主役。護憲への思いを強く共有させて戴きました。(敬称略) 「繁昌亭朝席、『天満の銀座』 」 (2022/5/7) 7日は、半月ぶりの繁昌亭の高座。笑福亭銀瓶さんの「天満の銀座」。銀瓶さんは、繁昌亭のトリもとり、松竹座も満員にする旬の人。勢いがあり、爆笑の渦でした。開口一番は、桂笑金さん。よく受けてました。亡き、三金さんの愛弟子。客席には、三金さんのお母さんも来られていたようです。絆の強さを感じます。私は、「中村仲蔵」を申し上げました。落語の難しさと楽しさを感じました。何より、落語一席で疲れ果てました。自分でも驚きです。舞台袖で、笑金さん、銀瓶さんの高座を聞き、お客様の大きな笑い声を耳にしながら、しみじみ「ありがたいなあ」と思いました。コロナ、戦争、そして地震の恐怖。この国もどうなるかわかりませんが、平和な世が続いてほしいと思いました。番組は、「時うどん」・笑金、「書割り盗人」・銀瓶、「中村仲蔵」・新治、(お中入り)、「どうらんの幸助」・銀瓶。 「2022年5月7日 毎日新聞朝刊 」 (2022/5/8) 狭山事件で無実の罪を着せられた石川一雄さんが、再審を訴えるアピール。毎日新聞朝刊に、なんと見開き2ページで! 「自虐川柳もどき(?)」 (2022/5/9)
「遅咲きと言われる年も はるか過ぎ」 タア~!
最近、つくづく年を感じます。それだけ長く生きられたことに感謝ですし、元気に高座に上がれることもありがたいのですが、老人になったことは認めるしかありません。ふと浮かんだ自虐川柳? こんなことゆうてられるのも、平和なりゃこそ。ありがたや。戦争反対。恒久平和!
「お稽古。」 (2022/5/10) 昨日9日は、露の瑞(みずほ)さんが、お稽古に来てくれました。若い方と稽古をしてると、言葉のギャップを感じます。私らがギリギリ古典落語の世界に間に合った世代かも知れません。今の50~60歳ぐらいの方がものごころついた頃には、生活は大きく変わっていました。私らは、洗濯板も、洗い張りの伸子張りも、カンテキも、火鉢、火消し壺、カラケシも生活の中にありました。タライで行水をして天花粉(てんかふ)をはたきました。しんこ細工も食べました。鋳掛け屋のおっさんが、鍋の穴をきれいになおすのを感心しながら、ずっと見てました。おしっこかけて火を消したことはありませんが。金魚屋もくず屋もポン菓子屋、らお仕替え屋、虚無僧も来ました。乞食も行き倒れの死体も見てます。飢えと寒さの怖さを、ぼんやりですが記憶してます。そして、たまたま家の前が東映の映画館やったので、時代劇をいっぱい見ました。山城新伍の「風小僧」は一週間の続きもので、毎週見ました。映画館の暖房は、練炭でした。そして、周りには、明治生まれの人が当たり前にいました。江戸時代に生まれた人もまだ生きてました。こうして書いてると、いろいろ思い出します。落語をやる上で役に立ってるとおもいます。けど、それはその時代に求められた落語で、今は、舞台も客席もそんなことを知らない世代。知らなくても、おもしろい落語はできます。古い時代のことは、もう必要ないのかも知れません。落語も変わって当たり前です。古典落語の改作や、どんどん産まれる新作落語が今の落語界を支えています。今の人に通じる落語が一番大事です。そんなことのできない私はつくづくそう思います。お稽古も、その噺の骨格だけ伝えて、あとはその人にお任せした方がいいのです。若い方と稽古をさせてもらって、つくづくそう思います。時は過ぎ、全ては無常なんやと、しみじみ感じます。
「たそがれ哀愁川柳(もどき?)」
「どっこいしょ 立つも座るも どっこいしょ」 いや、ほんま。
「世の中に ついていけない いく気無し」
「老眼鏡 かけて鏡を見て 絶句」 いや、ほんま。眼鏡かけて鏡を見んほうがよろしいです。
「翌日の しんどさ思い 禁酒する」 決意やないんかい。
「5月28日(土)露新落語会。」 (2022/5/11)今回は、動物ネタを並べてます。新幸『ごんべえ狸』。新治『仏馬(ほとけうま)』、『ねずみ』。『仏馬』は兄弟子の慎悟が、『ねずみ』は師匠五郎兵衛が、共に最後にネタおろしをした噺。お二人を偲んで挑戦させて戴きます。『仏馬』は、ほんまに珍しい噺で、慎悟氏が速記から起こしました。私としては、下げが今ひとつしっくり来ないので、独自に考えようと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 「昔話、『泥の河』。」 (2022/5/13) 昔話で恐れ入ります。映画「泥の河」。私は、文福師と二人で見に行きました(と、記憶してます)。新世界の映画館。泣きました。あれは、私らの世代なら、大概泣いてしまいます。けど、夜店のシーンで「あれっ?」と思いました。綿菓子がビニールの袋で包まれてます。これは違う。そんな衛生的なことは絶対にしてない。駄菓子屋(私らは、お菓子ん屋とゆうてました)では、寒天とゼリーの間のお菓子(私らは、ベロベロと呼んでましたか?記憶おぼろですが。見事に鮮やかな原色で、中には自然界に存在しない色も)なんか、新聞がみに包んで食べてました。なんでも新聞がみでした。ウチは、焼き芋包むのも、大掃除で畳の下に敷くのも、便所の落とし紙もみんな産経新聞でした。おかげで、『龍馬が行く』も岩田専太郎の綺麗な挿絵で最終回まで楽しみました。最終回の、龍馬が昇天してゆく絵は、ぼんやり記憶にあります。後日、レポーターをしてた頃、泥の河の小栗康平監督が、新作(「伽倻子のために」)のキャンペーンで来られました。その時、綿菓子のビニール袋について指摘させて戴きました。考えたら、後から言われてもどうしようもないことで、私もいらんことをゆうたなあと思います。ほんまに、いらんことゆうてしくじってばかりでした。思い出すたびに「わあー」と叫びたくなります。以来、三十数年、あんまり変わってません。恥ばっかりかいて、生きてきた気がします。1951年、昭和26年生まれ。考えたら、戦争が終わって5年半しか経ってません。よお、それから13年でオリンピックをやったなあと思います。 「テントさん、71歳のお誕生日。」 (2022/5/17) 昨日、5月16日は、テントさんの誕生日でした。私は、テントさんと同い年、1951年(昭和26年)生まれの早行き。学年は一つ上です。毎年、この日にテントさんは、私に追いつきました。それが、2016年まで続きました。以後は、離れる一方です。テントさんは65歳のまま、私は71歳になりました。テントさんの幼馴染、八尾のしんちゃんこと中沢さんが、テントさんがなくなってから、毎年追悼ライブをされてます。これもコロナで止まっていましたが、昨日三年ぶりに再開され、私は初めて参加しました。文福師、福楽師と三人でお墓参りをした後、会場のライブハウス『ナッシュビル』に。ライブハウスへ入るのは、新幸の「太陽と月」でやっていた露新軽口噺以来です。参加者は、私ら3人に八尾のしんちゃんとそのご家族2人を入れて10人。いずれもテントさんの魅力に惹かれた方ばかり。みんなでテントさんを偲ばせて戴きました。上岡龍太郎師匠は「テントは70歳になったら売れる」と言われてました。そして「70歳になったら、二人で漫才をしよう」と約束していたそうです。テントさんは、漫才でNHKのコンクールで受賞したこともあります。見たかったです。 コンサートは、福楽師はベース漫談。自分の躁うつ病を歌にした「涙そうそう」の替え歌「うつそうそう」、そして、テントさん自作の歌。次に八尾のしんちゃんが、自分はギター、それにテントファンの友人のバイオリンとの合奏?で、テントさんとの思い出を歌いました。「今日は泣かんとこ」と思ってましたがダメでした。トリは文福師が相撲甚句で「テント一代記」を。テントさんへの想いが伝わってきて、笑いながら、また泣いてしまいました。終始笑いに包まれた集いでしたが、帰りの車中、一人になると、急に寂しさが込み上げてきました。 先日コロナ禍で初めて、お葬式に列席しました。喪主が挨拶で「人間は二度死ぬ」という話をされました。一度目は死亡。二度目は「その人のことを、誰も思い出さなくなった時」ということらしいです。テントさんは、二度目の死はまだきてません。けどやっぱり、一度目の死で、全て終わりの気がします。71歳になったテントさんに会いたいです。なのに、いまだに夢にも出てきてくれません。もおいっぱい見送ってきました。自分はまだ生きてるということでありがたいのですが、やりきれない気持ちです。今年9月27日は、テントさんの七回忌です。また、会いに行きたいと思います。 「その場限りの楽しさ。」 (2022/5/20)
「その場限りの楽しさ、追伸」 (2022/5/21) 今、思いつきました。「銀瓶さんの形です」ではなく書割盗人をそのままやるべきでした。「うーん、死んだつもり」と、私も銀瓶さんのように転がれば、もっと盛り上がったと思います。残念。やはりアドリブではそこまで行けないのが、私のセンスのレベルです。思えば、古々粋亭での福楽さんとの二人会。「二人旅」のあとの「転宅」でも、なんぼでも入れられたのに、自分のネタのことで精一杯で、おいしいところをいくつも逃しました。残念!自分ネタに集中せんでも、しすぎてもあかん。登場人物になりきらないのも、なりきりすぎてもあかん。落語のむずかしいとこかと思います。 「奈良の九条の会にて。」 (2022/5/21) 5月3日、奈良の九条の会の告知。最初は「霧の新治」になっていたらしい。今日、それを指摘、訂正した方から聞きました。「露の新治」を名乗って40年。トホホ。昔、ある方の還暦祝いの会で「友人の落語家が駆けつけてくれました。ゆめの新治さんです~」と紹介されました。友人ちゃうやん。わらわなしゃあない。 「『発端』をする発端になったバッグ。」 (2022/5/22) 昨日は、「門戸寄席 露新落語会」。阪急西宮北口から宝塚行きに乗り換え一駅、門戸厄神駅へ。車中でふと前を見て驚きました。真正面に座っている女性が持っている布のバッグに、一面の文字。一瞬お経かと思いましたが、よく見ると、上方落語の東の旅の「発端」。そんなものがあると以前写真で紹介して貰ったことがあるので、これは貴重な遭遇と、いささかためらいましたが、思い切って持ち主の方に「すみませんが、写真を撮らせて下さい」と頼みました。快く応じて戴き、車中で撮ったのが、添付の写真です。と、その方が声をかけて下さり、寄席のお客様とわかりました。一緒に門戸厄神で降りて、会場へ入り、準備中の人たちにその話をしてバッグを披露して貰っていると、なんと、会場のオーナーの奧さんが同じバッグを持っておられ、開演準備中のその場にいた7人中2人がこのレアなバッグを持っているというすごい状況に。さすが、落語ファン!「落語はこんな方々に支えて戴いてるんやなあ」としみじみ思いました。桂九雀師匠制作とのこと。それで、「仏馬」の前に「発端」に挑戦してしまいました。いつかやろうと、ぼちぼち稽古していましたが、いっぺんも最後までとちらずやれたことがありません。なのにテンションが上がり、「ネタおろし」をしてしまいました。最初に、その方にバッグを披露して戴き、少し説明してやりだしたのですが、やはり何ヵ所か詰まってしまいました。 番組は、私が二席勤め、二つ目に新幸が「狼講釈」をやり、その後のトークで「公開ダメ出し?」という趣向だったのですが、トークは開口一番「新幸の前で、発端はやらんとこ」という反省になりました。トホホ。またカチャカチャパンパンパン、願生ります。 「仏馬」の下げ。 「露新落語会」での二席は、「仏馬」と「ねずみ」。「仏馬」は兄弟子の慎悟が、「ねずみ」は師匠五郎兵衛が、共に生涯最後にネタ下ろしをした噺です。この二席を並べたのは、私なりの思いがありました。「仏馬」は珍しい噺で、やろうと決めてから知ったのですが、東京の柳家喬太郎師が復活させた噺です。慎悟師は喬太郎版があることを知っていたのか、知らなかったのか?(よお知らんけど)。下げは、原本の速記にある通りで「刺し毛が証拠」というもの。正直「これで落ちているのか?」という気がして、納得がいかず、今回のサゲを考えました。弁長(弁に長けている、口先だけの破戒僧。成り行きで次郎作に、「飲む、打つ、買うの三道楽煩悩(さんだらぼんのう)に溺れ、仏罰が当たり馬にされたた」と、嘘をつく)が酔って、次郎作のカミさんにちょっかいをかけ、咎められ「今日だけは、仏様に三道楽煩悩のうち、二つまでは許してもらってる。あと一つ、博打さえやらねば大丈夫」と言い訳をします。後日、次郎作が飼い馬と再会し、それを「弁長がまた馬にされた」と思った次郎作が、「ハハーン、さては、寺へ帰って、博打をやったな」で下げました。「親子茶屋」と同じ趣向ですが、「刺し毛云々」よりは、マシかと思います。 「繁昌亭昼席、初日。」 (2022/5/30) 初日は「牛ほめ」と思っていたら、開口一番の枝之進さんが「牛ほめ」! 初日いきなり寄席の洗礼。「鹿政談」も「ごんべえ狸」も「仏馬」も「狼講釈」もダメ。いきなり追い詰められ「転宅」を。グッタリ疲れました。繁昌亭はしごかれます。
「繁昌亭昼席、二日目・三日目。」 (2022/6/1)
二日目は「鹿政談」。三日目は「竜田川」でした。ええお客さまで、乗せて戴きました。ありがたや。
「繁昌亭昼席、無事に打ち上げました。」 (2022/6/6)
「三本の指が・・・。」 (2022/6/7)一日に落語一席。時間はわずか23分。けど私には、大変な七日間でした。ねたに追い詰められ、余裕はありませんでした。お客様のやさしさに助けられて、なんとか努めた次第です。自分でもよおやったと思えるのは、初日の「転宅」と、三日目の「竜田川」、六日目の「てんしき」ぐらいです。コロナ禍のリスクを乗り越え、お越し戴いたお客様には、深く感謝申し上げます。お一人、皆勤の方がおられました。ありがたい限りでございます。反省点を次に活かすため精進してゆきます。次の寄席は、来月7月17日(日)~19日(水)の三日間の「動楽亭昼席」。その次は、8月3日(水)~5日(金)の「大須演芸場」(怪談噺)です。コロナもまだまだどうなるかわかりませんが、ご無理のないところで、なるべくよろしくお願いいたします。 ネタは順に、「転宅」、「鹿政談」、「竜田川(ちはやふる)」、「猿後家」、「ちりとてちん」、「てんしき」、「七段目」。 繁昌亭の楽屋でも、私とトリの福笑師匠が飛び抜けて高齢者。若手には20歳の人もいます。私が71歳ですから、51の年齢差。「向こうはどう見てるんやろか?」気になったので、私の51歳年上を調べてみたら、なんと明治33年生まれ。日清戦争と日露戦争の間に生まれてます。私、自分が20歳の頃「そんな年寄りと話をしたいとも思いません」でした。おそらく、今の方もそうやと思います。私も、20歳の人に話し相手になってもらいたいとも思いません。お互い、話を合わす気もありません。それが楽屋という狭い空間で、仕方なく一緒にいてる。おもろい世界です。落語界は、年寄りということで一応礼を尽くしてくれます。楽屋に入る。靴を脱ぐ。サッと取ろうとしてくれます。出世前の方に下足を触らすのも嫌なので、自分で下駄箱に入れますが、至れり尽くせりで「介護をしてもらうて、こんなんかなあ」という気がします。せいぜい、邪魔にならんように、そして伝えといた方がええと思うことだけ伝えるようにしてます。 歳をとると、体のあちこちが弱ってきます。私ごとで恐縮ですが。口が大きく開かなくなって一ヶ月になります。無理に開けると痛いので、そろそろと開けます。ようやく指二本分は開くようになりました。けど、それ以上は開きません。普通は、指三本開いてるそうです。この指一本分が大きな違いなんです。「あかんなあ」というのは、こっからきてるんと違うかと思うほど、差し障りがあります。先ず、大きく伸び伸びとあくびができない。うっかり開けたら、顎の付け根に激痛が走ります。おかげで、眠気は吹っ飛びます(ええねんけど)。いろんなものが、普通に食べられません。たこ焼き、バナナはパクッといけません。ワーズカフェのカツサンドなんか、カツをパンから離して食べました。美味しいです(美味しいんかい!)。お寿司も、ネタと下のご飯(シャリ)を別々に離して食べます。ハンバーガーなんか、ほぼ食べられません。つくづく世の中は「口が指三本分開く人仕様」でできてることに気づきます。 私、若い頃「上方落語の三本の指に入る噺家」を目指してました。70過ぎて「三本の指が入らん噺家」にならせて戴きました。まあ、ちょっとの違いですが。歯医者さんは、マッサージを薦めてくれました。 「第21回長徳寺寄席。」 (2022/6/19) コロナ対策で、定員70人の二回公演。通しの方もおられるとのことで、ネタを替えました。番組は、【一部】「発端/狼講釈」・新治、「時そば」・さん喬、(お中入り)、「お太刀の鍔(雛鍔)」・新治、「井戸の茶碗」・さん喬、【二部】「発端/牛ほめ」・新治、「ゆめの酒」・さん喬、(お中入り)、「うちがい盗人(置き泥)・新治、「明烏」・さん喬。三年ぶりの開催。変わらないお客様とお寺様御一家の笑顔。ありがたい限りです! 開催できて、良かった。大入り叶。 「まつばら落語会。」 (2022/6/23) 9月11日に、3年ぶりとなる「第七回まつばら落語会 露の新治・桂文華 生野高校同窓二人会」。ネタは、新治「胴乱の幸助、他一席」。文華「淀五郎、他一席」です。どうぞよろしくおねがいします。 9月日(日)の繁昌亭朝席「天満の銀座に出させて戴きます。前回は「中村仲蔵」、今回は秋にふさわしい「まめだ」です。チケットは7月25日発売開始です。どうぞよろしくお願いします。 「六代目桂文吾襲名披露公演、盛大に!」 (2022/6/26) 6月26日(土)、六代目桂文吾襲名披露公演が、文字通り盛大に行われました。鳥取県の米子コンベンションセンターには、2000人のお客さま。文吾師匠が積み重ねてこられた噺家人生の集大成。私も用いて戴き、高座(「狼講釈」)と、口上の司会を勤めさせて戴きました。85才での襲名は、ギネスもの。益々お元気で、益々ご活躍を! 心からお祈り致します。 「六代目桂文吾襲名披露公演。」 (2022/6/27)
文吾師匠の襲名披露公演が、2000人というたくさんのお客様に見守られ、大成功したのは、ひとえに文吾師匠のお人柄と、コツコツと積み重ねてこられた全ての結果です。やはり、世間はちゃんと見てます。世間は、あたたかくも冷たくもなく、「正直」なんやと思います。襲名は「新たなスタート」。85才の襲名は、高齢者に元気を与えました。私も、老け込んでる場合やないと、ハッとさせられました。文吾師匠、ほんまにおめでとうございます。益々お元気で、よき先達様として、お手本でいて下さいませ。
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