新ちゃんの へらへら日記  


2011年7月〜2011年9月

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2011年7月

 「北海道から灼熱地獄へ。」 (2011/7/18)

 16日から北海道へ来ています。さん喬師匠のお供で来て以来、半年ぶり。女満別空港に着き、北見の「おんねゆ温泉」へ。浄土真宗本願寺派、北見東組(そ)の門徒大会です。午前中、お笑い人権高座80分。午後から、落語「千早ふる」、「相撲風景」、「柳田格之進」を100分(さん喬師匠化)。計3時間、喉はもちました。以前は、こんな日が続いていました。そら喉を痛めます。うだる暑さの関西とうってかわって爽やか、極楽、別天地。松本龍の怒りも忘れそう。朝方は15度!くしゃみ13連発(数えました)。今日はまた灼熱地獄へ帰ります。滞在3日で、室温23度を暑いと感じるようになってしまいました。夏の北海道、二泊三日はありがたいけと、辛いのです。


 「 久しぶりの九州です。」 (2011/7/23)

 福岡県八女市黒木町。八女市も旧黒木町もお世話になったところ。懐かしい! 福岡県は立花町で、自作自演の差別事件のでっちあげという救いようのない事件が起き、そのうえ松本龍の暴言事件と、現場で真面目に解放運動に取り組んでいる人たちにとっては、ふんだりけったり。けど、差別があるかぎり、反差別の運動はあります。私を用いて戴いた気持ちにこたえて願生ります!
 今日の集会のチラシをバイクの後ろに貼って宣伝! 5年前に隣の立花町で講演をした時の担当者が、八女市の催しを宣伝してくれました。思いが伝わってきます。ありがたい!


 「コーラスグループ、ポインセチア」(2011/7/25)

 八女で、女性コーラスグループ「ポインセチア」の皆さんと競演。プロ。よかったです!少女合唱団のOGとか。「悠久」という、地元八女市黒木町(黒木瞳の出身地、実家の前を通ってきました)で有名な歌が、一番よかったです。この人らがカラオケボックスへ行ったら大変なことになりそう。歌が上手というのは幸せなことですね。

(写真提供:八女市 NK様)


 「今月二度目の北海道です。」 (2011/7/25)


 月に二回の北海道は初めて。ありがたいことです! 今回はちょっと長くおります。西本願寺札幌別院のお世話で、お笑い人権高座。落語も(も!?)します。東西本願寺と曹洞宗は、部落差別問題に熱心かつまっすぐ取り組んでおられます。担当者から思いが伝わってきて、勇気づけられます。新宗教連(立証佼成会やPL教を中心とする、新宗教団体)の人や企業の同和問題啓発担当者、行政の方からも熱意を感じます。やらされている啓発ではありません。自らの行き方の芯になってる人にも出会います。だからよけい松本龍氏の足ひっぱりには、がっかりするのです。まあ人のことはおいといいて、私はお与え戴いた場をありがたいものとして、精一杯願生ります!


 「日は小樽。真光寺(しんこうじ)様。」 (2011/7/26)

 昨日のうちに小樽に来ました。今日は真光寺様。願生りました。終わって、車で函館へ。240キロ。北海道は道内の移動が半端やありません。




寿都(すっつ)のニシン御殿。 右側は珍しい瓦葺き。


ニシン御殿前のお宮。大漁と安全祈願のお宮、

 「青函連絡船摩周丸。」 (2011/7/28)

 宇高連絡船はそれこそ数えきれないほど乗りましたが、青函連絡船は縁がありませんでした。どれだけのドラマがあったことか。 函館は二度目ですが、観光客が少ないのでひとしお風情があります。
 函館湾には、福島から廃船になった大型船が三艘、函館ドックの浜にありました。夜には、函館山からきれいな夜景が見えました。月に四日くらいしか、晴れないそうです。ありがたい!



函館山遠景

 
摩周丸


函館、赤レンガ倉庫。



津波で壊れた福島の船。


函館山から。右へ行くと室蘭へ。左へ行くと、長万部。後ろが津軽海峡。


 「今日の仕事場。名張市桔梗が丘公民館。」 (2011/7/30)

 夏期大学講座の一環として、今日は「新ちゃんのお笑い人権高座」!願生ります!


 「美味、きしめん。」 (2011/7/31)

 名古屋駅、中央線ホーム。カツオだしの匂いに誘われ、住よしの「かき揚げ卵入りきしめん」を戴きました。ここの天ぷらは、目の前で揚げてくれます。冷えたコロッケを入れるのとは、だいぶ違います(あれもおいしいですが)。熱々のかき揚げ、ネギにかまぼこ、踊るカツオ。満たされました! 讃岐うどんのコシにうるさい人でも、このふにゃふにゃのきしめんは食べます。名古屋はおいしいものがたくさんあります。今から長野です。願生ります!

  「長野にて。」

 シティホテルの窓から長野の町を眺めていると、近くのホテルの屋上で結婚式をしていました。窓を開けると賛美歌が聞こえてきて、なんとも言えないいい気持ちになりました。お天気になってよかった!
 明日は朝から、西本願寺長野別院で落語をさせて戴きます。これで、別院は、札幌、函館と今月三ヶ所目です。ポスターには、名前に大きくふりがなを入れて戴きました。ありがたい。明日の舞台は、40〜50人が目標です。広い会場の割には少ないですが、知名度ゼロの私ですから仕方ありません。2日やりますので、減らないように願生ります!


西本願寺長野別院


明日のポスター


明日の舞台

2011年8月

 「準備完了!さあ願生ります!。」 (2011/8/1)

 準備完了、控え室着。多分、きょう日本で一番早い寄席です。いま朝の7時過ぎですが、もう開場してます。開会7:30。お経があって、私の出番は8時から。願生ります! 昔三重県仏教会で、朝7時から、「暁天講座」というのをやりました。それに次ぐ早さです。

  「願生りました!」

 マクラ、小咄、落語「ちりとてちん」、落語「狼講釈」。全部で1時間、お客さんは50人。大受け(の手応え)! 明日は、「柳田格之進」をやってみます! 今日は午後から、お笑い人権高座。願生ります!

  「長野、文芸座。」

 りっぱな劇場がありました。番組も充実。米団治、花緑二人会。喬太郎、白酒二人会。文楽などが。場所は善光寺の門前。この後ろに、本願寺長野別院があります。



  「松嶋屋ぁ!」

 久しぶりに落語をやると、落語のことをいろいろ思い出します。師匠五郎兵衛が東京の国立演芸場で、正本芝居噺「加賀見山」をかけました。四月の上席。国立のスタッフものってくれて、後ろは桜の幔幕の引き落とし。私はツケでお供、ついでに出番もいいところに戴きました。落語の加賀見山は、お芝居の草履打ちの場ではなく、その前の幕。なぜ岩藤が尾上をいじめるようになったかという伏線の部分です。ちょうどその頃、松嶋屋・片岡秀太郎丈が、その幕を復活上演(あの時の徳三郎丈の岩藤がすごかった。思えば、徳三郎丈のふるさと高松でのリサイタルに出して戴いたのも懐かしい想い出です。合掌)。当然、師匠も尾上は秀太郎、岩藤は徳三郎でやっていました。その日は特に気が入っていて、袖から見ていた私には、師匠の岩藤が徳三郎の岩藤に見えました。岩藤、軍次兵衛に一泡ふかせて、尾上が花道を引き上げます。七、三で舞台の二人に捨て台詞、ピシッと向き直り、扇子をパラッ!見えをきりました。とたんに客席から「松嶋屋あ!」。これには感動しました。間もバッチリ、しかも「五郎さん!」ではなく、「松嶋屋!」です。松嶋屋になりきって演じる師匠。それをわかって落語に大向こうをかけるお客。そこはもう歌舞伎の世界です。こんな幸せな空間、瞬間が落語にはあるのです。いい芸といいお客。間近で見た私の宝物です。

【YouTubeに動画がありました。その1その2その3(MORI)】

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 「念仏との出遇いは。」 (2011/8/2)

 「念仏との出遇いは、私の生き方が変わること」 長野別院にて。

 「長野別院から西本願寺国府別院へ。」

 長野別院では、早朝寄席。「柳田格之進」の一席。終わって、車で新潟県上越市に運んでもらいました。国府別院。ここは親鸞聖人三十五歳の時、越後に流された草庵の跡。親鸞聖人配所御旧跡。ここで今から、お笑い人権高座です。

国府別院


親鸞聖人袈裟掛けの松の跡。


親鸞聖人旧跡の地の碑。

  「ああ、日本海!」

 特急「はくたか」の車窓より。糸魚川付近。

 「ガンとオレとネンブツ。」 (2011/8/3)

 東西本願寺はともに、同和問題(反差別の運動)に熱心です。去年、西本願寺長野別院でお世話になった時、何人かの特に熱心な僧侶が別院の運動をひっぱっておられました。海野忍彰師は、そのお一人、しかも28歳とお若い。当然期待もされていました。なのにガンはその命を残酷にも奪ってしまいました。先日伺ってその死を知らされ、さらにブログがあることを教えて戴きました。CT検査で異常なしと言われた二日後に倒れ、すでに末期がんであることを告げられる。絶望感のどん底で、師はガンと向き合い、死を見つめ、生を願います。仏教者として、人間として。お読み戴ければありがたいです。ninsukeのブログ。

 「西本願寺滋賀教区第四ブロック研修会。」 (2011/8/4)

 このところ、西本願寺(浄土真宗本願寺派)の研修会が続いています。ありがたく勤めさせて戴いてます。今日は滋賀県彦根市の得法寺様。私が精一杯の80分話の後、話し合い。グループに分かれて討議が50分。率直な疑問や、自分の抱えている問題が続々と飛び出します。さらに全体会が50分。全員が少しずつでも発言します。その場で差別意識の有無や程度、さらに無くす方途などが話し合われます。地味な努力が人間を変革してゆきます。責任ある場に用いて戴いたことを感謝して願生ります! 彦根は「柳田格之進」のふるさと。落語もやりたいけど、与えられた時間は80分です。残念。

グループ討議。話し合い法座。


浄土真宗本願寺派、得法寺様。


 「今日は三重県津市の人権センター。」 (2011/8/5)

 津市の西橋内中学校区の中・小学校・幼稚園の先生方に集まっていただきました。私の連絡ミスで、いろいろご迷惑をかけてしまいました。慣れは怖い。以後気をつけねば。反省。聞いて戴いた先生方に感謝。
 「奈良県東吉野村 あいの家。」 (2011/8/7)

 東吉野村、デイサービス施設「あいの家」。今日は開所一周年記念のお祭り! 玉之助さんとお邪魔しました。みんなの願いが形になりました。おめでとうございます!
 築三百年の宿屋。旧伊勢街道に面しています。さすがは街道ぞいの旅籠。お仏壇もりっぱです。写真をとり忘れましたが、神棚もりっぱでした。楽屋はお風呂の脱衣場! まさに着たり、脱いだり。
 最高の雰囲気の中、民謡、踊り、ピアノ演奏、歌声と盛り上がり、私に。残念ながら私は不発。その穴を玉之助さんが、見事に埋めてくれました。ありがたい!(情けない)

 
デイサービスセンター「あいの家」


今日の高座


りっばなお仏壇


玄関を入ると「会えて よかった」。向こうは台所。玉之助さん、食事中。


へっついさん(おくどさん)が五つも! さすがは旅籠。


柿の葉ずしではありません。朴の葉ずし。中身は一緒。通に言わせると香りが違うらしい。ごちそうさまでした。


玉之助さんのお獅子に大盛り上がり


おめでたい席にはうってつけ。益々繁盛!


楽屋はお風呂の脱衣場。

 「芸人に上手も下手もなかりけり。」 (2011/8/8)

 「芸人に上手も下手もなかりけり。ゆく先々の水に合わねば」 名人文楽師匠の言葉です。三重県津市の「人権センター」と昨日の奈良県東吉野村「あいの家」では、つくづくそう思いました。できなかった私の未熟さ。若手という年ではないけど、中身は新米。思えば師匠、五郎兵衛はどんな時も堂々としてたなぁ。芸人としての「腹」が違います。


 「四日市市文化会館、第二ホール。」 (2011/8/9)

 キャパは600人、予定は350人。油断せず、会場後方に紐を張り、立ち入り禁止にしてもらいました。少しでも前に詰めてもらう工夫です。今日のお客様は、四日市の学校の先生と保護者。何度も四日市で話をしてますが、満員になったのは「全国啓発研究集会」と一昨年の全同教だけ。今日も私の話を聞きにではなく、集会に参加されているお客さま。知名度ゼロを自覚して、今、座席最前列の真ん中にサクラとして座っています。つられて前に座る人を願って。今のところ誰もつられていません。前3列には、たった1人。後は4、5列目からぽつりぽつり。太鼓、出囃子を流し、雰囲気を和らげてもこれが現実です。私がテレビの人気者、有名人なら前から埋まるのです。まことに世の中、正直なもんです。ここから願生って、最後は最高の拍手を戴けるよう願生ります!



 今、終わりました。案じていましたが、紐の効果もあり、けっこう前の方も埋めて戴きました。休憩を挟んで1時間45分。いい反応で楽しくやれました。お笑いは一番に、会場のキャパとお客さまの人数の割合。つまり「密度」です。しみじみそう感じました。四日市の先生がた、保護者の皆様、ありがとうございました。


 「岐阜県山県市 美山中央公民館。」 (2011/8/10)

 午後、市内の先生方250人にお話しをしました。終わってヘロヘロになり、市内見学を勧められるも、横になって眠ってしまいました。以前なら喜んでお供をしていました。今は好奇心より疲れが勝ります。ここらが年のせいかもしれません。19:00からは市民対象の90分。担当者も学校教育から社会教育へ。一眠りしたら元気になりました。さあ願生ります!


  「岐阜羽島着。」

 ノリノリで8:30まで。車で1時間走って、岐阜羽島駅に着きました。晩ご飯を食べてなかったので、途中「すき家」の牛丼。250円! たまらんくらいおいしかった。帰宅は日付が変わるけど元気です。よくうけたら、疲れも忘れます。願生!

  「正本芝居噺加賀見山・露の五郎兵衛。」  

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 「加賀見山」、ユーチューブで見ました。お姫さま(舞台では孝太郎)が引き上げる時、客席から、「松嶋屋ぁ!」がありました。尾上の時は、師匠が自分で言ってました。私の記憶違いです。すみません。尾上の引き上げで拍手があったような気もしますが、あの録画ではありませんでした。三味線は師匠のおかみさん。ツケと柝(キ)は私です。特にツケは、歌舞伎なら上手、前にいて、打てますが、下座の私は後ろからなので所作が見えず、緊張したもんです。あの頃は、東京のお供は準備もいろいろあり、大変でした。けどそのことが、さん喬師匠はじめ東京の方々とのご縁につながるのですから、やはりありがたいことだったのです。なにより、極めつけの芝居噺と怪談噺の数々をツケと幽霊で経験したのは宝物です。見ていて、涙が出ました。加賀見山は正本芝居噺なのでサゲはありません。ドンを降ろす機械の人と私の柝の呼吸。降り切ったときに二丁、「おなかいり〜」あの声は私です。私は幸せ者だと思いました。願生!

【YouTubeの動画はこちら。その1その2その3(MORI)】

【柝(キ)とは拍子木(ひょうしぎ)のことで、2回続けてチョン、チョンと鳴らすと「二丁」。ツケとは役者が見えを切った時などに、拍子木のようなもので板を「バタ、バタ」と鳴らすこと。(MORI注)】

すぐ次の日記に続く


   「浅草、蛇骨湯。」

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 「加賀見山の思い出」の続編です。
 師匠、五郎兵衛は東京の寄席には、年に二回出番がありました。お正月二の席と、八月下席が多かったです。鈴本昼席と国立、そして鈴本夜席(八月は怪談噺でトリ)。平成元年(1989年)1月1日1時は、確か鈴本で迎えたはずです。それが、四月にも東京の寄席に出ることになりました。それでたぶん「加賀見山」となったのか、あるいはその逆か? 東京へは前日に入り、鈴本と国立演芸場へ行き打ち合わせをし、その後稲荷町のウィークリーマンションへ。そこは先代正蔵師匠の長屋の近くで、確か翁家さん馬師匠がお隣でした。荷物を整理し、浅草の蛇骨湯(じゃこつゆ)へ向かいました。師匠は、大阪なら心斎橋の清水湯、東京では蛇骨湯が好きでした。弟子の前では絶対に稽古をしている姿など見せない師匠でしたが、師匠が湯船につかり、手ぬぐいをたたむ仕草をしながら、何やら思案の様子。ほんの一瞬でしたが、尾上が手紙をすりかえる場と分かりました。口は動いておらず、ネタを繰るというほどのことでもなく、仕草をチェックしていただけですが、私にはものすごく新鮮で、嬉しかったことを覚えています。それから師匠の背中を流しました。師匠は、稲荷町(正蔵師匠)を尊敬していて、「正蔵師匠から習った噺家の背中の流し方」を教えてくれました。タオルを固く絞って筒に巻き、下から上にこすりあげるのです。その時も私が後ろに回ろうとすると、「師匠、鈴本ですか」と声をかけながら、一人のおじさんがスッと後ろに回り、師匠の背中を流し始めました。さすがに師匠も恐縮して、「ありがとうございます。おおきに。」と言うと、おじさんが「江戸っ子は、噺家を見逃しゃしませんよ!」。その粋な一言にしびれてしまい、東京が大好きになりました。


 「日中友好お笑い寄席、夢が形に少しずつ!」 (2011/8/16)

 10月1日(土)の「日中友好お笑い寄席」、去年の自主公演に続き2回目になります。1975年、日中友好学生訪中団に参加し、廬溝橋の上で北京大学の学生と、日本の侵略戦争の話をし、これからの友好を誓いあいました。それ以来、反戦、反差別を心に据えて生きることを願ってきました。夜間中学設立運動で、語学力がないため役に立たなかったことをずっと引きずってきました。少しずつ中国語を勉強する中で、中国語で落語というビジョンが生まれ、徐々に形になってきました。元気に生きて、ちょっとずつでもやっていれば、少しずつ願いは叶うと、この年になって実感させて戴いてます。ほんまにありがたいことです。できれば、「ちりとてちん」、「ごんべえ狸」に続く、第三弾ができればと考えています。願生ります!


(1975年)

  「10月1日 日中友好寄席のチラシ。」 (2011/8/18)

 お世話になります。ところで、下の画像は奈良県初の「日中友好お笑い寄席」のご案内です。できれば、宣伝よろしくお願いいたします。また転送大歓迎です。入場無料です。私は36年前、日中友好学生訪中団に参加し、反戦への気持ちを持ちました。狭山で反差別を学び、このふたつが夜間中学(うどん学校)で確固たるものとなりました。私にとって日中友好は、解放運動からの学びとともに「自芯」の一つです。どうぞお力添えのほどよろしくお願いいたします。


  「奈良少年刑務所。」 (2011/8/19)

 篤志面接員をさせて戴いている奈良少年刑務所で面接。最多の6人。精一杯、聞き、話しました。高座とはまた違う疲れかたです。犯罪も年齢もさまざまな6人。許せない犯罪もあれば、うーんと唸るケースもあります。強姦未遂など、明らかに意図的な悪質なものから、結果的に犯罪になってしまったものまで様々です。いつも驚くのが、目付きが柔和なこと。「ワルやってました」と肩口から入れ墨ののぞく青年の目は、ちょっとみないほどの善良そうな目をしています。刑務所では肩肘はっても仕方がありません。いろんな重しがとれて規則正しい生活をし、ゆっくり自分を振りかえり、本来の優しいまなざしを取り戻します。今までそんな落ち着いた暮らしをしたことのない人も多い。矯正施設は本当にありがたい施設です。彼らの一番の不安は、出所後の社会復帰です。そのためには偏見をなくさねばなりません。ここが実に難しい。矯正教育にいささか関わって一番悩むのがこの部分です。犯罪は自己責任。差別とはまた違う偏見があります。滋賀県栗東市の企業の方が人権学習として刑務所を訪問。出所者への偏見を無くそうという取り組みです。反差別、人権運動が、刑務所出所者の人権につながりはじめました。人権啓発担当者の熱意が、重い扉を少し開けました。心ある人はどこにもいます。


  「桂福楽師に「寝床」を習う。」

 私もしらんまに古くなって、たまに稽古を頼まれます。そんなガラではないけど、こちらの勉強になるのでぼちぼちやってます。今日は、逆に福楽さんに稽古をして貰いました。彼のおはこの「寝床」。元は先代歌之助師。私の「にん」にないネタですが、挑戦します!


  「清流高梁川をさかのぼる。」 (2011/8/21)

 久しぶりの伯備線。眼下に高梁川の清流。島根県雲南市木次までゆきます。映画「砂の器」の舞台になったところです。10月1日の日中友好寄席。これを機会に中国語落語をアピールしたいので、昨日からメールを送り続けています。ポツリ、ポツリと反応があります。ありがたい!

久しぶりの宍道湖。

  「雲南市西日登(にしひのぼり)公民館。」

 お笑い人権高座80分、落語30分。自分なりには充実の120分でした。何より関係者含め120人以上の聞き上手のお客さまのおかげです。「あったか寄席」の加茂町からも応援に来て下さいました。ありがたい、ありがたい!


西日登公民館の舞台。


前がお話用。そして後ろに落語の高座が。


  「はんどばっくの会」

 島根県雲南市加茂町の反差別、部落解放を担う市民組織「はんどばっくの会」と交流会。普通交流会といえば先ずビール、お酒です。ところが今日はノンアルコール。おかげで最後まで皆が集中して話ができました。アルコールが入ると、てんでにしゃべって結局とりとめない話になってしまいますが、ノンアルコールは充実した時間をプレゼントしてくれます。いい経験をしました!

  「宍道湖思い出。」 (2011/8/22)

 昔、午前中に仕事が終わり、宍道湖湖畔のホテルに入りました。夕方まで暇なので、宍道湖一周を思いたち歩き始めました。5、6時間あれば帰ってこれるだろうと思ったのが甘かった。ホテル街が対岸のように見えるところまで歩いたのに、延々と湖面が開けてゆきます。もおあかんと思い引き返しました。聞いてみると一周45キロ!改めてマラソンランナーのすごさを感じました。帰りぎわに見た夕陽は、さすがの美しさでした。


  「木次線にて。」

 始めて木次線に乗ります。木次駅には、トロッコ列車「奥出雲おろち号」が観光客満載で止まっていました。砂の器の龜嵩(かめだけ)も通ります。乗ってみたかったですが、私は松江に行かねばなりません。写真は、右が「奥出雲おろち号」、左が宍道まで行く普通の列車です。


  「たくさんの領収書!」 (2011/8/23)

 島根県(旧鹿島町)鹿島中学。ここは原発の町。意識は複雑です。たくさんの領収書は、あちこちからお金を集めて戴いた証。「予算が無いので安くしてくれ」という所もある中、ここまでして招いて戴いたお気持ち、本当にありがたい! 生徒は静かに話を聞き、ちゃんと笑ってくれました。ありがたい。最後の生徒代表の挨拶にも驚きました。しっかり話を聞き、自分の思いも織り込み、しかもよどみも無い見事なもの。感動しました!


  「徳島、勝浦町にて。」 (2011/8/24)

 昨日から徳島で、豊来家玉之助さんと合流しています。今日は勝浦町で、先生方相手にお笑い人権寄席。「お笑い人権高座」・新治、「太神楽」・玉之助、落語「柳田格之進」・新治と、休憩を挟んで2時間45分。聞きじょぅずの先生方のおかげで、たっぷりやらせて戴きました。終わってから、慌てて徳島駅まで走り、17:33の特急うずしお号で高松へ出て、そこから岡山・博多経由で、武雄温泉へ向かいます。長い旅。着くのは夜中です。旅芸人。ありがたい!


  「願生ります!脱原発1000万署名!」

 福島原発は今現在も放射能を出し続けており、人間の力で止めることができていません。原発の是非を議論してる場合ではないのに、石原都知事のような声がまだあります。高齢の彼は後のことはどうでもいいだろうが、私は子や孫のことを考えます。事故続きの「もんじゅ」の下には活断層が二つある。具体的に怖い。国とはなんだろうと思ってしまいます。国民という名の人々から税金というお金を吸い上げ、それを権力の側が好きなように使うためのシステムでしかありません。「国を守れ」と叫んでいた人間が、一番に逃げ出した例もあります。国家は国民を守りません。せめてこの署名は成功させたいのです!


  「かつては西九州一!武雄市文化会館はキャパ1300人。」 (2011/8/25)

 きょうは佐賀県同和問題講演会。人権とごまかさないのが嬉しい。久しぶりの大きな舞台です。キャパは二階席も入れて1300人。中身は私の「お笑い人権高座」一本! 無名の咄家がこんな場を経験させて戴けるのは、「お笑い人権高座」をやればこそです。寄席より笑って戴かないと申し訳ありません。願生ります! けど、ほんまに埋まるのやろか?


武雄市文化会館


キャパは1300人


佐賀県同和問題講演会の看板


 佐賀県武雄市文化会館にほぼ1000人。一階席は満員、二階席もそこそこのお客さん。ヤル気満々でステージに立ちました。ところが反応はいまいち。前の方は笑ってくれますが、後ろの方では居眠りしている人も。アラッ、アラッと思っているうちに焦ってドツボにはまったら終わってしまいます。今日は素直にその状況を受け入れました。満員のお客は、私の話を聞くために集まったのではないことに気づいたからです。
 受付にいると、開場時刻より早く続々とお客がやって来ます。すっかり嬉しくなったのですが、聞いてみると「駐車場のいい場所を確保するため」に早く来ているとのこと。いい場所とは「帰る時に出やすい所」ということです。会場に入って確かめてみると、やはり皆が後ろのほうに座っています。考えれば当たり前。平日の昼間にこれだけの人を集めるのは、動員なしでは無理です。この人たちは、無名の私の話を聞きたくて集まったのではないのです。集会に参加しただけ。以前は、これを勘違いして「なんで前に座らへんねん」「なんで寝るねん」「聞く気があるねか」とイライラしてました。今日わかりました。「聞く気はない」のです。ただ、そんな人たちでもなければ、私の前に1000人の人が座ってくれることはないということにも気がつきました。結局自分を勘違いしていたのです。それがわかりました。

 わかれば焦ることも、イライラすることもありません。相手は同和問題の集会に参加している善良な市民。私と向き合って戴くことに感謝して、精一杯思いを伝えることに専念しました。結果は上々。次第に会場が一つになり、笑いもアッブ。最後は気持ちよく話を終えることができ、湧きあがるような拍手を戴きました。自分を勘違いしなければ(思いあがらなければ)、逆に恐いものはないと分かりました。ありがたい!
 この年になって、こんなことに気づかせてもらいました。遅すぎますが、今までわかってなかったのですから仕方ありません。これから、今からと自分を励ましています。


  「今日のお客さま。手ごわい!」 (2011/8/26)

 伊万里の保育園。0才児から5才児の園児たち。「つる」をやったら、けっこう受けました。連日、自分が問われる毎日です。



  「伊万里、瑠璃光苑。」

 瑠璃光苑は、曹洞宗のお寺に併設の身体障害者の授産施設。13年ぶりの再訪です。前回のことを覚えていてくださった入所者もおられました。高齢者もおられ反応は今一つでしたが、ありがたく精一杯勤めさせて戴きました。おかげで手応えを感じることができました。ネタは「相撲風景」と「ふろしき」。


  「佐賀県にて、髪の薄いアナウンサーを発見。」

 関西テレビの山本アナに続き、二人目の「髪の薄いアナウンサー」に、佐賀で出会いました! コントでは、ハゲかつらをかぶって笑いをとることがあります。髪の薄いことを、ハゲと言って嘲笑するのは、日本独特の偏見、髪の毛差別です。やっとNHKのニュースで、はげたアナウンサーが登場! おそらく佐賀県の人はもう見慣れているはずです。アナウンサーの髪の毛が薄くてもニュースを読むのに何のさしつかえもありません。なんとなく似合わないと思うのは偏見、差別。大阪と佐賀の人は普通に、髪の薄いアナウンサーがニュースを読む姿に接しています。おかげで無自覚のうちに意識が変わります。「差別をなくす学習から、差別をなくす行動へ。」一人の勇気ある行動、行為が、多くの人の目からうろこを取ってくれます。勇気あるフロンティアに拍手、尊敬! 思うんをやったら、自分から!


  「小林(おばやし)の杜サマーコンサート。」 (2011/8/27)

 去年は元宝塚歌劇スターと住職によるミュージカル。今年は、露の慎悟一座の寄席。番組は「寄り合い酒」・石松、「時うどん」・団四郎、「ちりとてちん」・新治、「所帯念仏」・慎悟。三味線ははやしや薫子(ゆきこ)。大入りで盛り上がりました。


ポスター


番組


露の団四郎師。


2011年9月

  「中国語落語、第三席目。」 (2011/9/1)

 中国語落語、三席目は「看板のピン」。サイコロもバクチも中国は本場。ただ、1をピンというような言い方は(今のところ)ないので、ちょっとものたりない。今回も苦戦しそうですが、この年で、やりたいことがあることに感謝して願生ります!


   「拾う神あり!」

 「蛇行社通信」の吉田智弥さんが、日中友好寄席の宣伝をしてくれはりました。チラシをわざわざコピーして、通信と一緒に発送。ここまでして戴いた、そのお気持ちに感激、感動! また作家の寮美千子さんは、自身のネットの通信に載せて戴きました。心にかけて戴き本当にありがたいことです。お気持ちをいただき、願生ります!本当に、うれしく、ありがたいことです。人はやはり信ずべきものです!

(寮美千子さんのブログはこちらからどうぞ【MORI】)


  「浦和市民寄席、なんと第428回。」 (2011/9/3)

 浦和市民寄席のチラシが届きました。さん喬師匠の独演会で、私は一席です。願生!チラシの左上にさりげなく、「第428回」。月いちとして、35年8ヶ月。ほんまかいな? 伝統の寄席に二度目の出番。ありがたい、ありがたや!


【当日の報告はこちら】


  「今年、5回目の北海道!」 (2011/9/9)

 数えてみたら今年5回目の北海道です。今日は曹洞宗の皆様のお世話で、札幌からバスで苫前まで行きます。全国的に売れている芸人ならともかく、私のような無名咄家が、北海道へ何度も来れるのは「お笑い人権高座」のおかげ。ありがたく勤めさせて戴きます。願生ります!

  「風車は町の宝。」 (2011/9/10)

 苫前は風力発電先駆けの町です。写真は、町の風車。3基で年間、5000万円が町の財政に入ります。一切の廃棄物、汚染もありません!そして利権もありません! 曹洞宗は、平和、環境、人権をテーマに、宗門あげて取り組んでいます。原発問題もまさに宗門のテーマ。方丈様から紹介されたなのが、飯田哲也さんの本です。力強い。


年間5000万円かせぐ風車


力強い飯田哲也さんの本


  「第428回 浦和市民寄席」 (2011/9/11)

 浦和市民寄席。西宮のYKさんが群馬に転勤されていて、駆けつけてくださいました。他にも、東京のかおるさんや、手拭い兄ちゃん、落語マニアの大阪の女性など、落語ファンのすごさを感じました。私は、久しぶりに皿屋敷をさせて戴きました。


浦和市民寄席のネタ帳


 前回、2009年12月のネタ帳


  「昨日、ショックなことが。」 (2011/9/12)

 浦和市民寄席からの帰り道、中央線の車内へ乗り込んだら、青年が「どうぞ、お座りください」。一瞬、私に向けての言葉とは思いませんでしたが、彼はあきらかに私を見ています。えー、とうとう席を譲られるようになったんかと、ちょっとショックでした。やはり疲れている老人に見えるのか?よし、今日からエスカレーターに乗らず、階段で行くぞと決意しました。


  「牧伸二師匠の言葉。」 (2011/9/13)

 昨日テレビで、牧伸二師匠が言われた言葉が心に響きました。「病気をして、前向きに生きようと思った。昨日は二度と帰らない。そして明日は来るかどうか分からない。だが、今日はある。ならば今日を楽しく生きよう!」 昨日が戻らないのはすぐ分かります。明日があるかどうか分からない。ここが、生きることのツボではないでしょうか。明日はあると思いたいし、多分ある。けど絶対あるとは限らない。そんなことは考えたくない。だから、考えない。病気はそこを考えさせてくれます。明日があるかどうかわからない、だから今日を精一杯、たいせつに生きる。そして何があっても平気で生きてゆく。願生ります!

   「散髪したら、割引に!」

 昨日東京で散髪したら、お勘定で年を聞かれました。「60才」と言ったら、割引してくれました。やはりそれくらいに見えるのです。老人になったんだと分かりました。それはそれでいいのですが、こんなに何もかも中途半端なのに、と思います。反省。

  「二回目の武雄温泉。」 (2011/9/17)

 先月に続き、2度目の佐賀、武雄温泉。しかも会場は、前回と同じ武雄市文化会館。縁があれば、こんなこともたまにあります。今日は真言宗のお世話で、会のタイトルは「真言宗大本山大覚寺門跡猊下ご親教・写経奉納法要」。早めに入り法要も見学させて戴きました。600人の般若心経の合唱は大迫力!大般若経、太鼓も入って迫力は更に増します!ところで浪曲の春野百合子師匠。プログラムの写真がお若い!別人や、別人!


春野百合子師匠。


法要の舞台

  
大般若経。


 10月1日の日中友好寄席は、マスコミに全く出ないうちに満員になりました! 申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします。中国語で二席、日本語で一席の予定です。この日はちょうど中国の国慶節。願生ります! スマップは去年中国公演を止めました。私はあの最中、大阪と上海でやりました! 輝かしい実績を誇る日中友好寄席です。スケールはちょっと違うけど。


  「滋賀県マキノ 常栄寺様」 (2011/9/18)

 滋賀県高島市マキノ町、曹洞宗常栄寺様。毎年お世話になっています。こちらのご住職は、宗門の特派布教師。曹洞宗管長に代わり、宗門を代表して法話、布教をするという方です。番組は、女性三味線、来世楽(らせら)と私。来世来の二人の見事なバチさばきに、バチ当たりな私の気楽な高座。お昼に運動会があったのに、皆さん律儀にお寺にお運び戴き、満員のご本堂。笑いで満堂になりました! 演芸のあとは、灯りは全てロウソクだけの、幻想的な法要が行われました。

母なる琵琶湖

幻想的な法要


  「橿原市久米町敬老会。」 (2011/9/19)

 奈良県橿原市久米町の敬老会。写真の高座は、露の雅で演題は「平林」。なごやかな空気の中、笑い声が起こる。こんな当たり前の光景が、しみじみ幸せな風景に見えます。ありがたい。願生!


  「繁昌亭夜席。桂さん福追善落語会。」 (2011/9/20)

 桂福団治師匠一門の二番弟子、桂さん福没後20年追善落語会。さん福さんは、和歌山市出身。ラジオ出演中に動脈瘤(りゅう)が破裂、32歳の若さで亡くなりました。以来20年、さん福さんを知らない咄家も増えてきた中、福団治師匠や和歌山の先輩、文福師匠らが中心となり、追善落語会が開かれました。上方落語界で、大学で中国語を学んだのは私とさん福だけ。そんな話をしたこともあります。とにかくお酒をよく飲みました。今日は一門や、仲良しだった春雨さんなどが思い出を語るコーナーもあります。私は楽屋でさん福を偲びます。合掌。


繁昌亭


桂福若さん。はでな長襦袢!


楽屋にて。文福、新治、テント、福車、福楽、幸助。


さん福を偲ぶ。右から、福若、春雨、文福、福楽、福車。


  「泉佐野、真言宗御室派・極楽寺さま。」 (2011/9/23)

 毎年、秋のお彼岸の中日は、東大阪市の大乗寺さまて「彼岸寄席」でしたが、今年はご住職が病気になられ残念ながら休会に。去年は確か愛媛県宇和島の先の愛南町から走ってきました。今日は午前中、天王寺から阪和線で泉南の日根野まで行きます。泉佐野の真言宗極楽寺さまで、法要のあと、高座を勤めさせて戴きます。極楽寺のご本尊様は、平安末期の仏さまという歴史あるお寺です。途中、反原発熊取六人衆の語源になった熊取を通ります。小出裕章先生ら原子力安全研究グループがある京都大学原子炉研究所が、大阪府泉南郡熊取町にあります。のどかな田舎の駅が、なんかありがたく見えます。


熊取駅


極楽寺さま


  「実りの秋。」 (2011/9/23)

 播磨屋のおかきに付いていた小さな稲穂に十つぶほどの籾。植えてみたら、ろくに手入れもしていないのにみごとに実りました! 土の力はすごい。いとおしくて刈り取るのが惜しい(刈り取るけど)。農業はしんどいけどすてきな仕事だと思います。そんな実りをセシウムは全て破壊しました。東京電力はどう責任をとるのでしょうか? こんな危ないものをまだこれから稼働しようという気が知れません。


  「鬼怒川温泉へ。」 (2011/9/25)

 「部落解放北足立郡協議会(埼玉県)」でお話をさせて戴きます。会場の鬼怒川温泉へ向かっています。東京から北千住、そこから東武鉄道。途中、下今市〜大谷向(だいやむこう)間に、見事な清流が。鬼怒川かと思って聞いてみたら、大谷(だいや)川。美しい! 鬼怒川の水は、台風のため濁っていますが、眺めはさすがです。 鬼が怒って、鬼怒川温泉、分かりやすい!


大谷(だいや)川の清流


鬼怒川温泉


鬼が怒って、鬼怒川温泉


今日の高座。


  「トリイ寄席にでます。」 (2011/9/26)

 桂米団治師匠が主催する11月1日(火)夜の「トリイ寄席」に出番を戴きました。会場は大阪、南のトリイホールです。できればぜひ、ぜひおいでください。ネタは、人情噺「柳田格之進」です。願生ります!何とぞよろしくお願いいたします。


  「一回かぎり、一日かぎり。北山法夫先生を悼む。」 (2011/9/27)

 今日は福井県敦賀でお葬式に参列しています。美浜中学の校長先生で、美浜町同和教育を引っ張ってこられた、北山法夫(のりお)先生のご葬儀です。実は、北山先生のお世話で、今日は美浜町ハートピア、明日は美浜中学でお話をさせて戴く予定です。今晩は美浜に泊まり、北山先生と一杯やる(私はノンアルコールですが)予定でした。北山先生も楽しみにしてくれていました。それが、検査入院して2週間で、急激に悪化し、一昨日亡くなられました。すい臓のガンでした。久しぶりの再会がお葬式とは、せつなすぎます。お棺の中の先生はただただ普通に横になってはるだけ。遺影の笑顔は、ほんまに頼れる校長先生。「定年になったら、不登校や低学力の子供のための活動をしたい。そのためのNPOを立ち上げたい。」と夢を語っておられたそうです。葬儀が終わり、焼き場へ行く前に中学校へ寄り、生徒と最後のお別れをしました。親の葬式でも泣かなかった私が泣いてしまいました。
 福井県美浜町は、五木ひろしの「ふるさと」。北山先生は私を買って下さり、何度も招いて戴きました。それだけではなく、近隣で講演会があるとのぞいてくれました。教職最後の年、生徒の人権学習に「新ちゃんを」と計画して戴いたのです。明日の美浜中学の講演。先生がたは「北山校長先生のご遺志ですから、やりたい」と言われます。迷いましたが、やらせて貰います。いつまでも生きてゆくつもりですが、どうなるかわからないのが命と教えて戴きました。ただただ今日を、悔いなく精一杯生きるしかないんやと思います。明日はどんな話になるか分かりませんが、誠心誠意、生徒と向き合いたいと思います。


美浜中学の生徒さんと最後のお別れ。


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