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露の新治 プロフィール

 元来、落語家になりたかったが、「芸人は堅気(かたぎ)の仕事ではない」とのこだわりから、サラリーマンやら家業の手伝いをするが、奈良の夜間中学設立運動に関わり、「やりたいことをやるべきだ」と教えられ、落語家となる。また夜間中学設立運動に関わる中で学んだ人権感覚を生かして、「新ちゃんのお笑い人権高座」を口演(大好評)。日本全国、北は北海道から南は九州沖縄まで(本当に!)、人権講演会で駆け回ってます。2015年、人権高座の功績が認められ第6回奈良人権文化選奨受賞。同じく2015年、「露の新治寄席」の成果により第70回文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。「狭山パンフを読む会」会員。

【この項、Wikipediaに投稿しています。】


1951年  大阪市生野区生まれ。幼い頃は近所の人気者。「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)にして芳(かんば)し、蛇は寸にしてその気を現わす。」(註1)
小学生時代  学校の勉強とか、学校の先生と、相性が合わず、「落ちこぼされ少年」であった。「伏龍鳳雛(ふくりょうほうすう)」の時代である。(註2)
中学生時代 「要領をかます」術を体得し、ちと勉強が面白くなる。この「要領をかます」術は落語家の必須科目であり、後々役立つことになる。
高校時代 グループサウンズ全盛の時代、なぜか寄席に通い、落語・漫才に熱中する。
大学時代 大衆芸能研究会を設立。聞くだけではもの足りず、自ら落語を演じる。その時既に、今ある姿の片鱗を見せる。
1975年 林家染三師に入門、林家しん三となる
1977年 「林家しん三」から「林家さん二」に改名
1982年 露の五郎門下に移り、露の新次となる
1991年 「露の新次」から「露の新治」に改名

(註1) 栴檀は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人は子供の時から並はずれてすぐれている。蛇は一寸ほどのうちから人を呑む勢いがある。優れた者は、幼い頃から早くも素質をあらわすもの。

(註2)かくれ伏している竜と鳳凰のひな。隠れて世に出ぬ俊傑などにたとえる。


もっと詳しい「新ちゃん歴史年表」はこちらです。

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