2011年1月
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「明けまして おめでとうございます。」 (2011/1/1)
「明けまして 何かおめでたいですか?」昔はこんな年賀状をだしたこともありますが、今は素直に「おめでたい」と感じます。暮れに来たたくさんの喪中ハガキ。今年は例年より多いように思いました。人はいずれ死ぬのですが、そのことを改めて感じました。その中で、「まだ生きてる・生かされている」と感じながら、新年を迎えられることは、本当にありがたく、おめでたいことです。生きて新年を迎えられたものどおしが「おめでとうございます」と挨拶しあえるのは、本当にありがたいことだと思います。
去年は、色々と願生り、充実した一年でした。「今年も願生ります」と言うべきところですが、今年はあまり願生ろうとは思いません。なるべく、ぼちぼちと、願生ろうと思います。本当に私がやれること、やるべきことは何なのか?大事にするべきことは何なのか?切羽づまってはおりませんが、残り時間は限られていると思います。大事に、ありがたく、この身と与えられた時間を使おうと思います。
どうぞ皆様、おすこやかに、この一年をお過ごしくださいませ。どうぞ笑顔でお過ごしくださいませ。そのためにもこの一年が、平和でありますように!
元旦 露の新治 平伏
「福音落語のお知らせ」 (2011/1/6)
一門の、露のききょうさんが「福音落語」の会をします。
第78回京都レディースランチョン 笑いと賛美で福音を!「福音落語」
日時:2月24日(木)10:30〜13:30(食事付き)
会場:リーガロイヤルホテル京都
出演:露のききょう師(露の五郎兵衛長女)「神方人情噺 蘇生の息子」
菅原早樹師(栗東キリスト教会牧師夫人・露の五郎兵衛次女)「お話と歌」
会費:5000円(食事代込み)
「元町寄席恋雅亭」 (2011/1/10)
兵庫県神戸市の元町寄席「恋雅亭」(れんがてい)。私は、「紙入れ」をかけました。最高のお客様に支えられ、楽しく務められました。恋雅亭のお客様は、私の中でナンバーワン!です。正直、独演会のお客様よりいいのです。私のことを全く知らないのに、温かく迎えてくれはります。ほんまに落語がお好きなんでしょう。ありがたいかぎりです。
笑福亭三喬さん、獅子舞。
「ぼたん鍋」 (2011/1/11)
京都にて。
「紀伊半島一周中。」 (2011/1/13)
三重県熊野市立有馬中学校。
熊野七里御浜(国立公園)
「新春初笑い 新ちゃんのお笑いじんけん高座」 (2011/1/15)
大阪市平野区の「市民交流センターひらの」にて「新ちゃんのお笑いじんけん高座」。
手作りの看板、ありがたい!
豊来家玉之助さんの獅子舞も絶好調!
色紙を書くのも一仕事!
熱演中の私。
(画像提供:豊来家玉之助さん)
「訃報 岩井好子先生が亡くなられました。」 (2011/1/16)
訃報のメールが届きましたなんともいえず悲しい気持ちです。
『悲しい、辛いお知らせです。「うどん学校」「麦豆教室」の岩井好子(いわいよしこ)先生が2011年1月6日午後、入院先の川崎市内の病院で亡くなられました。享年85才。川瀬俊治さんのジャーナリストネットの記事で知りました。とりあえず、皆様にお知らせいたします。』
いろんなシーンが、文字どおり走馬灯のごとく浮かびます。岩井好子先生が天王寺夜間中学へ赴任して高野雅夫さんと出会わなければ、奈良の夜間中学(春日、天理、畝傍夜間中学)はありません。退職金を前借りして「映画、うどん学校」を制作するなど、ほんまにずっと身銭をきっての運動をされてきました。人生を夜間中学、識字、つまり教育にかけて生き抜かれました。後にも先にも、どこにも、あんな方は知りません。見事な人生だったと思います。遠藤幸子先生(元大教組婦人部長)と共に、夜間中学、識字運動における私の師匠です。三里塚空港反対集会に、反対同盟の戸村一作委員長を奈良に招きました。奇しくもその日、狭山裁判の上告が棄却されました。橿原市で解放同盟青年部が緊急抗議集会。講演を終えた戸村委員長を橿原までお連れしたのが岩井先生。抗議集会は、戸村委員長のサプライズ登場でとてつもなく盛り上がったそうです(私は集会の後片付けをしていました)。去年は、私といっしょに、うどん学校の若手で、春日夜間中学でも講師を勤め、私設夜間中学(うどん学校)と公立夜間中学をつないだ松石高之(まついしたかゆき)さん、夜間中学を作る会会長で、奈良の日中友好運動、平和運動のリーダーの老田誠一(おいたせいいち)さんとお別れしました。ほんまに寂しい限りです。ただただ、南無阿弥陀仏と唱えるばかりです。
合掌。
「今日の柳田格之進」 (2011/1/22)
第2回目となった「いかいの寄席」。一門の露の都師匠とともに芸術祭賞に輝いた笑福亭鶴二さんをトリに、いい会となりました。番組は「餅屋問答」・喬楽、「柳田格之進」・新治、(お中入り)、「不動坊」・鶴二。私の、「柳田格之進」は、旭堂南陵先生から戴いたもの。いま「格之進」といえば、なんといっても柳家さん喬師匠。聞いた人が本当に感動の涙を流します。ところが、不思議なことに、これだけさん喬師匠のお伴をさせていただいているのに、「さん喬版」は聞いたことがありません。これもご縁のもんです。そして音源を捜せば聞けるのに、それもしていません。「聞かせて戴くときはナマで!」という思いがあります。この「格之進」、元は講釈ネタ(?)なのか、オチがありません。それで私は作ってみました。囲碁が噺の発端なので、「なんで碁盤をお切りになったんで」と問う主人(藤兵衛)に格之進が言います。「元はと言えば、我々二人が碁に夢中になったため生じたこと。全てはあの盤が元じゃ。それにのお、白黒決着した上からは、盤はもはや無用じゃ」。楽屋で話しても「いいですね」と言ってもらえます。5回ほど高座にかけましたが、最初からこのオチでやってます。
25日は繁昌亭夜席「天神寄席一月席 年男、高座でハネる!」、明日は「ほろ酔い寄席」に出して戴きます。ありがたく、楽しく高座を勤めさせて戴きます。
「今日はこちらで願生!」 (2011/1/23)
今日は「ほろ酔い寄席」で一席。番組は、「真田小僧」・壱之輔、「母恋いくらげ」・春蝶、「おごろもち盗人」・春若、(お中入り)、「狼講釈」・新治、「鰻のたいこ」・春之輔。春団治一門に、分家の露一門が、一人ずつ入れて戴いています。終わって、春団治師匠を囲んで、打ち上げ兼新年会。それも杉本町駅前で。高校同期のYさん(区長)も駆けつけてくれ、嬉しかった!
「椿井小学校。椿井の由来は?」 (2011/1/25)
今日は、奈良で一番古い小学校、椿井(つばい)小学校で「お笑い人権高座」。椿井の由来が校長室でわかりました。
椿井小学校の向かいは、古梅園。奈良の特産品、墨の老舗です。さすがの構え。
古梅園のある、ここらあたりから「奈良町」。
椿井小学校と古梅園の位置は、こんな感じです。手前の屋根が古梅園。
「柳田格之進、願生りました!」
椿井小学校での講演の後、天満天神繁昌亭の夜席で「柳田格之進」。団体客のお客さまがたくさんだったので、ちょっとからかったかもしれないのですが、一所懸命やらせて戴きました! 終演後、お見送りをしてたら、何人かのお客さまから、「よかった」と言ってもらいました。ちょっとホッとしました。もちろん、あかんとこはたくさん自分でわかっています。精進、精進!
「三田学園。創立百周年!」 (2011/1/26)
今日は名門、兵庫県三田市にある三田学園の創立百周年に呼んでいただきました。三田学園の生徒さんにお笑い人権高座。三田学園には築百年の校舎があり、現在も教室として使用しているそうです。一年生は必ずこの校舎で学ぶそうです。
築百年の校舎
「奈良市立相和小学校。給食を戴きました。」 (2011/1/27)
奈良市の東、相和小学校。全校生徒50人弱。保護者、地域の方も含め80人。給食を戴きました。懐かしくもおいしかった! パンとご飯が交互に出るそうです。圧倒的に、ご飯が人気とのこと。納得のおいしさ!ありがとうございました。
「北海道へ 。」 (2011/1/30)
今日は、北海道へ向かいます。北海道は大好きなところですが、大寒に行ったことはありません。今、シャワーをしてたら、携帯の留守電に、先方のお世話いただいてるお尚様から、さわやかな声でメッセージが入りました。「北海道は快晴! 気温は、マイナス15度くらいかな・・お気をつけてお越しください」。氷点下15℃! そんなさわやかに言われても、こちゃ、普通の格好。未知の経験をしてきます。
浄土真宗本願寺派(お西)の、北海道婦人会研修会。私がしゃべって、その後、5〜6人の小グループに分かれ、法座(話し合い)、その後、まとめに参加し、夜、落語を一席。ありがたい仕事。願生ります!
北見玉ねぎラーメン。空港にて。おいしく戴きました。
一面の雪景色。 女満別上空より。
網走湖夕景。女満別にて。
女満別夕景
女満別駅
やはり寒さのレベルが違います。お風呂でぬくもり、濡れたタオルを窓の外にかけてみました。2分ほどでカチカチに凍りました!外に出るのは命がけです。
「さん喬師匠と北海道5日間 。」 (2011/1/31)
女満別から千歳へ行き、さん喬師匠と合流。今日から五日間、御ともをします! 今日は「新春札幌別院寄席」。
オホーツク海。東北海道の冬景色はすばらしい!
女満別にて。朝の景色。
至るところに霧氷が!
新春札幌別院寄席「さん喬 新治 二人会」。
さん喬師匠の高座
本日のネタ。 トリネタのさん喬師匠「井戸の茶碗」に、皆さん、ジーン!
2011年2月
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「朝日町サンライズホール「極楽寄席」。」 (2011/2/1)
士別市と合併した朝日町で、「極楽寄席」。100人弱のお客で、すばらしい高座、音響、スタッフと、ぜいたくな落語会。演目は、「ちりとてちん」・新治、「二番煎じ」・さん喬、お中入り、「狼講釈」・新治、「幾代餠」・さん喬。さん喬師匠の「二番煎じ」に聞き入ってしまいました! 人が生きてる。情景が浮かぶ。だから何気ない一言がたまらなくおかしい。自分の一本調子が情けなく思います。精進、精進! 泊まりは、旭川です。もちろん一面の雪景色。
高座の上にマイクがありません! 実は毛氈(もうせん)の下に仕込んであります。
士別寄席のネタです。「風呂敷」は、子どもがいたので「紙入れ」から変更しました。さん喬師匠の「掛け取り」は、万才、狂歌、義太夫、歌舞伎、けんか、そして三河漫才とたっぷり! 長講なのにお客がどんどん元気になって、笑いも拍手も大きくなってきます。最後に万雷の拍手。こんな高座がしてみたい!
「第一回遠別寄席」。」 (2011/2/3)
北海道3日目。一口に北海道と言っても、さすがに広い。長距離移動で、遠別に到着しました。うどん屋さんにあったポスター。りっば! 願生!
お客様は90人ほど。さん喬師匠、出し物はなんと「子別れ」。子は鎹(かすがい)では、舞台袖の世話人まで涙! 落語の力、さん喬師匠の力! 願生ろうと思いました!
「北海道苫前町 とままえ落語会・東西二人会」 (2011/2/4)
かすかに見える水平線。北の海、日本海、夕景。
苫前のお接待。手書きの敷き紙。この上にお食事が。こまやかなお心づかい。ありがたい!
楽屋にて、さん喬師匠と。
「北海道5会場、無事終了。」 (2011/2/5)
5会場、無事に打ち上げました。いろいろ勉強になった5日間でした。さん喬師匠のすごさ。改めてわからせて戴きました。ふだんめったに落語を聞かない人たちの前で、連日大ねた。「井戸の茶碗」、「幾代餠」、「掛け取り」、「子別れ」、最終日、苫前では「文七元結(もっとい)」。聞き入ってしまいました。私はというと、情けないかぎり。このままではいけないなと思いました。カタログハウスの落語会を含め六日間、本当に勉強になりました!
北の海、日本海。
「今日の高座。」 (2011/2/6)
今日は、視覚障害者福祉協会・文化祭。文化部長さんが近所の方で、ご縁を戴きました。ありがたく勤めさせて戴きます。
すばらしい高座を作って戴きました! いつもは立って講演形式の漫談ですが、今日は落語をやってみました。演目は「つる」。よくお笑い戴き満足。さん喬師匠が、「講演だけでなく、落語をやるべきです。」とアドバイスをしてくださり、そうしました。さん喬師匠の言葉は、なぜか素直に聞かせて戴けます。
狭山パンフを読む会(私も会員です)からのお知らせです。
★来月、東京高裁において、第3次再審請求審の第6回三者協議が開かれます。それに合わせ、12月に続き市民集会が開かれます。弁護団は5月の開示証拠等を元に12月に続けて新証拠を提出し、東京高裁に事実調べを求めていくことにしています。今年は証拠開示、事実調べ実現を勝ち取っていく大きなヤマ場となります。東京高裁が事実調べを、東京高検が更なる証拠開示をおこなうよう、世論を大きくしていくための一環として以下の要領で集会が催されます。
日時:2011年3月24日(木)午後2時〜4時半
場所:東京・永田町 星陵会館
内容:第3次再審の現状と課題、新証拠の意義(弁護団報告)
・石川一雄さんの訴え
・当面の闘いの課題はなにか(基調報告)
・当面の闘いについての意見交換ほか
時間の空けられる方は、是非ともご参加下さい。冤罪が次々と暴露されている今、やっと狭山に風が吹いてきました。願生りましょう!
「深川・雲光院。」 (2011/2/11)
「コーヒー、アイスクリームの『ぜー六』。」
「学ぶことは生きること!」
「雪どけの味。」
「今日の職場。」
2011年3月
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「架け橋 長島・奈良を結ぶ会」
「今日の職場、島根県飯南町。」 (2011/3/5)
島根県飯南町頓原、さつき会館。会場準備は、皆さんのお力で。皆さん、自らテキパキと動かれます。ありがたい! 高座の前の演台で、お笑い人権咄。お中入りを挟んで、玉之助さんの太神楽。その後、落語を一席。今日は「柳田格之進」をやりました。長かったけど、よく我慢して聞いて戴きました。大慌てで片付けて大田市へ向かいます。
高座の前に演台。
「島根県大田市 志学町づくりセンター」
会場も準備完了。
夜席も盛り上がっています! 玉之助さん、絶好調!
「第15回あったか寄席 。」 (2011/3/6)
島根県雲南市加茂町にて、あったか寄席。遠くは、滋賀県草津市から(あのYさん、Uさんコンビ)、県内も、大田市、浜田市、松江、川本などからも来て戴き、満員御礼! 今回は、吉田智弥さんと玉之助さんがお初。お二人とも大好評。吉田さんのお話は、西光万吉の知られざるお話。水平社発祥の地、奈良の解放運動、熱と光を求めての演芸運動などなど。島根の人たちには新鮮な話ばかり。いいご縁が広がりそうです。玉之助さんは、天井の低い会場で、お客が車座になっての観賞。やりにくい中さすがの至芸。あったかい雰囲気は打ち上げも続き、奈良と島根の解放運動の熱い交流で盛り上がりました!
結局、島根県三ヶ所は全て「柳田格之進」でした。皆さん、長い、笑いのない話によくお付き合い戴きまして、本当にありがとうございます。往復車のハードな旅でした。玉之助さんに感謝。
「福知山市民病院にてお笑い人権高座 。」 (2011/3/7)
今日は今から、病院職員に対して院内研修会。今日と明日、一回140人の予定。命の修羅場で日々神経をするへらしてお勤めね方々の貴重なお時間を戴きます。願生!
「『あせり』という駅名がありました。」
福知山から京都へ向かう途中、「あせり」という駅がありました。名前のわりには、各停がのんびり停まります。焦っていません。
漢字はこうです。
「今日も福知山市民病院。」 (2011/3/8)
職員も多く交代勤務なので二日公演。ということでまた福知山に来ました。2回聞いて戴ける人があればいいのですが。話は少し深めるつもりですが、果たしてうまくいくかどうか?願生!
「鹿と衝突。」
福知山から園部経由で京都へ帰る途中、保津峡のトンネル内で電車が急停車。なんと鹿と衝突! 鹿でよかった。人生何があるかわからない。
「夜間中学から。」
東大阪市の夜間中学から『笑』の字がいっぱい届きました。習字の時間に書いてみたそうです。八人のうち一人を除いて、みなさん在日のオモニ(お母さん)。笑顔が浮かんできます。山田洋二監督の映画「学校」のタイトルも、岩井好子先生主催の、麦豆教室」のオモニの字でした。麦豆教室とは、夜間中学を「卒業?」した人の学びの場。昔、朝鮮で月謝の代わりに、麦や豆を一掴み持っていったという故事に因んだ名前です。
「YouTube効果!」
以下、滋賀県からの講演依頼のメールです。 『ありがとうございました。依頼主の担当者さんも喜んでおられました。担当者さんは中国の方です。YouTubeで新治さんの中国語落語公演を見たそうです。中国語、素晴らしいとのことで、楽しんで聴かせていただいたと、おっしゃっておられました。』感謝、感謝!
【YouTube はこちらからどうぞ】
「第18回さぬき大内新治寄席。大盛況!」 (2011/3/12)
香川県東かがわ市、旧大内町福祉会館。過去最高の入りの180人で、仕切りを開けて会場を広げるほど。テレビを見て怖くなり、スイッチを消すほどの大惨事。けど無事に生きてる者は、元気で生きて、少しでも被災者のお支えをしようと、募金箱も置きました。かなりの浄財が集まりました。番組は「前説」・新治、「時うどん」・団姫、「まんじゅう怖い」・石松、「鍬潟」・こけ枝、(お中入)、「中村仲蔵」・新治。ところが、私が終わってもお客様は席を立ちません。よく見ると、お楽しみ抽選会を待っておられます。慌てて、手拭いを用意して、全員でプレゼント。今回は3月11日に結婚入籍した団姫を祝って、3月11日に縁のある人。結婚記念日、夫や子や孫の誕生日、孫の卒業式、親の十三回忌、果ては、昨日、羽田で24時間閉じ込められた人などなど。実に様々な3・11メモリアル。しかし、これからは全ての人にとって忘れられない日になってしまいました。無惨に命を奪われた方々のことを思うと、ほんまに辛くなります。せめて、させて戴けることを捜してさせて貰います。しかし、原発の怖さを改めて知りました。地元へ莫大な補助金、協力金は、大変なリスクと引き換えだったということが、残念ながらわかってしまいました。日本中、安全な所はありません。ほんまに怖いことです。合掌
「綾川寄席も超満員!」(2011/3/13)
番組は、「時うどん」・団姫、「動物園」・石松、「始末の極意」・こけ枝、(お中入)、「放送よもやま噺」・植松おさみ、「中村仲蔵」・新治。
義捐金(義援金)は、大内、綾川で15万円以上集まりました!それぞれの役場にお渡ししました。大内は、事務局長の上村さんが、東かがわ市の副市長ですので、そのまま。綾川町は、役場で幹部の皆様立ち会いのもと、町長さんにお渡ししました。
「三重県大山田 梅まつり」(2011/3/16)
三重県伊賀市大山田、ライトピアおおやまだ恒例の「梅まつり」。義援金も募ります。願生! 出演は「時うどん」・ 露の眞、「ふろしき」・新治、「コメディマジック」・こんばらさん、「太神楽」・豊来家板里、「歌」・インディ。
出演者
インディさんと露の眞さん
こんばらさん
豊来家板里師匠の妙技!
露の眞(まこと)、どじょう掬い。
「言葉がありません。」(2011/3/22)
今回の地震、津波、そして人災の原発事故。阪神大震災以後、もう生きてるうちにあれほどの災害には出会わないだろうと思っていました。あまりのむごさに言葉もありません。この三月で、我が同級生は定年を迎えます。忘れられない三月になってしまいました。昨年、宮城県本吉町に行き、民宿で「とげの動いているウニ」を戴き、そのひたすら甘い極上の味を満喫しました。その民宿、なぎさも跡形も無く流され、家族全員が行方不明。行方を捜す家族すらいないのです。胸が痛くなると言いますが、本当にそんな気がしました。高座を勤めたお寺は高台にあり避難所になっているとのことで、早速手紙とカンパを送らせて戴きました。
私自身は、喉の治療でしばらく休業、休養しています。人生の「お中入り」前の、最後の仕事と四国へ向かっている時に地震が起こりました。まことに、絶対の安心も、磐石の幸せもないのですね。あやうい命を、なんとか続けさせて戴いてるのですね。勘違いせず、ありがたく生きてゆきます。
原発に関しては、多少関心を持っていたので(今回、何にも知らんということも分かりましたが)、「とうとう悪魔の箱を開けてしまった」という気持ちです。25年ほど前、私にしては破格のギャラで「原発安全PRビデオ」に出演依頼が来ました。当時、「在日朝鮮人被爆者の記録映画」を岩井好子先生が作るというので、我が家が「大阪連絡所」になっていました。それで、「原爆と原発は違う」とかなり説得されましたが、泣く泣く断りました。「きっぱり」ではありません。なにしろ「破格のギャラ」ですから。それで一応反原発の立場を貫いたと安易に考え、電気を無駄遣いしながら、気楽に生活してきました。結局原発に依存していたのです。一貫して反対運動をしてこられた人たちも、今回は無力感に包まれていると思います。福井には「もんじゅ」という世界一の高速増殖炉が、二本の活断層の上にあるそうです。それでなくても危うい人の生をますます危うくする「資本主義」とは、ほんまになんでしょうか?便利で快適な生活には、大変な危険が伴っているのですね。
今は、せめて生き残られた方々に、さしてもらえることをさして戴くつもりです。皆様、どうぞご自愛なさって、お元気でいてくださいませ。
子規の「悟りと言うのは平気で死ねることではなく、何があっても平気で生きてゆくことである」という言葉を思いだしています。例年なら、大相撲の春場所を見ながら、春を待っていますのに。 合掌
「原発関連団体は『天下り』の巣窟。」(2011/3/29)
知り合いのFさんからのメールを転送します。この原発行政を進めてきたのが自民党政府だということを忘れないようにします。
日刊ゲンダイの記事を紹介して戴きました。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/177465
「高座に上がれないのは少し寂しいものでした。」(2011/3/31)
昨日の師匠の追善公演。お手伝いで楽屋にいましたが、高座に上がれないのは寂しいものでした。お客さまをお見送りしていたら、何人も声をかけてくれます。ありがたいのと、申し訳ないのとで、しんみりしてしまいました。明日から高座復活を目指して、声をださずに精進します。普通に声が出ることがどれだけありがたいか。失ってみてよく分かりました。頭の先から足の先まで、本当にありがたいことです。今はほんまにそう思います。